2024年9月17日火曜日

最強のダービー馬は?現役騎手が選ぶ日本ダービーベストレースだと…

■2013/5/21 最強のダービー馬は?現役騎手が選ぶ日本ダービーベストレースだと…
■2013/5/21 ワカタカC ファンの選ぶ日本ダービー馬 第80回記念「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/5/21 トキノミノルC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1932~1950s「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/5/21 シンザンC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1960s「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/5/21 タケホープC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1970s「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/5/21 シンボリルドルフC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1980s「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/5/21 ナリタブライアンC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1990s「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/5/21 ディープインパクトC ファンの選ぶ日本ダービー馬 2000s「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/3/22 日本で最高評価のレースはジャパンカップで世界10位 有馬記念は宝塚より下



■2013/5/21 最強のダービー馬は?現役騎手が選ぶ日本ダービーベストレースだと…

 最強のダービー馬など、最強論議というのは、大抵揉めます。が、JRAがおもしろい企画をやっていました。
 馬ではなくレースとしてですが、現役騎手のベストダービーの投票をしていたのです。

-----引用 ここから-----
JRAホームページ|今週の注目レース-東京優駿(日本ダービー)
リンク切れ
http://www.jra.go.jp/keiba/thisweek/2013/0526_1/best.html

1位 2005年 ディープインパクト 22票
見事1位に選ばれたのは、ディープインパクトが優勝した2005年の日本ダービー。4戦4勝で皐月賞を制し、ダービーでは単勝1.1倍の圧倒的1番人気に支持されたディープインパクト。直線では、大外をただ1頭次元の違う末脚で突き抜けて圧勝。5戦5勝、無敗でのダービー制覇を成し遂げました。「その圧倒的な強さに衝撃を受けた」「競馬学校生の時に生で見て感動した」、「このレースを見て騎手になりたいと思った」など、その“衝撃”を熱く語るジョッキーが多く、ファンの中でもいまだ記憶に新しいあの飛ぶような走りは、ジョッキーたちの心にも強く印象付けられていたようです。
-----引用 ここまで-----

 投票者は、小牧太、江田照男、後藤浩輝、浜中俊、武幸四郎、三浦皇成騎手など。
 武豊騎手、ここじゃないんですね。スペシャルウィークでしょうか?まさかアグネスフライト(武豊騎手はエアシャカールで2着)ってのもありますかね?

 私はとにかく1番人気を買わないので、ディープインパクトのダービーも当然別の馬を勝っていて、天邪鬼なので何とか負かしてくれと思っていましたが、レースを見て「ああ、お手上げだ。認めるしかない」と思った気がします。
 で、菊花賞はさすがにディープインパクトを軸にして買ったのですが、相手がさっぱり来なくってハズレ……。

-----引用 ここから-----
2位 2007年 ウオッカ 14票
14票を獲得して第2位に選ばれたのは、ウオッカが優勝した2007年の日本ダービー。64年ぶり史上3頭目の“牝馬によるダービー制覇”の偉業を果たしたウオッカ。「牝馬であれだけ強いのはすごい」「時代が変わったダービーです」など、牝馬という枠を越えて、時代をも飛び越えたパフォーマンスに対して、ジョッキーたちからも多くの賛辞が寄せられました。
-----引用 ここまで-----

 吉田隼人、戸崎圭太騎手など。
 私はウオッカは牝馬だし~という先入観が抜けなかったんですけど、勝っちゃいました。ビビりました。
 何かダービー当たった試しがない気がしていました。

-----引用 ここから-----
3位 1994年 ナリタブライアン 11票
11票を獲得して第3位に入ったのは、ナリタブライアンが優勝した1994年の日本ダービー。単勝1.2倍の1番人気に支持されたダービーでは、白いシャドーロールをトレードマークに、府中の直線を縦横無尽に駆け抜けました。「かっこ良すぎてしびれた」「強かったイメージが強烈に残っている」など、他馬を文字通り“圧倒”した走りは、今もジョッキーたちの心に深く刻まれています。
-----引用 ここまで-----

 津村明秀騎手や高田潤騎手、石神深一騎手の騎手となるきっかけとなったレースだそうです。そういう意味ではすごいですね。
 何かここまであんまり有名な騎手出てきませんね、不思議。当事者だと自分の関係で選ぶので部外者とは変わるのかも。

 私はナリタブライアンのレースは見ていません。当然馬券も買っていません。

-----引用 ここから-----
4位 1998年 スペシャルウィーク 8票
1990年代後半。名実ともにトップジョッキーに上りつめた武豊騎手にとって、唯一手にしていないのは"ダービージョッキー"の称号でした。10回目の挑戦となった1998年の日本ダービー。スペシャルウィークに騎乗して5馬身差の圧勝劇を演じ、ついに最高峰の舞台で最高の栄誉を獲得したのです。一方、キングヘイローでダービー初騎乗を果たした福永祐一騎手は14着に大敗。苦い記憶であると同時に印象深いダービーとして振り返っています。
-----引用 ここまで-----

 福永祐一騎手がここ。初騎乗(キングヘイロー)だからということみたいです。
 丹内祐次騎手は「武豊騎手が好きなので」という理由。そうなんだ。
 そして、武豊騎手はここでもないみたい。ええっ!?という。

 私が選ぶならこのレースですかね。キングヘイローとセイウンスカイの3強対決で5馬身差圧勝。それからやっぱり武豊騎手初勝利というので感動的でした。
 この世代が大好きってこともありますね。クラシック3強はこの3頭でしたが、世代3強はスペシャルウィーク、グラスワンダー、エルコンドルパサーと揃っていました。
 (大成しませんでしたけど、黒鹿毛がきれいだったツルマルツヨシも好きでした)
 ああ、でも、好きな馬って意味だとジャングルポケットのレースかな?あっちを選ぶかもしれません。

-----引用 ここから-----
5位 2000年 アグネスフライト 6票
17回目のダービー挑戦。河内洋騎手(当時)悲願のダービー初制覇に立ちはだかったのは、弟弟子の武豊騎手でした。最後の直線は、武騎手騎乗のエアシャカールと河内騎手騎乗のアグネスフライトとの一騎打ちに。壮絶なデッドヒートの末、わずかハナ差で河内騎手に軍配が上がりました。
-----引用 ここまで-----

 和田竜二、川田将雅騎手など。
 あれ、武豊騎手ここでもないです。結局、ランクインには入らず。
 本当、有名騎手が全然出てきませんでしたね。

 あと、番外編から一つ。

-----引用 ここから-----
1964年 シンザン
東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された1964年のクラシック戦線は、シンザンが席巻。
皐月賞に続いてダービーを快勝すると、秋には菊花賞を制し、セントライト以来23年ぶり、戦後初の三冠馬に輝きました。
-----引用 ここまで-----

 原田和真騎手のチョイス。そういや、ベスト5だとシンボリルドルフもいませんね。ここらへんは世代でしょうね。
(えっ、ミスターシービー?ミスターシービーは、うん、何というか……。ファンの方には申し訳ないですけど、タイミングが悪かったとしか言いようがないですね)

 もう一つ、松岡正海騎手のもの。マニアックすぎてわからん。

-----引用 ここから-----
1954年 ゴールデンウエーブ
日本中央競馬会誕生前夜の1954年5月、大井競馬から移籍したゴールデンウエーブが、地方競馬出身として、史上初のダービー制覇を達成しました。鞍上の岩下密政騎手は、トキノミノルに続く、2回目のダービー優勝の栄誉に浴しました。
-----引用 ここまで-----

 あとは戦前の牝馬ヒサトモや"10戦10勝の無敗でダービーを制したトキノミノルはダービー制覇のわずか17日後、破傷風によって急死しました"というトキノミノルがいました。
 おもしろい企画でしたが、有名ジョッキーがどれを選んだのかが気になって仕方ありませんでした。




■2013/5/21 ワカタカC ファンの選ぶ日本ダービー馬 第80回記念「ダービーメモリーズ」ファン投票
 全然知りませんでしたが、日本ダービー第80回記念「ダービーメモリーズ」ファン投票というのをやっていました。

-----引用 ここから-----
ダービーメモリーズ
 「ダービーメモリーズ」ファン投票は、今年第80回を迎える「日本ダービー」をより多くの方に楽しんでいただくために、日本ダービー当日行われる特別競走「ダービーメモリーズ」に、第1回優勝馬「ワカタカ」をはじめ過去の日本ダービー優勝馬の名前をつけることとし、ひろくファンの皆様から投票をいただきました。
 それぞれその世代を代表する日本ダービー馬とともに、当日のレースを盛り上げてまいりますので、ぜひご注目ください。
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 ただし、初代優勝馬ワカタカだけは、使用が決定していたようです。

-----引用 ここから-----
※     東京第11レースにつきましては 「1stダービーメモリーズ ワカタカカップ」として既にレース名が決定しておりました。
-----引用 ここまで-----

 プロフィール。

-----引用 ここから-----
■第1回優勝 ワカタカ
     
父     :     トウルヌソル
母     :     サラ系 種信
馬主     :     乾 鼎一氏
生産者     :     下総御料牧場
調教師     :     東原 玉造
騎手     :     函館 孫作
通算成績     :     21戦12勝
主な勝鞍     :     日本ダービー
    ワカタカ
     
デビュー戦は5着に敗れたが、その3週間後に東京競馬場で2着に10馬身差をつけて圧勝し、東京優駿大競走(現在の日本ダービー)に出走した。1番人気に応えてわずか3戦目で記念すべき第1回目のダービー馬となった。
-----引用 ここまで-----

 生産者が下総御料牧場でびっくり。ここは皇室の牧場ですね。
 昔は馬というのは今以上にずっと高価なものでしたから、競走馬を作っているところと言うと限られていたのかもしれません。

 父はトウルヌソルという日本を代表する名種牡馬。
 近年になってその名を冠したモンテトウルヌソルがいました。確か血統ではなく、名種牡馬にちなんでってことだったですし、それだけ良い種牡馬だったんでしょうね。

■2013/5/21 トキノミノルC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1932~1950s「ダービーメモリーズ」ファン投票
 1932~1950sの投票結果。

-----引用 ここから-----
1932~1950s ダービーメモリーズ トキノミノルカップ (京都第11レース)
順位     回     年度     優勝馬     票数
1     第18回     1951     トキノミノル     17,261
2     第10回     1941     セントライト     13,891
3     第12回     1943     クリフジ     9,310
4     第 2回     1933     カブトヤマ     3,482
5     第23回     1956     ハクチカラ     3,357
6     第 8回     1939     クモハタ     2,012
7     第21回     1954     ゴールデンウエーブ     1,635
8     第24回     1957     ヒカルメイジ     1,384
9     第26回     1959     コマツヒカリ     980
10     第 6回     1937     ヒサトモ     890
11     第16回     1949     タチカゼ     837
12     第19回     1952     クリノハナ     720
13     第25回     1958     ダイゴホマレ     707
14     第13回     1944     カイソウ     705
15     第20回     1953     ボストニアン     679
16     第11回     1942     ミナミホマレ     624
17     第15回     1948     ミハルオー     562
18     第22回     1955     オートキツ     507
19     第14回     1947     マツミドリ     465
20     第17回     1950     クモノハナ     401
21     第 5回     1936     トクマサ     313
22     第 3回     1934     フレーモア     252
23     第 4回     1935     ガヴアナー     201
24     第 7回     1938     スゲヌマ     188
25     第 9回     1940     イエリユウ     174
選択無     1,985
合計     63,522
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 セントライト、クリフジ、クモハタといった聞いたことのある馬が。
 セントライト記念の由来は知っていましたけど、カブトヤマ記念ってのもたぶんカブトヤマから取ったんでしょうね。知りませんでした。

 そんな中で選ばれたのはトキノミノル。

-----引用 ここから-----
■第18回優勝 トキノミノル
     
父     :     セフト
母     :     第弐タイランツクヰーン
馬主     :     永田雅一氏
生産者     :     本桐牧場
調教師     :     田中 和一郎
騎手     :     岩下 密政
通算成績     :     10戦10勝
主な勝鞍     :     皐月賞、日本ダービー
    トキノミノル
      デビュー時はパーフェクトの名で出走した。デビューから連戦連勝で、クリフジ以来史上2頭目となる無敗でのクラシック二冠を達成したが、ダービーの17日後に破傷風で急死した。
10戦10勝うちレコード勝ち7回という輝かしい成績を残し「幻の馬」と称された。1984年には顕彰馬に選出された。
-----引用 ここまで-----

 本当、幻の馬。これは心に残りますわ。

-----引用 ここから-----
トキノミノルは日本の競走馬である。10戦10勝・うちレコード優勝7回という成績でクラシック二冠を制したが、東京優駿(日本ダービー)の競走17日後に破傷風で急死、「幻の馬」と称された。戦後中央競馬で10走以上した馬で、唯一全勝を記録している[注 1]。主戦騎手は岩下密政。1984年、顕彰馬に選出。デビュー当初は「パーフエクト(パーフェクト。以下同様に記述)」の名称で出走していた。

1^ 戦前にクリフジが11戦11勝という成績を残している。

(略)

デビュー戦の圧勝と改名

1950年7月、函館競馬場に移動して初戦を迎えたが、競走2日前の発馬練習で気性の悪い部分を見せ、また全姉ダーリングも発馬に難のある馬だったため、一旦は出馬登録を拒否された。当時の有力馬主であった栗林友二の口利きで出走が認められるも、評価は1番人気から大きく離された2番人気(3頭立て)だった。

発走直前には再び暴れて騎手の岩下を振り落としたが、レースが始まると素直なスタートを見せ、先頭に立つ。道中でそのまま他馬を引き離すと、ゴールでは2着マッターホンに8馬身差をつけて優勝。勝ちタイム48秒1は芝800mの日本レコード、上がり3ハロン35秒0は当時としては驚異的な走破タイムであった。

当日の晩に田中が永田へ勝利報告の電話を掛けると、永田はパーフェクトを買ったことを忘れており、「何だそれは」と問い返したという。しかし数日後に田中厩舎を訪れた際には、田中と、挨拶に来ていた笠木を前に「君たちのお陰でダービーが取れるんだよ」と上機嫌であった。また永田はこの場でパーフェクトの競走名を「トキノミノル」に替えることを決定。この名前には「競馬に懸けた時が実るときが来た」という意味とされ、また「トキノ」については永田が尊敬していた菊池寛が使用した冠名の借用で、ダービーを意識する期待馬のみに使用するものだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%83%8E%E3%83%AB
-----引用 ここまで-----

 戦績はまさにパーフェクトでしたが、名前はパーフェクトじゃなくなったんですね。これまたドラマチックです。




■2013/5/21 シンザンC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1960s「ダービーメモリーズ」ファン投票
 1960sの投票結果。当然選ばれるであろうシンザンです。

-----引用 ここから-----
1960s ダービーメモリーズ シンザンカップ (東京第6レース)
順位     回     年度     優勝馬     票数
1     第31回     1964     シンザン     35,202
2     第32回     1965     キーストン     9,765
3     第27回     1960     コダマ     5,415
4     第30回     1963     メイズイ     3,013
5     第35回     1968     タニノハローモア     2,563
6     第36回     1969     ダイシンボルガード     2,454
7     第34回     1967     アサデンコウ     1,377
8     第33回     1966     テイトオー     1,279
9     第28回     1961     ハクシヨウ     663
10     第29回     1962     フエアーウイン     629
選択無     1,162
合計     63,522
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 2位のキーストンの方がなぜか聞いたことないですが、コダマはあります。

-----引用 ここから-----
■第31回 シンザン
     
父     :     ヒンドスタン
母     :     ハヤノボリ
馬主     :     橋元幸吉氏
生産者     :     松橋吉松
調教師     :     武田 文吾
騎手     :     栗田 勝
通算成績     :     19戦15勝
主な勝鞍     :     皐月賞、日本ダービー、
菊花賞、宝塚記念(’65)、
天皇賞(秋)(’65)、有馬記念(’65)

    セントライト以来23年振り、戦後初のクラシック三冠馬となった。当時牡馬が出走可能なGI級競走を全て制し、八大競走の勝利数から「五冠馬」と称された。競走成績19戦全てで連対し、1984年には顕彰馬に選出された。
種牡馬としては、クラシック二冠のミホシンザンなどを輩出した。
京都競馬場にはシンザンの銅像が設置されており、毎年1月の京都競馬では「シンザン記念」というレースが行われている。
-----引用 ここまで-----

 シンザンは本当歴史的な名馬ですね。つくづく父系で血が残らなかったのが残念です。

-----引用 ここから-----
引退後は種牡馬となったが、当時は海外から輸入した種牡馬の活躍が著しく、内国産種牡馬の成績は低迷していた。そのような状況に配慮して、シンザンを繋養した谷川牧場は、「儲けることよりもシンザンの血統を後世に伝えることが重要」と考え、シンザンの種付け料は20万円に設定された。なお、競走馬引退後のシンザンの世話は谷川牧場の従業員・斉藤優が担当した。

スガノホマレがレコードタイムを5回記録し、シルバーランドが日本で初めて芝2000メートルで2分を切るタイムを記録するなど産駒がスピードを示すようになると、シンザンの種牡馬としての人気は次第に高まり、1978年の5位を最高に合計7回種牡馬ランキングのトップ10に入った。ライターの山河拓也は、シンザンの活躍によって内国産種牡馬が見直され、アローエクスプレスやトウショウボーイの活躍に繋がったとしている。1980年代に入ると種牡馬成績は次第に下降し、1980年に内国産種牡馬1位の座をアローエクスプレスに奪われ、1985年にはリーディングサイアートップ10から陥落した。

産駒からは八大競走などの大レースを勝つ馬がなかなか出なかったが、1981年にミナガワマンナが菊花賞に優勝した。この時点でシンザンは高齢であったためミナガワマンナは「シンザン最後の大物」とも呼ばれたが、さらにそのあと代表産駒となる二冠馬ミホシンザンが登場した。

シンザンはミホシンザンが天皇賞(春)を制した1987年に、受精能力低下により種牡馬を引退した。最終的に産駒の重賞勝利数は49勝に達した。この記録は戦後の内国産馬としてはフジキセキ、トサミドリに次ぐ第3位である。また、1969年 - 1992年には産駒24年連続勝利の記録を打ち立てた。これはのちにノーザンテーストが更新するまで日本最長記録だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%B3
-----引用 ここまで-----

■2013/5/21 タケホープC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1970s「ダービーメモリーズ」ファン投票
 1970sの投票結果。

-----引用 ここから-----
1970s ダービーメモリーズ タケホープカップ (東京第7レース)
順位     回     年度     優勝馬     票数
1     第40回     1973     タケホープ     17,442
2     第42回     1975     カブラヤオー     13,454
3     第46回     1979     カツラノハイセイコ     8,745
4     第37回     1970     タニノムーティエ     4,860
5     第38回     1971     ヒカルイマイ     4,227
6     第43回     1976     クライムカイザー     3,708
7     第39回     1972     ロングエース     3,011
8     第44回     1977     ラッキールーラ     3,006
9     第45回     1978     サクラショウリ     3,000
10     第41回     1974     コーネルランサー     858
選択無     1,211
合計     63,522
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 ここらへん来ると聞いたことある馬多いですね。カブラヤオー、カツラノハイセイコ、タニノムーティエ、ロングエースあたりは確実に覚えがあります。
 サクラショウリも聞いた覚えあるものの、ありそうな名前ですので記憶違いかも。

-----引用 ここから-----
■第40回 タケホープ
     
父     :     インデイアナ
母     :     ハヤフブキ
馬主     :     近藤たけ氏
生産者     :     谷川牧場
調教師     :     稲葉 幸夫
騎手     :     嶋田 功
通算成績     :     19戦7勝
主な勝鞍     :     日本ダービー、菊花賞、
天皇賞(春)(’74)

      ハイセイコーのライバルとされ、日本ダービー、菊花賞を制した二冠馬。
ダービーでは、単勝支持率66.6%の圧倒的支持を得たハイセイコーを差し切って優勝し、菊花賞でもハイセイコーにハナ差で勝利し二冠馬となる。翌年には天皇賞(春)も勝利。
-----引用 ここまで-----

 ハイセイコーは人気という意味で、すごい馬でしたね。歴史的な人気馬です。
 タケホープは憎まれ役にはならなかったんでしょうか?

-----引用 ここから-----
3歳~4歳時

1972年7月15日に東京競馬場で行われた新馬戦でデビュー、単勝1番人気に応え勝利した。ところが2勝目をあげるのに手間取り、2勝目を上げたのは年が明けた1973年1月の200万下条件戦の若竹賞での事だった。その後、皐月賞を目指して東京4歳ステークスに出走したが3着、弥生賞はハイセイコーの前に7着と敗れ、皐月賞出走は叶わなかった。

皐月賞に出る事ができなかったタケホープはダービー出走を掛けて、東京競馬場で行われた四歳中距離特別に出走。サクラチェスにハナ差の勝利を収め、日本ダービー出走にこぎつけた。この時、タケホープの主戦騎手だった嶋田功は「ハイセイコーが四ツ脚なら、こっちだって四ツ脚だよ」という発言をしている。周囲やマスコミには皮肉としか受け取られなかったが、嶋田とタケホープを管理する稲葉幸夫調教師はそれなりの勝算を持っていたという。

日本ダービーでは、単勝支持率66.6パーセントという圧倒的支持を得たハイセイコーに対し、タケホープは9番人気に過ぎなかった。だが、レースでは最後の直線で先頭に立ったハイセイコーを差し切り勝利した。ハイセイコーは1秒弱離された3着に敗れている。

秋初戦は京都新聞杯から始動しハイセイコーと再び対決したが、ハイセイコーが2着だったのに対し、タケホープは6番人気と低評価だった上に8着と大敗した。この京都新聞杯の結果が影響したのか、クラシック三冠最終戦の菊花賞では、嶋田が落馬負傷するアクシデントで急遽武邦彦に乗り替わった事も不安視されて、6番人気と低評価だった。だが、レースではマッチレースの末にハイセイコーをハナ差で下し、二冠馬となった(2012年現在、日本ダービーと菊花賞の二冠馬はタケホープの他にはクリフジのみ。どちらも皐月賞不参戦馬である)。年末にはこの年の優駿賞年度代表馬及び最優秀4歳牡馬に選出された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%97
-----引用 ここまで-----

 憎まれ役っていう話はWikipediaにはありませんでした。




■2013/5/21 シンボリルドルフC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1980s「ダービーメモリーズ」ファン投票
 1980sの投票結果は当然シンボリルドルフ。ダービーだと歴史的な名馬がザクザク出てきて、鼻血出そうです。

-----引用 ここから-----
1980s ダービーメモリーズ シンボリルドルフカップ (東京第8レース)
順位     回     年度     優勝馬     票数
1     第51回     1984     シンボリルドルフ     32,203
2     第50回     1983     ミスターシービー     13,502
3     第54回     1987     メリーナイス     4,019
4     第53回     1986     ダイナガリバー     3,123
5     第56回     1989     ウィナーズサークル     2,904
6     第55回     1988     サクラチヨノオー     1,946
7     第47回     1980     オペックホース     1,706
8     第49回     1982     バンブーアトラス     1,249
9     第48回     1981     カツトップエース     964
10     第52回     1985     シリウスシンボリ     913
選択無     993
合計     63,522
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 1980年代くらいからは完璧にわかっても良さそうですが、オペックホース、カツトップエースが全く聞いたことありませんでした。
 そして、シリウスシンボリって何でこんなに票数少ないんでしょう?日本の競馬としてはたいへん重要な馬ですけどね。不思議。

-----引用 ここから-----
1984年9月16日、中山競馬場の新馬戦1着でデビュー。次走は斜行のため失格となり、3走目は2着と敗れるが、府中3歳ステークス、若葉賞と連勝した。皐月賞は馬主の和田共弘と調教師の二本柳俊夫の対立(シリウスシンボリ移籍事件、詳細は二本柳俊夫を参照)の影響で出走できず、若葉賞の次は東京優駿(日本ダービー)に出走し、皐月賞を5馬身差で優勝したミホシンザンが骨折で回避したこともあり単勝1番人気に推された。レースは荒れた重馬場の中、ほぼ全頭が大外ラチ沿いを回る異例の展開となった中、スダホークを3馬身差で下し優勝馬になった。

東京優駿(日本ダービー)後はシンボリルドルフに帯同して海外に遠征する予定であったが、シンボリルドルフが故障のため遠征を中止したことから、単独で渡欧した。日本に戻ったのは1987年の秋になったため、同世代の二冠馬ミホシンザンとは一度も対戦していない。海外では14走してバーデン大賞 (GI) 4着、フォワ賞 (GIII) 2着やロワイヤルオーク賞 (GI) 3着などの成績を残し、シーシック賞では1番人気に推されたが3着と勝利することはできなかった。また凱旋門賞にも出走し、結果はダンシングブレーヴの14着ではあるが、まれにみる高レベルのレースのなかで積極的にレースを運んでの14着である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AA
-----引用 ここまで-----

 さて、シンボリルドルフの方。

-----引用 ここから-----
■第51回優勝 シンボリルドルフ
     
父     :     パーソロン
母     :     スイートルナ
馬 主     :     シンボリ牧場
生産者     :     シンボリ牧場
調教師     :     野平 祐二
騎手     :     岡部 幸雄
通算成績     :     16戦13勝(内海外成績1戦0勝)
主な勝鞍     :     皐月賞、日本ダービー、
菊花賞、有馬記念(’84・’85)、
天皇賞(春)(’85)、
ジャパンカップ(’85)
    シンボリルドルフ
      史上4頭目のクラシック三冠馬で、初めて無敗で三冠を達成した。
1984年、1985年と2年連続でJRA賞年度代表馬となり、1987年には顕彰馬に選出される。GIレースを7勝し、その成績や馬名から「皇帝」「七冠馬」とも称された。
引退後は種牡馬として活躍し、GIレース4勝の二冠馬トウカイテイオーなどを輩出。
-----引用 ここまで-----

 シンボリルドルフの血統も続いて欲しかったなぁ……。たいへん残念です。

-----引用 ここから-----
シンボリルドルフは公開入札という広く株主を募集する手法で10億円(2000万円×50株)のシンジケートが組まれ、北海道門別町のシンボリ牧場で種牡馬生活に入った。1世代目の産駒が1990年にデビューし、そのなかから自身に勝るとも劣らないGI4勝の二冠馬トウカイテイオーを出した。このトウカイテイオーにより父子2代連続の無敗での皐月賞・東京優駿の二冠制覇を達成した。2世代目の産駒からも4歳牝馬特別、東京新聞杯優勝のキョウワホウセキや、ステイヤーズステークス優勝、宝塚記念2着のアイルトンシンボリ、フランスの重賞で2着に入ったジャムシードを輩出した。1994年にはアイルトンシンボリらの活躍により生涯の最高位となる種牡馬ランキング6位に入った。その後中央競馬の重賞馬を出せないでいたが、1999年にツルマルツヨシが朝日チャレンジカップ、京都大賞典に優勝した。

2000年に行われた「20世紀の名馬大投票」で22,521票を獲得し、6位に選出された。ちなみに1位はナリタブライアンで、得票は37,798票だった。また、雑誌『Number』で行われた競馬関係者による「20世紀の名馬アンケート」ではシンザンに次ぐ2位に選ばれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95
-----引用 ここまで-----

 ツルマルツヨシは期待していて種牡馬入りもしたんですけど、まあ、やっぱりすごい子は出ませんでした。

■2013/5/21 ナリタブライアンC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1990s「ダービーメモリーズ」ファン投票
 1990sの投票結果も三冠馬。大体三冠馬ですね。

-----引用 ここから-----
1990s ダービーメモリーズ ナリタブライアンカップ (京都第9レース)
順位     回     年度     優勝馬     票数
1     第61回     1994     ナリタブライアン     16,510
2     第58回     1991     トウカイテイオー     13,067
3     第65回     1998     スペシャルウィーク     10,466
4     第59回     1992     ミホノブルボン     6,159
5     第60回     1993     ウイニングチケット     4,000
6     第57回     1990     アイネスフウジン     3,711
7     第64回     1997     サニーブライアン     3,231
8     第63回     1996     フサイチコンコルド     2,511
9     第66回     1999     アドマイヤベガ     1,916
10     第62回     1995     タヤスツヨシ     1,392
選択無     559
合計     63,522
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 しかし、ここは票が割れましたね。それだけ豪華だったということでしょうか?
 あと、サニーブライアンの方がフサイチコンコルドやアドマイヤベガより上ってのはちょっと意外でした。

-----引用 ここから-----
■第61回優勝 ナリタブライアン
     
父     :     ブライアンズタイム
母     :     パシフィカス
馬主     :     山路秀則氏
生産者     :     早田牧場新冠支場
調教師     :     大久保 正陽
騎手     :     南井 克巳
通算成績     :     21戦12勝
主な勝鞍     :     朝日杯3歳ステークス(’93)、
皐月賞、日本ダービー、
菊花賞、有馬記念(’94)

      史上5頭目の三冠馬。「ビワハヤヒデの弟」としてデビュー時より注目を集める。気性改善のために装着したシャドーロールが代名詞的な存在となり、「シャドーロールの怪物」とも呼ばれた。
朝日杯3歳ステークスから有馬記念までクラシック三冠を含むGIレースを5連勝して、1994年のJRA賞年度代表馬に選出され、1997年には顕彰馬にも選出された。
-----引用 ここまで-----

 ナリタブライアンは早世してしまったのが、たいへん残念です。有力馬も残せませんでした。

-----引用 ここから-----
第26回高松宮杯出走後に発症した屈腱炎が原因となって1996年10月に競走馬を引退した。競走馬を引退したあとは種牡馬となったが、1998年9月に胃破裂を発症し、安楽死の措置がとられた。(略)

牡馬としてのナリタブライアン

ナリタブライアンは2世代にわたって産駒を残しており、死亡から2年後の2000年に1世代目が、翌2001年に2世代目がデビューした。しかし、重賞を勝つ馬は出なかった(重賞ではマイネヴィータ・ダイタクフラッグが記録した2着、GIでは2002年皐月賞でダイタクフラッグが記録した4着が最高着順)。また、1頭も後継種牡馬を残すことが出来なかった。産駒に牝馬が多かったため、母の父として血を残すことが期待されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3
-----引用 ここまで-----

 有力馬の集まる2世代で重賞馬が出なかったところを見ると、大物は出なかったかもしれませんけど、やはり残念なことには変わりありません。




■2013/5/21 ディープインパクトC ファンの選ぶ日本ダービー馬 2000s「ダービーメモリーズ」ファン投票
 2000sの投票結果もやっぱり三冠馬。

-----引用 ここから-----
2000s ダービーメモリーズ ディープインパクトカップ (京都第10レース)
順位     回     年度     優勝馬     票数
1     第72回     2005     ディープインパクト     28,488
2     第74回     2007     ウオッカ     16,687
3     第71回     2004     キングカメハメハ     5,628
4     第68回     2001     ジャングルポケット     4,011
5     第67回     2000     アグネスフライト     2,103
6     第73回     2006     メイショウサムソン     2,070
7     第69回     2002     タニノギムレット     1,505
8     第75回     2008     ディープスカイ     1,329
9     第70回     2003     ネオユニヴァース     1,253
選択無     448
合計     63,522
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 対象は2009年までで、今年初め時点での現役馬を除く……でした。
 この条件で外れたのは2009年の勝ち馬ですね。ロジユニヴァースです。
 というか、まだ現役だったんだ……。

 私は好きな馬ということでジャングルポケット。票数見ると意外に検討しています。
 地味くさいメイショウサムソン(でも、好きでした)が良くって、タニノギムレットやディープスカイという強かったなぁと思う馬が不人気。よくわからないですね。
(ディープスカイよくよく見ると、ダービー以降3着を外していないものの、G1勝ってなかったんですね)

 あと、タニノギムレットとウオッカが、親子で同じランキングに入っていて笑いました。早く引退しましたからね。

-----引用 ここから-----
■第72回優勝 ディープインパクト
     
父     :     サンデーサイレンス
母     :     ウインドインハーヘア
馬主     :     金子真人氏
生産者     :     ノーザンファーム
調教師     :     池江 泰郎
騎手     :     武 豊
通算成績     :     14戦12勝(内海外成績1戦0勝)
主な勝鞍     :     皐月賞、日本ダービー、
菊花賞、天皇賞(春)(’06)、
宝塚記念(’06)、
ジャパンカップ(’06)、
有馬記念(’06)

      “皇帝”シンボリルドルフに次ぐ、史上2頭目の無敗の三冠馬。
2005年、2006年と2年連続でJRA賞年度代表馬に選出され、2008年には顕彰馬にも選出された。騎乗した武豊騎手が「空を飛ぶような走り」と表現し、その走りについてはストライド(歩幅)や走行フォームに至るまであらゆる角度から科学的に分析されるなどして注目を集めた。
-----引用 ここまで-----

 ディープインパクトは種牡馬としても成功しそうで、今年のダービー1番人気もディープインパクト産駒のキズナです。

-----引用 ここから-----
2010年(平成22年)に初年度産駒がデビューした。6月26日に福島競馬場で行われたメイクデビュー福島にてサイレントソニックが勝利し、産駒の中央競馬初勝利を記録した。その後も産駒の勝利数は順調に増え続け、11月21日に京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でボレアスが勝利し、産駒26頭目の勝ち馬となり、2005年(平成17年)にアグネスタキオンが記録した25頭を抜きJRA2歳新種牡馬の勝馬頭数の新記録を達成。さらに11月27日には京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でハッピーグラスが勝利して、産駒のJRA通算勝利数が31勝となった。これにより父サンデーサイレンスが持っていた種牡馬供用初年度のJRA通算勝利数30勝の記録を16年ぶりに更新した。さらに12月25日には阪神競馬場で行われたラジオNIKKEI杯2歳ステークスでダノンバラードが1着になり、産駒初の重賞制覇となった。最終的に初年度産駒がJRAの2歳戦で41勝し、総獲得賞金5億3704万3000円をあげた結果、ディープインパクトは2010年度のJRA2歳リーディングサイアーに輝いた。なお、この産駒出走初年度の総獲得賞金記録も、サンデーサイレンスが持っていた4億9062万5000円の記録を16年ぶりに更新することとなった。

2011年(平成23年)にはマルセリーナが桜花賞を制し、産駒のGI競走およびクラシック初制覇を果たした。(略)

2012年(平成24年)に入ると、ジェンティルドンナが桜花賞を制し、産駒初の重賞2勝馬の誕生となった[注 18]。後に同馬は優駿牝馬、秋華賞も制し、牝馬クラシック三冠を達成すると同時に、日本競馬史上初の親子での三冠馬となった[注 19]。さらに同馬は3歳牝馬として初めてジャパンカップも制し、同競走では史上3組目となる父仔制覇となった。4月15日にはフランスのグロット賞 (G3) をビューティーパーラー (Beauty Parlour) が勝利し、産駒初の日本国外重賞初制覇を果たした。同馬は続く5月13日、プール・デッセ・デ・プーリッシュ(フランス1000ギニー) (G1) にも勝利し、日本国外のG1競走初制覇も達成した。そして5月27日に行われた第79回東京優駿(日本ダービー)でディープブリランテが優勝し、史上7組目の父仔ダービー制覇を成し遂げた。最終的には産駒がG1・5勝を含む重賞18勝を挙げるなど活躍し、初のJRAリーディングサイアーに輝いた。産駒はJRAで216勝を挙げたが、これはキングカメハメハの184勝(2011年)を塗り替える、内国産種牡馬のJRA年間勝利数の新記録である。また、JRA2歳リーディングサイアーの座も獲得した。種牡馬デビューから3年連続での2歳リーディングサイアー獲得は、父・サンデーサイレンスも成し得なかった快記録である。なお、中央・地方合算の全国リーディングも獲得している。これらの産駒の活躍で翌2013年の種付料は、種付時までに全納のみで1,500万円(不受胎時全額返還)にまで値上げされたが、すぐにBOOK FULLとなるなど、サンデーサイレンスの後継種牡馬の一頭と目されている。なお、東京優駿とジャパンカップをそれぞれ別の馬で父仔制覇を成し遂げたのはディープインパクトが初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88_%28%E7%AB%B6%E8%B5%B0%E9%A6%AC%29
-----引用 ここまで-----


■2013/3/22 日本で最高評価のレースはジャパンカップで世界10位 有馬記念は宝塚より下


 世界で高評価の国内レースは (文 有吉正徳    2013年3月22日 朝日新聞)によると、国内最高の評価を受けたレースはジャパンカップ。世界10位でした。
 これは、国際競馬統括機関連盟は世界のGIレースの上位50レースを選び、そのランキングを発表したものによります。日本からはジャパンカップのほか宝塚記念(17位)、有馬記念(19位)、天皇賞・秋(20位)の4レースがランクインしました。

 釈然としない順番だろうと思いますが、決め方は以下。

-----引用 ここから-----
 レースの順位は2010~12年の3年間のレースレベルを数値化し、その平均値で決められた。それぞれのレースの数値は上位4頭の成績を基に決められた。出走馬が粒ぞろいであればあるほどレースの数値は上がる。
-----引用 ここまで-----

 1位も変なレースになっています。2位・3位もマイル戦で違和感があります。

-----引用 ここから-----
 1位になったのは英チャンピオンSだった。理由は怪物フランケルだ。その生涯成績14戦14勝というフランケルが昨年、引退レースに選んだのがチャンピオンS。フランケルが優勝したことでレースの価値が一気に上がった。2位は米ブリーダーズカップマイルで、3位はフランスの凱旋門賞とジャック・ル・マロワ賞が並んだ。
-----引用 ここまで-----

 あとこのやり方だと、3歳戦は悪く出ているのかも。ヨーロッパと言えば、3歳馬なのに…。