2023年11月15日水曜日

エリザベス女王は馬主なだけでなく元騎手でもある?

■2019/04/13 エリザベス女王は馬主なだけでなく元騎手でもある?
■2022/09/14 207年の歴史の中で初…という快挙を成し遂げたエリザベス女王
■2022/10/10 勝者にトロフィーを授けるはずだったレースで勝ってしまい急遽交代
■2018/03/24 馬主だったイギリスのチャーチル首相、父や祖父も大物
■2018/03/24 クラシック勝利 生産馬はトレヴやハービンジャーに繋がる



■2019/04/13 エリザベス女王は馬主なだけでなく元騎手でもある?

  イギリス王室は歴史的に競馬との関係が深いのですが、現在のエリザベス女王も馬主として知られます。「5歳から馬に乗り、若かりし頃には自らレースにも出場したことがあるという筋金入りのホースウーマン」とのことで、ある意味、元騎手かな?と思いました。
 辞書によると、騎手の意味には「馬に乗る人」というのがあり、これならイエス。ただ、競馬で馬に乗る人、職業として馬に乗る人といった意味もあり、この場合はノーです。

 さて、馬主の話。現在の所有頭数は25頭ほど。 最近はすごい馬はいないようですけど、英クラシックの勝利数は5回であり、有力な馬主と言って良いでしょう。直近のG1勝ちはロイヤルアスコット開催のG1ゴールドCをエスティメイトで勝った2013年だそうです。
(【世界の馬主紹介 Vol.4】エリザベス女王 | JRA-VAN Ver.Worldより)

 で、このロイヤルアスコットなんですけど、イギリス王室が主催する競馬開催で、アスコット競馬場自体も王室が所有。1711年、大の馬好きであったアン女王が作らせた競馬場です。
 エリザベス女王はロイヤルスタッドで競走馬の生産も行っていますが、王室関連では競馬場と競馬開催をやっているってのが、一番スケールがでかいですね。



■2022/09/14 207年の歴史の中で初…という快挙を成し遂げたエリザベス女王

 過去投稿を見直していて、エリザベス女王のこの投稿が目に止まりました。エリザベス女王が亡くなったばかりのためです。検索すると、やはり馬関係の記事も出ていますね。<ディープインパクトとの縁 優秀なブリーダーだったエリザベス女王>(植松佳香 2022年9月9日 18時11分)という記事がありました。
 幼女時代から馬に乗っていた、高齢になっても馬に乗っていた…など、馬好きエピソードもあります。

<8日に死去した英国のエリザベス女王は、無類の競馬好きとしても知られていた。日本でも毎年行われる中央競馬の「エリザベス女王杯」。1975年にエリザベス女王が来日したのを記念して始まったものだ。
 女王は競馬場にレースを見に足を運ぶだけでなく、自身も馬の所有者であり、優秀なブリーダーでもあった。昨年には競馬界への貢献をたたえられ、英国で殿堂入りも果たしている>
<4歳の誕生日に祖父のジョージ5世からポニーをもらい、乗馬を習ったのが馬との付き合いの始まりだった。それ以来、90歳を過ぎても乗馬を続けていたという>
https://www.asahi.com/articles/ASQ995STXQ99UHBI03Q.html

 タイトルになっていたのは、ディープインパクトの話です。ディープインパクトの曽祖母にあたる「ハイクレア」(Highclere)はエリザベス女王の生産・所有馬…という話。ただ、話はこれだけであり、記事の中では主要なところではありません。
 一方、エリザベス女王の思い出の所有馬は、「エスティメート」だったようです。 ノーフォーク州サンドリンガムにあるエリザベス女王の別邸で、まず目につくのが、女王競走馬「エスティメート」の等身大の彫刻だといいます。この馬で、エリザベス女王は史上初めて…という快挙を成し遂げます。

<エスティメートは2013年、英王室が主催する競馬イベント「ロイヤルアスコット」のメインレース「ゴールドカップ」で勝利。在位中の君主が所有する馬による勝利は、このレースの207年の歴史の中で初めてだった>



■2022/10/10 勝者にトロフィーを授けるはずだったレースで勝ってしまい急遽交代

 前回の「207年の歴史の中で初…という快挙を成し遂げたエリザベス女王」の補足。英王室が主催する競馬イベント「ロイヤルアスコット」のメインレース「ゴールドカップ」で勝利した…ということで、自分が主催するレースに自分が勝ってしまった形です。
 このため、<この日、勝者にトロフィーを授けるはずだったエリザベス女王は、自身が次男のヨーク公からトロフィーを受け取った>という予定変更が行われたそうです。

 これを紹介した記事<競馬=エリザベス女王の所有馬、ゴールドカップで初勝利>(ロイター 2013年6月21日12:12 午後9年前更新)によると、このときゴールドカップを勝ったエスティメートは、前年のロイヤルアスコットでも、G3クイーンズバーズで勝利していたとのことです。
 王室が所有の馬が王室が主催するレースで勝利すること自体はあったものの、メインである「ゴールドカップ」で勝利したのは初めて…ということでしょうね。
https://jp.reuters.com/article/l3n0ex0d2-horse-racing-queen-idJPTYE95K02C20130621

 この「ゴールドカップ」というのは、以前別の投稿で紹介したことがあります。ピンと来る人はピンと来るでしょうが、日本で言う「金杯」にあたります。ダービーなどがそうであるように、各国で競馬の母国イギリスのレースを真似たため、ゴールドカップというのも世界各地であります。
 ただし、日本の金杯とはかなり性格が異なるんですよ。ウィキペディアでは、以下のような説明。超・長距離レースなんです。イギリスの平地G1の中では売上ベスト5の人気レースで、格の高さも日本の金杯とは全然違います。

<ゴールドカップ(Gold Cup)とはイギリス王室とBHA(英国競馬統括機構)が6月にアスコット競馬場の芝19ハロン210ヤードで施行する競馬のG1競走である。様々な競技の国内や世界中のゴールドカップ(金杯)が認知されているため、開催競馬場の名前から取りアスコットゴールドカップ(Ascot Gold Cup)とも呼ばれる。>
<イギリス王室が開催するロイヤルアスコット開催3日目のメイン競走である。創設年は1807年であり、現在イギリスで行われている競走の中でも長い歴史を持つ。古くは古馬最高峰のレースとされ、歴代の勝ち馬にはセントサイモンやグラディアトゥールなどの名馬が並んでいる。グレード/グループ制で格付けされている平地競走としてはフランスのカドラン賞(4000m)を上回り世界で最も長い距離を誇る。
 現在はイギリス、フランス、アイルランドのステイヤーが集う競走となっており、グッドウッドカップ(G1、16ハロン)、ドンカスターカップ(G2、18ハロン)とともにカップ三冠(長距離三冠)を形成している>

 日本の金杯(今で言う中山金杯)も実を言うと、 5歳以上の馬によるハンデキャップの重賞競走「金盃」の名称で創設した1952年は2600mという比較的長距離のレースで、イギリスのゴールドカップに倣った様子が見られます。
 しかし、1960年(昭和35年)に新年最初の重賞として創設されたアメリカジョッキークラブカップ(AJCC)と入れ替わる形で、翌1961年より芝2000mに短縮。時期も同様にAJCCとの交換で新年最初の節の開催になり、新年度の中央競馬の開幕を飾る重賞として定着したそうです。



■2018/03/24 馬主だったイギリスのチャーチル首相、父や祖父も大物

 イギリスの首相だったウィンストン・チャーチルは、競馬にも熱中していた方でした。 チャーチルの父ランドルフは、同じ政治家で、大蔵大臣を務めたほどの人物でしたが、やはり馬主としても大物。チャーチルが15歳だった1889年には、英オークスを自身が所有するラベスドゥジュアルで制しています。

 また、 母方の祖父であるレオナルド・ジェロームもすごいです。
  アメリカ・ニューヨークの大富豪として有名なのですけど、ベルモントパーク競馬場の前身で、第1回のベルモントSの舞台となったジェロームパーク競馬場を開設した人物。現在のニューヨーク競馬の基礎を築いたという重要でスケールのでかい役割を果たしています。超大物です。
 ちなみに、 その名は、今もアケダクト競馬場で開催されているG3ジェロームSというレースに残されているといいます。
(Our Pleasure2016年2月号 Racing 360 秋山 響より)


■2018/03/24 クラシック勝利 生産馬はトレヴやハービンジャーに繋がる

 ただし、チャーチル自身は、戦後の1949年、75歳になって初めて馬主になっています。遅かったんですね。
 ところが、 最初に持ったコロニストという馬が自身の名を冠したウィンストンチャーチルSを勝つなどして、いきなり13勝します。ゴールドカップ2着の実績も挙げました。
 また、1955年にはダークイシューで愛1000ギニーに勝ってクラシック制覇を達成。父と同様に、大レースに名を残しました。
 一方で、父の方で話がなかった生産の方にも手を出した点は違うところ。イギリスのニューチャペルスタッドを購入し、ヴィエナとハイハットというともに1957年生まれの2 頭が誕生します。

 ヴィエナはフランスのアルクール賞など7勝を挙げ、ガネー賞でも2着に入るなどトップクラスで活躍した一流馬。しかし、もっと重要なのは1968 年の凱旋門賞馬で、1973、74年と2年続けて英リーディングサイアーに輝いたヴェイグリーノーブルを出したこと。
 ヴェイグリーノーブルの産駒は、エンペリー、ゲイメセン、ミシシッピアンと3頭も日本の種牡馬が輸入されました。さらにヴィエナ自身も日本に輸入されたということで、非常に日本と縁があります。
 ただし、ことごとく不振。とはいえ、スマートファルコンの母の父はミシシッピアンですから、G1馬に繋がっている馬はいました。
 また、凱旋門賞を連覇した名牝トレヴの5代血統表にヴェイグリーノーブル~ゲイメセンの名を見つけることができるとのこと。血統表を実際に見ていると、ゲイメセンは、母父母父ですね。

 もう1頭のハイハットは?と言うと、アリカーン国際記念ゴールドCを制し、凱旋門賞でも4 着に入るなどしましたが、こちらもやはり強調すべきは種牡馬としての実績。
 1966 年の英1000ギニーを制したグラッドラグズ、1973 年の愛1000ギニーの勝ち馬クルーナーなどがクラシックで活躍。そのほかにもジョッキークラブC3連覇のハイラインなどを送り、のちに日本で供用された際の産駒からもダービー3着のカンパーリやステイヤーズSを勝ったフジノハイハットを出しました。
 この父系も、結局は衰退したものの、ハービンジャーの5代血統表を見ればハイハット~ハイラインの流れを確認することができるとのことでした。