■2021/05/23 岡田繁幸氏の訃報にファンが熱いコメントを寄せる
■2021/05/23 急死した岡田繁幸血統の馬で、ラフィアン初のクラシック制覇!
■2021/09/01 契約寸前まで行った住宅「種牡馬を買うからごめん」と解約に
■2021/09/01 取材先に偶然いた岡田繁幸氏、初対面の記者相手に2時間しゃべり倒す
■2018/07/29 複数の意味で名馬スーパークリークを生み出したのが岡田繁幸氏
■2019/06/26 重賞馬はラフィアンだらけ…関係が深かった中村均調教師
■2019/06/26 100万円の馬を買うのに奥さんに相談してた岡田繁幸さん
■2018/03/15 岡田繁幸伝説 米博物館で写真間違い指摘、スタッフびっくり
コスモオーナーズの鈴木秀敏さんは、キーンランド(アメリカ・ケンタッキー州)のセプテンバーセールの合間にケンタッキーホースパークに昼食を兼ねて訪れました。
で、博物館を見学していると、いっしょにいた岡田繁幸さんが、アメリカ三冠馬シアトルスルーとして紹介されている展示物を見るなり、以下のように断言。
「この写真、違う馬だよ。シアトルスルーではなく、フォアゴーだと思うよ。体の造りが違うよ。トモの付く位置と地面を蹴った時の飛節がシアトルスルーではないんだ。この馬はフォアゴーなんだよな……」
(Our Pleasure2017年11月号より)
すぐに手元のスマートフォンでシアトルスルーとフォアゴーの写真を検索すると、確かに指摘通り。館内のスタッフに声をかけて一連の流れを説明し、展示物の写真と検索した写真を照合してもらったところ、スタッフが非常に驚いていたとのことです。
岡田さんは結構予想を外しますし、大ぼらみたいなことも言いますけど、こういうところはさすが。職人肌ですね。
2021年3月に岡田繁幸さんが亡くなっていたと、だいぶ経ってから知って驚きました。ビッグレッドファームグループでは広報誌が廃止されたので、体調を崩していたという話も知らなかったですね。まだ71歳。今の時代なら「早すぎる」という死でしょう。私は岡田繁幸さんに惚れてラフィアンに入ったクチなので、ショックが大きいです。(ただし、入ってすぐに長男さんに譲ってラフィアンを辞められてしまったので、勝手に騙されたような気分でした)
<「マイネル軍団」の総帥として知られる岡田繁幸氏が19日、亡くなったことが分かった。死因は不明。ちょうど71歳の誕生日だった>
(“相馬眼の天才”岡田繁幸総帥が死去 | 競馬ニュース - netkeiba.com 2021年03月19日(金) 21時08分より)
岡田繁幸さんは個性が強く、嫌いな人も多かった一方で、ファンも多かったです。訃報に際しては、コメント欄での熱いコメントも多く、目頭が熱くなりました。
<岡田総帥はいい意味で永遠の競馬少年という印象でした。
パドック解説など聞いていると、本当に競馬がお好きで情熱を注いでらっしゃるのだなあと感じられたし、とても楽しかったです。
個人的に一番印象に残るとなるとコスモバルクでの挑戦になりますかね…
道営所属のまま走らせ続けることや調整方法に賛否両論飛ぶこともありましたが、
真っ直ぐな理念と強い信念を感じました。
ご自身ではクラシック制覇は叶いませんでしたが、残されたスタッフの皆さん、
会員の皆さん、ゆかりの馬たちで夢を叶えて欲しいと切に願います>
■2021/05/23 急死した岡田繁幸血統の馬で、ラフィアン初のクラシック制覇!
で、このタイミングでついにビッグレッドファームのクラシック初制覇が来ましたよ。最近長男さんのラフィアンが冴えず、退会して弟さんのウイン一本で行こうと思っていたところなのですが、ラフィアンの方です。ユーバーレーベンがオークスを制覇しました!(でもラフィアンは退会します)
鞍上が初G1か?ってほど喜んでいるように見えたので、未勝利でもガッツポーズするラフィアン主戦の柴田大知騎手がまさかの好騎乗?と一瞬思ってしまいましたが、柴田大知騎手はユーバーレーベンに一度乗っただけで、しかも、ユーバーレーベン唯一の着外という方。今回はミルコ・デムーロ騎手でした。ミルコ・デムーロ騎手は以前と比べて成績が落ちて悪く言われていますし、G1勝利は嬉しかったんでしょうね。気持ちが入っていました。ミルコ・デムーロ騎手の勝利に感動している人も多かったです。
この話は最初、ラフィアンはなんで三流騎手使うの?と書いていた話に追記しようとも思っていたのですが、騎手が良ければラフィアンはもっと勝てるのに!といった反応も今回ありました。出資者としても騎手だけは本当いつも不満。もう少し良い騎手に乗ってもらって、岡田繁幸さんが生きていらっしゃるうちにクラシックを制覇しておきたかったですね…。
ああ、あと、ゴールドシップ産駒のG1に感動している人も多かったです。ユーバーレーベンは父が岡田繁幸さんが種牡馬として惚れ込んでいたゴールドシップですから、そういう意味でも感動的ですね。私なんかはゴールドシップのことを、オルフェーヴルの劣化コピー種牡馬などと見る目のないことを言っていました。ホントすみません。
また、ユーバーレーベンはクラシックを期待されたマイネヌーヴェルの孫というラフィアン血統。マイネヌーヴェルの兄弟マイネルチャールズもクラシックが期待された馬でしたし、戦績は両馬ほどではありませんでしたが、ユーバーレーベンの兄マイネルファンロンも私はクラシックを期待した馬でした。
マイネヌーヴェルの母マイネプリテンダーから4代続くマイネル血統でのクラシック制覇というのも、感慨深いものがあるでしょう。いわば父も母系も岡田繁幸さんが見出した馬でのクラシック制覇。本当、生きていらっしゃれば…と、残念でなりません。
2023/06/25追記:正直あんまり関係ないんですが、2017年度・好きな2歳牡馬候補にリストアップしたときのマイネルファンロンのメモが出てきたので、転載しておきます。
<2017年度・好きな 2歳牡馬>
マイネルファンロン (岡田繁幸にまとめ予定)
好きだったマイネヌーヴェルの孫で、やはり好きだったマイネルチャールズの甥ということで指名。マイネヌーヴェルは子供世代ダメだったのが、孫世代ならと思う。
初戦の1800はほとんど促していたが、反応せず。距離伸びてと言われていた。その距離延長の2000となった2戦目では快勝。まだ1勝だけど、好きな血統だけに期待。(2017/10/09)
■2021/09/01 契約寸前まで行った住宅「種牡馬を買うからごめん」と解約に
岡田繁幸さんへのファンのコメント。他にも紹介したいものがあった気がしたので忘れてしまいました。改めて読み直して印象に残ったものを。“マイネル軍団総帥”岡田繁幸氏死去 コスモバルクなど発掘した“相馬眼の天才” | 競馬ニュース - netkeiba.comは、熱いというよりはほのぼのしたコメントがいくつかついていました。
https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=185322
<よく函館競馬場のフードコートでお見かけしましたよ。楽しそうにセルフサービスでラーメンを召し上がっておられた姿が印象的でした。
ひときわ背が高くそれでいて穏やかな口調で存在感があって、説得力があってまさに総帥。
私も短い間だったけど、ラフィアン会員になれたことは誇りです>
<今から24年くらい前に中古の高級住宅を販売した時に契約寸前で断られた、理由はザグレブと言う種牡馬を購入し予算が無くなったと、、、 イギリスの新聞を見せられて、とても穏やかな人で紳士でした。
その時はまだ競馬をあまり知らなくてコスモバルクが活躍した時に思い出した。
確かザグレブだったような それからはファンになりました>
<グリーンチャンネルでゲスト解説で来ると、不思議と人気薄のマイネルが激走して、その度バツの悪そうな顔で喋ってたのが大好きでした。
もうあのやり取りが見られないのは残念です>
<ホントに残念。あのラッパも聞けなくなると寂しい。人も馬も育てる素晴らしいオーナーでしたね。かえすがえす残念>
■2021/09/01 取材先に偶然いた岡田繁幸氏、初対面の記者相手に2時間しゃべり倒す
上記コメントの最後にあった「ラッパ」というのは「ほら」「大げさな話」のことですね。「ホラを吹く」と同じ意味で「ラッパを吹く」とも言うことがあります。
魅力ある人柄…いつしか“信者”になっていた 岡田繁幸氏の死を悼む | 競馬ニュース - netkeiba.comという記事のデイリースポーツの競馬担当・村上英明記者によると、ナイママ、トラスト、エンで「英国ダービーに出走させたい」と話し、「“また岡田がホラ吹いている”とネットに書かれちゃうな」と楽しそうに笑っていたといいます。
この村上英明記者は、プレイアンドリアルが、北海道から東京競馬場に入厩した時に取材していてたまたま出会ったのが初対面。2時間を優に超えて語られたのには正直、閉口したとのこと。馬のことならいくらでも話せてしまう…というのが、実に岡田繁幸さんらしいです。
https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=185321
そんな迷惑な目にあったものの、「それでも魅力ある人柄からだろう。いつしか自分は“岡田信者”となっていた」といいます。
コスモバルクについても<「地方競馬活性化のため、地方競馬関係者に勇気を持ってもらうため、地方競馬所属のまま中央のクラシックや大きなレースに勝つ。それが私の夢」とアツく語っていた>といいます。本当熱いですよね。こちらのコメントではそういった熱い系のものが見られました。
<岡田さんは人を惹きつけるものがあった。
この方の見方が正しい間違ってるじゃなくて。
競馬を楽しめる面白さがあった。
大きなことを言うと客観的にはご自身いろいろ言われるだろうと思っていても。
堂々と夢を語ることをやめない。
今思えばこの方そういう面では純真無垢。
そういうとこも惹きつけられた。
大きな存在を失ってしまった>
<「馬を見る天才」この単語を生み出されるきっかけになった人でもありますし実際に見出し方は驚くべきものがありました。。
血統でしか見れない素人からすれば信じられない相馬眼。そして冒険者でもあった>
■2018/07/29 複数の意味で名馬スーパークリークを生み出したのが岡田繁幸氏
スーパークリークは、1980年代後半に巻き起こった第二次競馬ブーム期において、オグリキャップ、イナリワンとともに「平成三強」と呼ばれたスターホースです。春秋の天皇賞を優勝しているんですけど、最初の大きな勲章は菊花賞でした。
ただ、この菊花賞は、岡田繁幸さんが出走枠を譲ったことによって参戦が可能になったというものだったそうです。
岡田繁幸さんのスーパークリークとの関わりは、これだけではありません。上記の話があったOur Pleasure 2018年4月号 ザ・ブラッド 血統表を紐解く!(T.I.S)は、スーパークリークの父ノーアテンション(父はニジンスキー系のグリーンダンサー)に関するもの。
まず、ノーアテンションを日本に買い求めたのは、現在、岡田繁幸さんのビッグレッドグループの一つであるコスモヴューファームとなっている稗田牧場の稗田実さん(故人)。ノーアテンションは稗田牧場でオグリキャップの父となるダンシングキャップとともに繋養されていました。
稗田さんは、岡田繁幸さんと親交がありました。また同じくつきあいのあった相馬牧場場主の相馬和胤さんが所有したナイスデイ(父インターメゾ)に、岡田繁幸さんはノーアテンションとの交配を勧めました。これで誕生したのがスーパークリーク。つまり、スーパークリークの配合を勧めたのが、岡田さんだったんですね。スーパークリークの生みの親みたいなものです。
これは岡田繁幸伝説の一つと言って良いと思うのですけど、それでいて自身の馬ではまだクラシック未勝利。スーパークリークのような名馬も生まれていません。
これもまた岡田繁幸さんらしいと言えば、らしいのですけど…。
■2019/06/26 重賞馬はラフィアンだらけ…関係が深かった中村均調教師
岡田繁幸さん関係ということでの追記ですが、 Our Pleasure2018年6月号の中村均調教師の記事からということで、中村調教師の話でもあります。
2007 年9 月8 日(土)中山競馬場でマイネルキーロフが勝利。第9R 白井特別であり、なんてことないように感じるのですが、実は大記録。「開催11 週連続勝利」だったんです。2017年に更新されるまで10 年間破られなかった記録です。
この11連勝には、他にもラフィアンの馬がいました。スタートがマイネルダイナモで、マイネブリッツ、マイネルガンツ、マイネルアトレ、マイネアプレイザー、マイネルテセウスがいました。私はマイネルガンツを応援していたので、よく覚えています。
(全然関係ないのですけど、中村厩舎ではそのマイネルガンツなど、異常に故障が続出した時期があった記憶があります。あれも結構すごい記録じゃないかなぁ?)
朝日杯(G1)を制したマイネルマックスやドバイへ遠征したマイネルセレクトなど、中村厩舎のラフィアン所属馬での重賞勝利はのべ15 勝で4割以上。関係の深い厩舎なんですね。
中村調教師とラフィアンとの縁は1985年。北海道の新和の牧場でヤマニンの冠名で知られる土井睦秋さんに「競馬に熱心で面白い男がいる。会ってみないか」と言われて会ったというのがきっかけ。以下のような岡田繁幸さんらしい逸話を語っています。
「すぐに土井さんが電話して駆けつけてきたのが岡田繁幸さんだった。当時の岡田さんの牧場は浦和しかなかったんだけれど、その浦和から車を飛ばして40分。本当にすぐにきたんだ。これだけでも情熱があるな、と思ったよ」
「第一印象? そうだな。今だから言えるが、話がとにかく壮大すぎて。大ホラ吹きか、と思ったよ。でも途中で気づいた。話ぶりにすごく熱がこもっていることに。そしてなにより目の輝きがすごかった。これは本物かもしれん、そう思えてきてね」
■2019/06/26 100万円の馬を買うのに奥さんに相談してた岡田繁幸さん
一方で今の岡田繁幸さんとは異なる話も。「当時の岡田さんはまだ資金力に乏しくてね。100万円の馬を買うのにも悩み抜いて奥さんに相談するくらいだった」といいます。
とはいえ、 上記に続く以下のような話は、現在と同じですね。非常にらしいです。
「それでも『見る目を養って良い馬を買って鍛えて走らせたい。そして、良血馬や高い馬を負かしたいんだ』と語っていた。これはまさに同感だったね。この人と一緒にやってみたい、と思うようになった」
「一流の血統の馬を一流に育てるのもプロだけど、二流の血統の馬で一流の馬を負かすのも立派なプロ、そんな共通意識も岡田さんとの間には芽生えていたように思う」
また、会ってすぐに安馬を預かって厩舎で走らせたそうな。安馬でも中央で勝つことができました。古すぎて情報不足ですが、中央獲得賞金959万とのこと。ここらへんは岡田繁幸さんの相馬眼エピソードでもあります。
「岡田さんがそのときにいきなり財布の中から写真を取り出してさ。『この馬、安い馬だけどきっと良い馬なんだ。預かってほしい』と言われてね」。その馬がクラウンレッド。新馬戦で5着すると、2 走目も5 着。3 走目となる新馬戦(引用者注:当時は同開催なら何度も新馬戦に出れた)で優勝した」