2024年6月8日土曜日

エイダン・オブライエン調教師がコカインで騎乗停止のベギー騎手に救いの手

■2018/03/19 無名騎手が18頭立ての16番人気の人気薄で欧州3歳王者に
■2018/03/19 エイダン・オブライエン調教師がコカインで騎乗停止のベギー騎手に救いの手
■2018/11/04 エイダン・オブライエン、調教師デビューは妻の厩舎の引き継ぎだった



■2018/03/19 無名騎手が18頭立ての16番人気の人気薄で欧州3歳王者に

 アイルランドのエイダン・オブライエン調教師というと、冷徹で勝利にこだわる調教師というイメージ。人情的なタイプだとは思っていませんでした。
 が、意外すぎる話がありました。

 この話にはまず、2017年のG1英ダービーで、ウイングスオブイーグルスにまたがって勝利した、パドレイグ・ベギー(Padraig Beggy)という「無名騎手」の説明が必要です。
 この馬は、18頭立ての16 番人気での大番狂わせで勝利したのですけど、鞍上も全然期待されていませんでした。
 単なる人気薄のダービー制覇ということ以上に報道する側が慌てたのはウイングスオブイーグルスの鞍上が誰だかわからなかったこと。レース後はベギー騎手の情報を集めるため、各社てんやわんやの大騒ぎだったといいます。
(Our Pleasure2017年10月号 Racing 360 秋山 響より)


■2018/03/19 エイダン・オブライエン調教師がコカインで騎乗停止のベギー騎手に救いの手

 現在ベギー騎手は31歳。アイルランドの出身ですが、競馬に縁のない家庭のためか、初めて馬に乗ったのは15歳のとき。アイルランドの騎手としては、これだけ遅いのは珍しいんじゃないですかね。「学校に行きたくなかったから」という理由で、騎手を目指したんだそうな。
  2003 年7月には初勝利を挙げたものの、壁にぶち当たります。アイルランドには才能のある騎手が多くいるものの、大レースで華々しい活躍を見せるのは大手の馬主や厩舎と主戦契約を結ぶほんの一握りの騎手だけです。

 そこに入り込めなかった多くの騎手はアイルランドを去って、異国でチャンスを求
めることになるそうで、ベギー騎手もインドを経て、イギリスに拠点を移動。その後、さらにマレーシアに移り、さらにオーストラリアへと渡りました。
 このオーストラリアで、1年半ほどの間に31勝という、まずまずといえる成績を残しました。ところが、コカインに手を出し、さらにはそれに伴う聴聞の場で偽証。2014 年9月から翌年12月まで15カ月間に及ぶ免許停止処分を受けました。もうオーストラリアではやっていけなくなりました。

 で、意外だと思ったのが、傷心で帰国したベギー騎手に救いの手を差し伸べたのが、冷血そうなエイダン・オブライエン調教師だったということです。
 エイダン調教師から「とにかく一所懸命に働き続けることだよ。そうすれば我々はいつかその働きに報いるから」と声をかけられて調教の仕事をこなします。
 徐々に信頼を得て、大きなレースでも騎乗を任されるようになり、今年4月にはハイドラ
ンジアでG3愛1000ギニートライアルSを制してついに重賞初制覇を果たしました。
 ただ、それでも、英ダービーの開催日は本人もイギリスには行かず、地元アイルランドの競馬場で乗るものだと思っていたほど。6頭出しだったんですけど、乗せてもらえるとは考えていなかったようです。
 英ダービーはもちろん、エプソムでも騎乗経験がなく、しかもこれが今年イギリスでは2レース目(本拠地アイルランドを含めても9レース目)。
 そこで勝ってしまった…というのですから、ドラマチックなシンデレラストーリーです



■2018/11/04 エイダン・オブライエン、調教師デビューは妻の厩舎の引き継ぎだった


 エイダン・オブライエン調教師の話が、Our Pleasure2017年2月号 Racing 360(秋山 響)でもありました。
 オブライエン厩舎が強いのは、クールモアスタッドの馬を一手に引き受けているためではあります。ただ、クールモアスタッドに引き抜かれたのは、その前の活躍があったためで、実力があったのも間違いないのでしょう。 記事では、その以前の活躍の話があったのです。

 エイダンは、父が騎手、調教師だったこともあり、早くから馬とともに育ち、やがてアイルランドを代表するJ.ボルジャー調教師に師事していたそうです。
 ただ、調教師デビューはかなり意外な形。当初は、ボルジャー厩舎所属時代に知り合い91年に結婚した、妻であるアンマリー調教師のアシスタントトレーナーをしていました。
 この奥さんというのがまたすごくって、 92/93 年のアイルランドの障害チャンピオントレーナーでした。
 ところが、 ちょどそのころアンマリー調教師が第一子(ジョセフ・オブライエン調教師、元騎手)を身ごもったことで、エイダンが93 年に厩舎を引き継ぐことになったというわけ。ここで初めて調教師ライセンスを得ました。

 もともと妻も障害チャンピオントレーナーだったので良かったとはいえ、なんとその93/94 年から5期連続で障害チャンピオントレーナーに君臨。(なお、93/94 年はアマチュア騎手のチャンピオンにも)
  この大活躍に目をつけたクールモアが、ヘッドハンティング。クールモアの総帥であるジョン・マグナーさんは抜擢の理由について「なにせ勝ちまくっていたからね。一時のトレンドではなく、本物だと思った」とのちに語っているそうです。

 ヘッドハンティング後は、バリードイルというクールモアの私設調教場を任されるように。
 その後、97年には、アイルランド平地チャンピオントレーナーになるなど平地でもトップクラスの成績を出し始めました。そして記事の時点までに、アイルランドで19回(97年、99年~ 2016 年)、イギリスでも5回(2001、02、07、08、16 年)平地のチャンピオントレーナーに輝くというとんでもないことになっています。