2023年8月15日火曜日

知らないうちに生まれてたブレイクタイムが活躍 谷口牧場と浦河育成センター

■2017/10/26 知らないうちに生まれてたブレイクタイムが活躍 谷口牧場と浦河育成センター
■2022/04/13 G1勝っていた…と思ったら勝ってなかったブレイクタイム


■2017/10/26 知らないうちに生まれてたブレイクタイムが活躍 谷口牧場と浦河育成センター

 Enjoy Ruffian 2010年3月号 ルーツ オブ ビクトリー〈最終回〉村本浩平 マイネナデシコ/谷口牧場は、マイネナデシコの故郷である浦河・谷口牧場を紹介した話でした。
  谷口牧場の代表馬としては、02年、03年の京成杯AHを連覇したブレイクタイムを紹介しています。そのブレイクタイムの出生時エピソードがすごいです。

「ある日、自分が車に乗っていると『放牧地にいる馬が出産しているぞ』と近くの生産者の方が電話をくれたんですよ。その時に産まれたのがブレイクタイムでした」
(谷口牧場の取締役、浦河育成センターの代表を務める谷口幸樹さん)
 
 母のホマレノプリンセスは、乳が張ってくるといった出産の兆候を見せない、やっかいな特徴を持った繁殖馬でした。この日の出産は無いと思った谷口幸樹さんは、ホマレノプリンセスを他の繁殖牝馬と共に放牧へと出したのですが、この読みがはずれちゃったんですね。
 急に産気づいたホマレノプリンセスは、放牧地でブレイクタイムを出産してしまったようです。

 たまたまそこに通りがかったのが電話をくれた近くの生産者と栗東の調教師だったといいます。「2人は近くにあったリヤカーに産まれたばかりのブレイクタイムを載せて、厩舎まで運んでくれたそうです。2人がいなかったら、その後のブレイクタイムの活躍はなかったかもしれません」と、おっしゃっていました。

 ちなみに、「浦河育成センターの代表」という谷口幸樹さんの肩書にあった浦河育成センターというのは、牧場と道路を挟んで隣の敷地。いっしょに育成牧場も営んでいるとのことです。
   こちらの浦河育成センターの主な育成馬には90年の桜花賞を制し、後にアグネスタキオン、アグネスフライトの母ともなったアグネスフローラがいます。アグネスフローラ自身桜花賞を制覇しており、大成功!という例。戦績を確認すると、デビューから5連勝で桜花賞制覇。次のオークスも2着だったものの、ここで引退となっています。めちゃくちゃ強かったですね。
   また、有馬記念において3年連続で3着となり、「ブロンズコレクター」とも言われたナイスネイチャもここの出身だそうです。

 そういや、谷口牧場は、日高行ったときに、道路側からここで馬を見た気がします。牧場の名前は全然覚えていませんが、谷口牧場は有名なので聞き覚えありました。


■2022/04/13 G1勝っていた…と思ったら勝ってなかったブレイクタイム

 上記で名前が出てきた馬たちをWikipediaから補足しておくことに。まず、谷口牧場の代表産駒ブレイクタイムから。なんとなくG1を勝っていた気がしたのですが、「主な勝ち鞍に2002年・2003年の京成杯オータムハンデキャップ」ということで、勘違いでした。また、馬主さんはノースヒルズマネジメントでびっくり。ノースヒルズは他の牧場の馬でも走りますすね。

<2000年2月、京都競馬場の新馬戦でデビューし1着[3]。ダートの条件戦を2着、1着としたのち芝に転じ、重賞には手が届かないものの葵ステークス、菩提樹ステークスの2つのオープン特別で勝利。明けて4歳を迎えた2001年、初戦となる5月東京競馬場でのダートのオープン特別オアシスステークスでプリエミネンスの2着としたのち安田記念に参戦し、15番人気ながらブラックホークの2着に入り波乱を演出する>

 私がG1勝っていたと勘違いしたのは、上記の安田記念のせいかも。好きなブラックホークの方が買っていました。このときブラックホークの馬券を買っていたような気もします。残りの説明は以下の通りでした。

<続く4戦は1年近い休養を挟んで2着2回、3着1回と勝ちきれなかったが、2002年9月の京成杯オータムハンデキャップで重賞初勝利を挙げた[3]。続く3戦は振るわず、CBC賞のあとに骨折が判明して戦線を離脱[3]。2003年夏に復帰して1走ののち出走した京成杯オータムハンデキャップを連覇した[3]。長期休養ののち2004年の関屋記念に出走して5着、これが最後のレースとなった>

 「引退後は種牡馬として6シーズンにわたって供用されていた」という話があってびっくり。全く覚えがありません。父は私が「日本に合う」と信じていたデインヒル(ダンチヒ系)であり、成績からしても一応種牡馬入りはわからなくもないでしょう。
 ただ、<血統登録頭数がわずか5頭、うち出走頭数4頭という結果>であり、種牡馬成績は残念なことに。種牡馬入りしていたことを知らないのも無理はない感じです。
 その後は生まれ故郷の谷口牧場に戻って余生を過ごしていたが、2019年7月3日に放牧地で右前脚の繋ぎ部分を骨折し、翌4日、安楽死の措置が取られたそうです。