■2019/07/24 若き天才調教師マイケル・ディッキンソン、障害で大記録を連発
■2019/07/24 馬が良いだけ?天才調教師マイケル・ディッキンソンの挫折
■2019/07/24 競馬に酸素トレーニングがないって変じゃない?天才の発想
■2023/01/05 調教師復帰のマイケル・ディッキンソン氏の続報が全くない!?
■2019/07/24 若き天才調教師マイケル・ディッキンソン、障害で大記録を連発
Our Pleasure2015年11月号Racing 360(秋山 響)は、現役調教師として復帰すると発表した「マッド・ジーニアス(狂気の天才)」の異名をとったマイケル・ディッキンソン(65歳)の話でした。
父も祖父も母も調教師という家で育ったディッキンソンは、最初、障害の騎手としてデビュー。イギリスのアマチュア障害騎手チャンピオンになり、プロとしても10年ほどキャリアを積みました。
でも、本当にすごかったのは、障害の調教師に転向してからです。1981/82年から3シーズン連続でイギリスの障教師チャンピオンに。
特に衝撃的だったのは1983年で、平地で言うと凱旋門賞かそれ以上とされる格のG1チェルトナムゴールドCで1着から5着までを独占。また、2012年には1日12勝という大記録もつくっています。このときまだ32歳だったそうです。
■2019/07/24 馬が良いだけ?天才調教師マイケル・ディッキンソンの挫折
次に、クールモアグループを立ち上げたひとりであるロバート・サングスターに請われて、平地の調教師へと転向。障害で成功して平地に転向、しかも、クールモアというのは、現在成功しているエイダン・オブライエン調教師と同じですね。
しかし、現在クールモアの中心が別の人であることでわかるように、ここで失敗しました。若駒の調教に苦戦すると、サングスターのバックアップを失い厩舎は低迷。1987年には新天地を求めてアメリカへと渡ることになったそうです。
好成績を出す調教師に対し、「馬が良いだけ」といった批判が出ることがあります。ひょっとしたら彼もそういった批判が出たかもしれません。
ただし、紛れもない天才だったことは、アメリカで証明されました。 96年のG1BCマイルを制した後で脚部不安を発症して長期休養という難しい状況だったダホスを見事に立て直して、6歳となった2年後の98年G1BCマイルで劇的な復活勝利を遂げます。
このときの調教がまた天才的で、脚元に不安を抱えるダホスに、自前で作り上げたタペタという素材を使った馬場で調教しました。後にオールウェザーの代表格となるあの「タペタ」です。
また、大一番のわずかひと月ほど前にバージニア州のコロニアルダウンズ競馬場というマイナーな競馬場で一般戦を叩いて本番へ向かうという臨戦過程も異例だったといいます。
クールモアでの失敗は結局、後から考えると、2歳戦向きとはいえない馬と、あまり成功できなかったクールモア供用種牡馬の産駒が多かったということだったみたいですね。馬が良いだけどころか、馬が悪いだけだったようです。クールモアは早合点で、天才調教師を失ってしまいました。
■2019/07/24 競馬に酸素トレーニングがないって変じゃない?天才の発想
引退後は、先に出たタペタの普及をやっていたそうですが、一区切りということで調教師への復帰のようです。ただ、天才的だと感じるのは、新しいアイデアを試したいというのもあるため。ひょっとしたらこっちがメインかもしれません。
アイデアの一つが、「High Altitude Stables」で、直訳すれば高地厩舎というシステム。陸上でいうところの高地トレーニングをやろうとするものと思われます。ただ、当時も使っていたタペタファームへの復帰ですから、たぶん実際には高地ではないのでしょう。
本人は「高地だけでなく、どんな環境でもシミュレートできる」と説明。実際に高地に厩舎があるというわけではないということと考え合わせると、おそらく酸素量などを調整するシステムなんじゃないかと。関連しそうな取り入れた酸素をより有効活用させる「Broncho Delivery System」といった独自に開発したシステムもあるとされていました。
他のアイデアとしては、 調子の良し悪しを判断する「Biomechanical Analyzer」といったものも語っていたそうな。これは直訳がなかったんで私が直訳すると、生体力学的分析装置といったもの。生体力学の知見を取り入れてやろうってことでしょうね。
競馬は極めて多額のお金が動くところであるにも関わらず、迷信などの非科学的な慣習が多く残っているという不思議な分野ですので、こういうアイデアを持つ人は応援したくなります。
■2023/01/05 調教師復帰のマイケル・ディッキンソン氏の続報が全くない!?
その後、調教師に復帰したマイケル・ディッキンソンさんはどうなったかな?と検索したのですが、全く情報がありません。日本語情報がなかったので、英語の「michael dickinson horse trainer」でも検索。英語版のWikipediaが出てきたものの、こちらは復帰の話すらなく引退で終わっていました。「調教師に復帰する」と語ったものの、実際には復帰しなかったのかもしれません。
<On 13 November 2007, Michael Dickinson announced that he would not apply for a trainer's licence in 2008, in order to devote his time to his business of synthetic racetrack surfacing known as Tapeta Footings.>
https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Dickinson_(horseman)
機械翻訳
<2007年11月13日、マイケル・ディキンソンは、タペタフッティングとして知られる合成競馬場の表面仕上げのビジネスに専念するために、2008年にトレーナーのライセンスを申請しないと発表しました>