2024年5月2日木曜日

宮本博厩舎規制薬物投与で、ラフィアンが全頭転厩

■2018/03/27 宮本博厩舎規制薬物投与で、ラフィアンが全頭転厩
■2012/12/26 間違えて違う馬を輸送して出走できず、平山真希調教師は処分 まさか替え玉作戦?
■2017/07/15 オーストラリアではカンガルーと併せ馬…大西貴久調教助手語る

■2018/03/27 宮本博厩舎規制薬物投与で、ラフィアンが全頭転厩
 
 「マイネル」の冠名で有名な『ラフィアンターフマンクラブ』が公式ホームページを通じて、所有馬であるマイネルリャードフ、マイネルプリサイス、ヴェッセル、フロムマイハート、マイネルプレッジが、いずれも宮本博厩舎から転厩することを2月28日付けで発表。公式ホームページ上では「意見の相違」と記載されていました。
 今いる馬はフロムマイハートが良いくらいですけど、マイネルと宮本の馬は過去には結構走っている馬が多かったです。理由が気になっていました。
 とりあえず、ウインレーシングクラブの馬は残っており、ビッグレッドグループとの関係悪化ではなさそうでした。

 で、本当の理由ではないかと言われていたのが、なんと「規制薬物投与」です。

「どうやら、転厩が発表された中でヴェッセルという馬が先月17日の未勝利戦に出走しようとした際、JRAの判断によって出走取消となったことが起因しているようです。JRAの発表によると、疝痛の治療のために規制薬物にあたるフルニキシンを投与したことが判明したそうです。
  発覚当初、宮本調教師もラフィアンの公式ホームページを通じて『あってはならないミスをしてしまって、お詫び申し上げます』と謝意を示していたのですが、どうやらそれだけでは収まらなかったようですね......」(競馬記者)

 フルニキシンはJRAが使用を認めていない「禁止薬物」ではないものの、馬の福祉および事故防止の観点から、影響下にある馬の出走が禁止されている「規制薬物」の一種であり、出走できなくなるそうです。

 なお、今回の一見とは異なるものの、やはり結構成績が良い佐々木晶三と揉めたことがあるそうな。これはラフィアンが良くない感じです。

「これまで数多くの有力馬を送り出していることで有名なマイネル軍団ですが、同時に"口うるさい馬主"としても、かなり有名だとか......。
 これまでも複数の調教師との間で大小様々な悶着がウワサされていますが、有名なところでは2011年にあった佐々木晶三調教師との確執ですね。使うレースや騎手だけでなく、専門外のハズの調教方法まで、あまりにも口出ししてくるので佐々木調教師の方がキレたとか......。結局、今回の宮本厩舎と同じように、全馬引き揚げ騒動になりました」(同)
(JRA宮本博厩舎から「マイネル軍団」が全馬撤収......「規制薬物」を巡るゴタゴタ原因も過去に「ブチギレ調教師」との決別騒動も | ギャンブルジャーナル | ビジネスジャーナル()より)

 なお、 「専門外のハズの」とあったものの、ビッグレッドグループとしては、コスモバルクを外厩制度で活躍させた実績があります。海外では一般的であり、調教師だけが調教するという日本の方がおかしいんです。日本でも似た感じでやっているところは存在します。
 ただ、調教師としては、うるさく口出しされるのが頭に来るというのもわかります。特に実績ある調教師の場合はそうでしょう。なので、あまり良くないですね。

■2012/12/26 間違えて違う馬を輸送して出走できず、平山真希調教師は処分 まさか替え玉作戦?

 馬主さんはとんだ迷惑。

-----引用 ここから-----
【浦和】出走予定馬と別馬を誤って輸送…競走除外に スポニチ[ 2012年12月11日 06:00 ]

 10日の浦和9Rに出走予定だったモエレアツヒメは、誤って別の馬が競馬場に輸送されたため規定の時間に到着できず、競走除外となった。管理する平山真希師(32)は戒告と10日から実効10日間の賞典停止となった。
http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/12/11/kiji/K20121211004749550.html
-----引用 ここまで-----

 替え玉作戦でわざとってことないでしょうけど、そのまま走ったらおもしろかったのに。

 種牡馬見に行くと思いますが、私は普段から気にして見ていないので馬の毛色すら覚えていません。たぶん種牡馬の看板あって違う馬が出ていても、気づかずにありがたがって見ています。
 逆に皆さん、よく覚えているなぁと。

 ところで、処分貰った平山真希調教師は女性のようです。

-----引用 ここから-----
平山 真希(ひらやま まき、1980年7月9日 -)は、地方競馬の浦和競馬場の元騎手(蓬田稔厩舎所属)、現調教師である。地方競馬教養センター長期騎手課程第71期生。

(中略)調教師としての初出走・初勝利は、2011年8月8日浦和競馬第1競走(ジュピタービギン 1着)。なお、女性調教師の管理馬初出走・初勝利は、史上初の快挙。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E5%B8%8C
-----引用 ここまで-----

 いろいろと話題を提供してくれます。

■2017/07/15 オーストラリアではカンガルーと併せ馬…大西貴久調教助手語る

 Enjoy Ruffian2011年8月で、大西貴久調教助手(古賀慎明厩舎)へのインタビューがありました。大西貴久さんは、ブログで詳しく競馬のあれこれを書いてくれているので、何度か読んだことがあります。

  「兵庫県芦屋市で生まれ育った」ということで小学生の時、、競馬好きの父に阪神競馬場によく連れてってもらったとのこと。ただし、公園で家族たちと遊んでということで、競馬そのものはそれほど記憶に残っていないそうです。

 競馬に興味を示したのは、高校1年(高専の1年?)に「ナリタブライアンが三冠馬に輝いた年」から。「この時から毎週競馬を見るようになった」そうです。
 そして、高専で5年生の時、毎日新聞の夕刊に、武藤拓也という日本人騎手が勝ったという内容の、オーストラリアの競馬学校の話が掲載されていたのを見ました。
  この記事が転機となり、乗馬クラブに通うようになります。

 そして、この後の 行動力がすごいです。
 まず、20才の5月にオーストラリアへ。学校に1年半、厩舎で1年修行。
  その後、一旦日本に帰ってきたものの、すぐにイギリスのニューマーケットへ移動。イギリスで三浦皇成騎手を受け入れていたことでも有名なプレスコット厩舎に約1年。
  さらにイギリスの競馬と対極にある競馬も見たいと思い、アメリカの東海岸へも行ったそうです。
  このような経歴を経て、やっと28才の時に日本のトレセンへ。

 海外の経験では、オーストラリアのエピソードがすごいですね。

「野生のカンガルーと併せ馬をしたこともありますよ(笑)。そうそう馬はパニックはなりません。かえって、人間の方が困惑して、馬がイラつくケースが多いと思います。だからこそ、色んなやり方
があるんだということを、自分の引き出しとして持っておきたいんですよ」