■2018/09/02 マイナー種牡馬マイネルスマイル、クラブ会員の趣味で種付け
■2023/03/06 実はすごい種牡馬?実績馬より種牡馬成績良かったマイネルスマイル
■2013/3/6 マイネルラヴ ラフィアンとビッグレッドファームの功労馬
■2018/09/02 マイナー種牡馬マイネルスマイル、クラブ会員の趣味で種付け
マイネルスマイルは、正直言って、種牡馬になれる要素がまるでありません。通算成績は平地35戦3勝、障害7戦1勝で、今はなき900万特別2着がキャリアハイという内容。
その父サクラロータリーも種牡馬で成功したわけでなく、兄弟、おじ、おばなど近いところに大物がいるわけでもありません。 それどころか、重賞の3着まで来ている馬すらごく近いところにはいません。
なのに、マイネルスマイルは種牡馬になったのです。
こういった例は他にもあり、「趣味による種牡馬入り」であると勘の良い方なら気づくでしょう。
その可能性をより高めるのが、 マイネルスマイル産駒全8頭の繁殖牝馬がすべて同じであること。相手はすべてマイネポラリスなのです。
Enjoy Ruffian2011年4月号血統マニアック〈28〉(藤井正弘)によると、マイネルスマイル、マイネポラリス2頭の所有者はすべて鍵谷篤宏という方。もともとラフィアンTC会員としてマイネルスマイルとマイネポラリスに出資していたところ、愛馬心が高じて引退後の両馬を引き受け、1年1頭限定の実質的オーナーブリーダーになったというんだそうな。すごい趣味ですね。
なお、肌馬の マイネポラリスの方は2勝馬で、3,812万円稼いだ馬。繁殖牝馬としては、十二分なレベルでした。
マイネルスマイルをつける前に2頭の産駒がいたので、これは、前の生産者のときのものだろうと思い、調べてみました。すると、やはりそうですね。最初の生産者はオーエイチファームとなっていました。
1998 マイネルポレール 牡 ペンタイア 1戦0勝 0万円
ただ、2頭目は予想に反して、 コスモビューファームです。そして、馬主の方だけ、鍵谷篤宏さんとなっていました。中央で引退後に買い取ったのではないかと思われます。
1999 マイネルアグニ 牡 メジロライアン 185万円 (地方) 59戦2勝
オーエイチファームは1998年の生産が最後であり、コスモビューファームなど、各地に繁殖牝馬を売ったみたいですね。その後の所属は結構違います。
ただ、 コスモビューファームでも期待されていなかったのか引退…となって、鍵谷篤宏さんのもとに来たのか、最初の競走馬引退の時点で委託していたのかもしれません。生産はさすがに本人ではなく、委託しているようでした。
なお、このマイネルコンビの産駒の戦績は以下。地方馬ですけど、趣味で生産したとは思えないほど、まずまず走れています。
プニプニヨークン 2007 933.7 地方14勝
ウキウキヨークン 2003 770.6
スベスベヨークン 2008 517.5
ニコニコヨークン 2002 401.5
ワクワクヨークン 2004 243.2
ピーチヨークン 2000 203.7
フワフワヨークン 2009 145.6
ドキドキヨークン 2005 60.5
あと、全部牡馬ってのもすごいですね。マイネポラリスは、その後別の馬もつけていますけど、長男らも含めて12頭全部牡馬というすごい確率に。逆に言うと、後継の繁殖牝馬が出ないという残念なことになりました。
掲示板で情報ないかと探しましたが、 マイネルスマイルの方では謎扱い。ただ、マイネポラリスの方では、情報ありました。
[1] 鶴ヶ丘はやてさん
プニプニヨークンやスベスベヨークンの母。
(中略)マイネルスマイルは競走成績は大したことはないがトウショウボーイ直系の最後の種牡馬であり(すでに種牡馬としても引退)、マイネルスマイルはマイネポラリスにしか毎年種付を行っていなかった。
つまりこの母の息子たちだけがトウショウボーイ直系の種牡馬になれるというわけ。
逆に言えば種牡馬入りできなければ天馬トウショウボーイの血は絶えることに…
しかしヨークンの馬主の鍵谷氏は先述の2頭を種牡馬にさせると明言
http://db.netkeiba.com/?pid=horse_board&id=1992101321
ただ、種牡馬入りの形跡はなし。サクラロータリー - Wikipediaでも、以下のようにありました。
"プニプニヨークンは種牡馬入りを明言されていたが、2016年にVigorous Stableに乗馬として入厩。スベスベヨークンについては2014年に引退しているが、鍵谷が明言した種牡馬入りを行えたかは2017年7月現在もなお不明である"
残念ですけど、お金が非常にかかることですし、仕方ないですね。十分楽しませてもらいました。
■2023/03/06 実はすごい種牡馬?実績馬より種牡馬成績良かったマイネルスマイル
父マイネルスマイル・母マイネポラリスの産駒を持っていた鍵谷篤宏さんのその後の持ち馬は?と検索してみました。マイネポラリスはその後マイネルスマイル以外の父で2頭生産。そこそこ走ってはいるのですが、マイネルスマイルの稼ぎ頭より走っていないという不思議なことになっています。競馬ではこういうことがあっておもしろいですね。実はすごい種牡馬だったのかもしれません。
あと、ラフィアン所有のペンタイア産駒が一番走っていないというのもおもしろいです。
順位 馬名 性別 生年 賞金 父
1位 プニプニヨークン 牡 2007 934 マイネルスマイル
2位 ウキウキヨークン 牡 2003 771 マイネルスマイル
3位 アイアイヨークン 牡 2013 530 アサクサデンエン
4位 スベスベヨークン 牡 2008 518 マイネルスマイル
5位 ニコニコヨークン 牡 2002 402 マイネルスマイル
6位 ネバネバヨークン 牡 2012 352 フサイチコンコルド
7位 ワクワクヨークン 牡 2004 243 マイネルスマイル
8位 ピーチヨークン 牡 2000 204 マイネルスマイル
9位 マイネルアグニ 牡 1999 186 メジロライアン (ラフィアンではなく鍵谷篤宏氏所有となっている)
10位 フワフワヨークン 牡 2009 146 マイネルスマイル
11位 ドキドキヨークン 牡 2005 61 マイネルスマイル
12位 マイネルポレール 牡 1998 0 ペンタイア (この馬だけラフィアン所有)
鍵谷篤宏さんのその後の持ち馬は?ですが、なんと上記のアイアイヨークンが最後。名義を変更している可能性はあるものの、馬主自体辞めちゃったのかもしれません。前回も書きましたが、お金がかかる趣味ですからね。仕方ありません。
■2013/3/6 マイネルラヴ ラフィアンとビッグレッドファームの功労馬
マイネルラヴは亡くなっていたんですね。ええ、もう…と思いましたが、一応17歳。
とはいえ、当時の馬が健在であることを考えると、やはり早い気がします。
-----引用 ここから-----
種牡馬マイネルラヴ号は今年6月9日の朝、ビッグレッドファーム明和の放牧地で倒れているところを発見され、そのまま立ち上がることなく関係者に見守られながら安らかな眠りにつきました。
アワープレジャー2012年8月号
http://www.ruffian.co.jp/site/ourpleasure/ourpleasure.php
-----引用 ここまで-----
今年とありますけど、2012年の記事のためです。
-----引用 ここから-----
マイネルラヴ号は、ラフィアンターフマンクラブの1996 年度第二次募集馬でした。
外国産馬の活躍が目立っていた時代で、黒光りする美しい馬体と激しい気性を持ったアメリカ産馬「ハートオブジョイの
95」は当初から大きな期待を集めました。
苦手な重馬場や、外国産馬に不利な当時のレース体系に苦労もしましたが、98年のスプリンターズSではタイキシャトル、
シーキングザパールを破り、見事G1馬の栄冠を手にしました。
種牡馬となってからは、日高を中心に生産者の人気を集め、中央・地方に毎年多くの子供たちを送り出しました。
-----引用 ここまで-----
父はシーキングザゴールド。日本で導入されたわけではありませんが、大活躍した馬が何頭かいます。
産駒はよく走っていた気がしますけど、重賞勝ち馬を見るとこんな感じ。
-----引用 ここから-----
◆主な産駒
マイネルハーティー(ニュージーランドT-G2)、ゲットフルマークス(京王杯2 歳S-G2)、コスモフォーチュン(北九州記
念-G3)、コスモヴァレンチ(小倉2 歳S-G3)、ダブルウェッジ(アーリントンC-G3)
-----引用 ここまで-----
私の印象ほどじゃありません。
考えてみると価格の割に堅実に走るということで、大物ということではなかったようです。後継種牡馬は今のところなしですかね?
一度は買ってみたいなと思っていたマイネルラヴですけど、人気なんですよね。結局、出資できませんでした。
なお、POGだと今3歳のカオスモスが指名馬です。かなりひねったつもりでしたけど、こんなに走るとは……。
岡田繁幸さんの談話も。
-----引用 ここから-----
購入したのはキーンランドのイヤリングセール(1歳セリ)でしたが、当時から垢抜けた好馬体で大物感があり、「これが本当に1歳か、アメリカの馬はこんなにすごいのか」とほれぼれしたことを覚えています。馬体にわずかな短所があるのもわかっていましたが、それでも名馬になると確信しました。
どんな時でも肝が据わっていて、おびえたところがありませんでしたね。人間よりも自分の方が偉いと思っていたようで、なにしろきかない。ラヴと名付けたものの、怖い馬でした。曳いている時は緊張したものです。肉体にも精神にも、王者の風格を備えていました。
種牡馬になってからは種付け頭数が140頭を超えたことが5度もありますし、重賞勝ち馬も送り出してくれました。本当によくやってくれた、クラブや牧場に貢献してくれた馬でした。こんな馬にはなかなか巡り会えるものではありません。
-----引用 ここまで-----
私は本当によく産駒が走ったなという印象でした。