2024年9月6日金曜日

実は種牡馬として期待されていなかったサンデーサイレンス

■2018/09/25 実は種牡馬として期待されていなかったサンデーサイレンス
■2018/09/25 二冠馬サンデーサイレンスは安馬の活躍馬でもあった…
■2020/12/14 サンデーサイレンスの父ヘイローも種牡馬としては期待されず?
■2014/08/07 名種牡馬の条件?サンデーサイレンス・シアトルスルー・ヌレイエフの共通点
■2023/05/21 奇跡の回復を遂げた馬 サクラローレル、ミルリーフ、ヤマニングローバル、ビンゴガルー
■2018/07/23 水害から 生還したキミホウセキ、サンマルデュークなどを生む
■2023/03/18 台風でみな死亡、1頭だけ水害から生還したキセキノサイクロン


■2018/09/25 実は種牡馬として期待されていなかったサンデーサイレンス

 前半はサンデーサイレンスではなく、 ビッグレッドファームで新種牡馬として導入した当時のアイルハヴアナザーメインの話をいくつか。これにサンデーサイレンスが絡んでくるんですね。「契約後にある人に教えられた」というサンデーサイレンスなどとの共通点の話で、名前が出てきました。アメリカだと、種牡馬としてのサンデーサイレンスは、期待されていなかったんだそうです。

・今までに米2 冠馬が新種牡馬として日本に輸入されたのはサンデーサイレンス、ウォーエンブレムだけ。
・1 歳及び2 歳セールでほとんど評価されず、カリフォルニアで調教され、サンタアニタダービー、ケンタッキーダービー、プリークネスS を3 連勝した点はサンデーサイレンスとそっくり。
・結果的にアメリカで種牡馬入りできなかった理由も母系の弱さにある点まで共通。
(Our Pleasure2012年10月号 巻頭のごあいさつ 岡田紘和より)

 「もちろん、これが種牡馬としての成功を約束するものではないのは明白ですが、高額な投資に何らかのゲンを担ぎたくなるのも人情ではないでしょうか」と書いていたように、これは全然成功の根拠になりません。悪いですけど、単なるオカルトです。
 実際、アイルハヴアナザー産駒は他2頭のサンデーサイレンス、ウォーエンブレムの産駒と違って全く活躍しませんでした。ただ、そう断言する前にデータを見ないと…と思って確かめてみると、CPIが1.43なのにAEIは0.98と低く壊滅的でした。イメージ通り大失敗です。
 ちなみに ウォーエンブレムはCPI2.42を上回るAEI2.74。サンデーサイレンスは結果が出ているので調べるまでもないのですけど、それぞれ2.18と4.94でした。こうして見るとサンデーサイレンスはやはり化け物でしたね。
(CPIの理解がおかしかったので、2020年3月9日に修正しています。申し訳ありませんでした)


■2018/09/25 二冠馬サンデーサイレンスは安馬の活躍馬でもあった…

 アイルハヴアナザーは種牡馬としてはともかく、競走馬としての成績がすごかったことは間違いありません。
 G1サンタアニタダービー、G1ケンタッキーダービー、G1プリークネスSで連勝。その後、米3 冠最後のレースとなるG1ベルモントSの前日に左前屈腱炎のために出走取消して引退しましたが、無事であれば勝っていたといわれる馬です。
 ただ、母系の弱さが指摘されていたように、当初はそれほど期待されていなかった模様。2010 年のキーンランド・セプテンバーセールで付いた値段はわずかに1 万1千ドル。その後、フロリダのトレーニングセールで3万5 千ドルの値段が付いたというが、それでも
評価が高かったわけではないとされていました。
(Our Pleasure2012年10月号 馬恋慕 河村清明より)

 岡田繁幸さんは、このセリでの価格について、またやはりサンデーサイレンスとの共通点を挙げていました。
「サンデーサイレンスもね、セリで1 万7 千ドルだったんですよ。だから余計、みんな抵抗あるわけです。それぽっちの馬が1000万ドルもするのかって思うもんだから、アメリカの関係者は手を出さなかったんですね」
 これはアイルハヴアナザーに自信ある…という話だったのですけど、やっぱり1000万ドルは高値買いでしたね。岡田さんはすごいところが多いものの、ハズレも結構あり、種牡馬選びなんかは全然ですよね。いつも大きいこと言って、外してきました。

■2020/12/14 サンデーサイレンスの父ヘイローも種牡馬としては期待されず?

 サンデーサイレンスは、その父のヘイローも種牡馬としてはあまり期待されていなかった感じですね。ヘイローの場合は、サンデーサイレンスとは逆に競走成績の方がイマイチ。31 戦9 勝で、G1勝ちはユナイテッドネイションズH(芝9.5ハロン)の1 勝のみでした。
 そして、サンデーサイレンスの全く逆で、血統の方は良かったんですよ。ヘイローの母コスマーはノーザンダンサーを産んだナタルマの半姉ということで、近親にノーザンダンサーがいるという超良血。ここは、種牡馬価値が感じられました。ヘイローが頭角を現したのは芝に転向後で欧州向きと判断されたのもあった感じで、競走時代の途中にヘイローを購入したハリウッド映画のプロデューサーで羽振りの良かったA.アレンさんは、アメリカではなく自身がイギリス・ニューマーケットに持っていた牧場で種牡馬入りさせる予定になっていました。
 といった感じで、このまま行けば期待されて…という話だったのですが、競走馬だけでなく種牡馬としてもさく癖(柵などに前歯を当て、空気を吸い込む悪癖)は問題なんですかね、ヘイローのさく癖が発覚してイギリスでの種牡馬入り計画は白紙に戻されます。その後、アメリカでできあがったヘイローの種牡馬シンジケートは1 株3万ドルで総額120 万ドルとのことで、これはそれほど高額ではなかった感じでした。

 この話があった、<Enjoy Ruffian 2011年11月号 ザ・ブラッド 血統表を紐解く!>(サラブレッドインフォメーションシステム)では、<競馬に「もし」はないが、もしも彼が英国に行っていたら歴史は変わっていただろう>と書いていたように、この計画頓挫がなければたいへんなことになっていました。イギリスでも成功した可能性はあるものの、現在知られている数々の名馬は誕生せず、特に日本にはサンデーサイレンスがいなかった…という、歴史が大激変することになっていたでしょう。ヘイローの種牡馬入りが順調なら日本競馬は大きく変わっていたわけです。失敗してくれて良かったですね。
 さて、その大成功した種牡馬成績ですが、加年度代表馬に輝いた名牝グローリアスソングを送って種牡馬としての地盤を固め、80年代の初めまでにケンタッキーダービー馬サニーズヘイロー、米国最良の2 歳馬と呼ばれたデヴィルズバッグなどの大物が誕生。デヴィルズバッグは日本調教馬で史上2頭目の海外G1勝利馬(1頭目は1週前のシーキングザパール)である名馬タイキシャトルの父ですし、デヴィルズバッグもやはり日本への影響が大きい馬だと言えます。
 こうした成功があり、種牡馬シンジケートを大幅に見直し。テキサス州の石油採掘事業者であるトム・ティザムさんが、1 株90 万ドル、総額3600 万ドルという当時でも破格のシンジケートを組んだことによって、ヘイローは2 月にケンタッキーのストーンファームに移動しました。ここから期待の種牡馬となり、なおかつその期待に応え、種牡馬としての絶頂期を迎えます。サンデーサイレンス、グッバイヘイロー、セイントバラードなど父の名を高めた馬たちの生誕年は、その絶頂期であった80 年代後半に集中していたそうです。
 なお、種牡馬としては母系が弱いとされたサンデーサイレンスですが、トム・ティザムさんにとってはこだわりの配合だった模様。サンデーサイレンスの母ウィッシングウェルは、ティザムさんがわざわざヘイローのために買い付けた繁殖牝馬であり、84年は不受胎で2 年連続の交配を実らせてやっと産んだ子供がサンデーサイレンスでした。母系が弱いとされつつ、アメリカ2 冠達成なのですから、見事すぎる配合だったと言えるでしょう。

■2014/08/07 名種牡馬の条件?サンデーサイレンス・シアトルスルー・ヌレイエフの共通点

 史上初の無敗のアメリカ三冠馬となったシアトルスルーは、ただでさえハードスケジュールで知られるアメリカ三冠達成後も走り続けています。
 Wikipediaによると、調教師のウイリアム・ターナー・ジュニアはシアトルスルーに休養を取らせるべきだと主張したが、馬主サイドの意向によりベルモントステークスから1か月も立たないうちに西部のハリウッドパーク競馬場で移送され、G1スワップスステークスに出走することになったそうです。
 結果は勝ち馬から16馬身離された4着に終わり、デビュー以来の連勝は9で途絶えました。
 これと関係あるかは不明ですが、転厩後シアトルスルーは原因不明の高熱に襲われ、一時命が危ぶまれるほどの状態に追い込まれました。名種牡馬となっているように、当然、死にはしませんでしたが、回復までに時間がかかっています。

 これを踏まえて、アワープレジャー2012年12月号の「ザ・ブラッド Vol.18」(サラブレッドインフォメーションシステム[筆])では、以下のような話を書いていたんですよ。

<競走生活の途中には死線を彷徨うほどの大病に襲われたが、昼夜を徹して看病した4 人のオーナーやD.ピーターソン師のチームワークがこの危機を跳ね返した。シアトルスルーが秘めていた強靱な生命力は同じように重大な危機を乗り越えたヌレイエフやサンデーサイレンスにも共通する。競走馬として秀でた成績を残し、子孫を繁栄させるには身体的な能力はもちろんのこと「野性」の部分を色濃く残すことも必要なようだ>

 3頭だけですのでかなり弱く、こじつけっぽいです、とはいえ、おもしろいことはおもしろい話。他の2頭も調べてみましょう。まず、ヌレイエフから。Wikipediaによると、「普通なら安楽死処分になりかねない重大なケガ」から「奇跡的に回復」しているそうです。

<ヌレイエフは種牡馬時代に大事故を起こしたことがある。1987年5月、放牧先で牧柵を蹴ってしまい右後肢を粉砕骨折する大事故を起こした。普通なら安楽死処分になりかねない重大なケガであったが、当時の最先端医療を駆使して奇跡的に回復し、手術から7ヶ月後には牧場に戻って翌年から種牡馬復帰を果たした
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%95

 次はサンデーサイレンスなのですが、サンデーサイレンスの場合すごいのが、Wikipediaによると、死にかけたことが2回あるということ。「九死に一生を得る」を2回もやっているのです。

<サンデーサイレンスは当歳時(1986年11月)に悪性のウイルスに感染し、数日にわたってひどい下痢を起こして生死の境をさまよった>
<また、カリフォルニア州のセリからの帰り道ではトラックの運転手が心臓発作を起こし馬運車が横転する事故に遭い、競走能力こそ失わなかったもののしばらくまっすぐに歩けなくなるほどの重傷を負った。<b>このとき馬運車に乗っていたサンデーサイレンス以外の競走馬はすべて死亡した。</b>>

 とんでもない生命力と強運です。最後の話はちょっと鳥肌立ちました。
 「そんなわけないだろ」という話ではあるものの、<競走馬として秀でた成績を残し、子孫を繁栄させるには身体的な能力はもちろんのこと「野性」の部分を色濃く残すことも必要なようだ>というドラマチックな仮説を打ち立てたくなるのも、すごくよくわかります。

■2023/05/21 奇跡の回復を遂げた馬 サクラローレル、ミルリーフ、ヤマニングローバル、ビンゴガルー

 予後不良 (競馬) - Wikipediaを見ていると、うちで書いていたヌレイエフを含めて、復帰が難しい怪我から回復したケースを書いていました。これは予後不良の場合は安楽死措置がとられることが一般的なのに…という前提があってのものですから、そこらへんの説明とセットで引用しておきます。

<競馬における予後不良()とは、主に競走馬が競走中や調教中などに何らかの原因で主に脚部等に故障を発生させた際など回復が極めて困難で、薬物を用いた安楽死の処置が適当であると獣医師が診断した状態を言う。
転じて、競走馬への安楽死処置そのものに対する婉曲的表現として用いられる場合も多い。>
<競走馬の多くを占めるサラブレッドの脚部は骨折、ヒビなどの故障が発生しやすく、「ガラスの脚」と形容されるほどである。品種によって馬の体重は異なるが、軽種馬であるサラブレッドの場合でも 400 - 600キログラム程度となり、静止して立っている状態でも足1本あたり100キログラム以上の負荷が掛かることになる。
 下肢部に骨折やヒビなどの故障が発生した馬は、その自重を他の健全肢で支えなければならないため、過大な負荷から健全肢にも負重性蹄葉炎()や蹄叉腐爛()といった病気を発症する。そのため、病状が悪化すると自力で立つことが不可能となり、最終的には死へ到る。
 治療法としては、下肢部の負荷を和らげるため、胴体をベルトで吊り上げたり、水中による浮力を利用するためプール等を用いる方法がある。しかし、必要な治療費や治療期間中の飼育費など金銭面での負担が莫大になり、また、上述した負重性蹄葉炎などの問題から生存率が高くないなどリスクも大きい。このため大多数の競走馬は予後不良と診断された直後に安楽死の処置が取られ処分される>
<重度の故障から回復した馬にはビンゴガルー、ヤマニングローバル、サクラローレル、ミルリーフ、ヌレイエフなどがいる。 >
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E5%BE%8C%E4%B8%8D%E8%89%AF_(%E7%AB%B6%E9%A6%AC)


■2018/07/23 水害から生還したキミホウセキ、サンマルデュークなどを生む

 九死に一生を得た馬の関係で他で書いた話を転載しました。

  2003年の台風10号では、死者行方不明者が19人出るなどして、激甚災害に指定される大きな被害が出ました。8月9日と10日、北海道の日高地方では記録的な大雨で日高町と新冠町の境にある厚別川が氾濫。この地方の牧場でも被害が出ました。
 田端牧場も被害が出た牧場の一つ。田端千代春さんは、以下のように話しています。
「その日は雨が強かったので、夜間放牧を止めて厩舎に馬を入れておいたことで、被害が最小限に食い止められたのかもしれません。夜中にもの凄い水の流れで目が覚めたら、家の周りが泥水で囲まれていて。すぐに厩舎へと向かったのですが、厩舎にも水が押し寄せていて、既に何頭かは流された後でした」
(Enjoy Ruffian 2009年1月号 ルーツオブビクトリー 村本浩平より)

 繁殖や当歳馬と1歳馬を合わせ、25頭の繋養馬のうち6頭が死亡。ただ、濁流に呑み込まれながらも助かった馬もいます。
 キミホウセキも濁流に呑み込まれながらも助かったうちの1頭でしたが、流された時に流木にでもひっかかったのか、前脚に大きな裂傷を負っていたとのこと。また、全身泥だらけだったため全く毛色が分からず、最初見たときは違う馬なのではと思えたほどだったといいます。

 このときにはキミホウセキに当歳の子供もいたようですけど、こちらは流されて助からなかったのかもしれません。血統表に残っていませんでした。
 ただ、その後は7勝を上げたサンマルデューク(まだ現役)を筆頭に、4勝馬や3勝馬を出しています。結構走っていますね。
 母自身はサンデーサイレンス産駒だったものの、未勝利で引退していたので意外な成績。とはいえ、おじに母と同じサンデーサイレンス産駒で重賞を4勝したサイレントハンターという活躍馬はいました。 サイレントハンターは出遅れる逃げ馬という個性派の競走馬でしたね。
 ちなみにこの話がラフィアンの雑誌に載っていたのように、キミホウセキの子にはラフィアンの馬もいました。 マイネルブリアーという馬で1勝。1勝するのもたいへんなので、そう悪くはないものの、前述の通り、もっと活躍している馬が何頭もいますからね。岡田親子で買った馬だそうですけど、相馬眼はいまいち発揮されなかった感じです。


■2023/03/18 台風でみな死亡、1頭だけ水害から生還したキセキノサイクロン

 九死に一生を得た馬の関係で他で書いた話を転載しました。

 同じ牧場の馬がみな助からなかった中、台風による水害から「奇跡的」に生還し、これにちなんで「キセキノサイクロン」の名付けられた馬について。だいぶ前の話で、2004/06/05に<台風から生還、夏に出走へ/名前はキセキノサイクロン | 全国ニュース | 四国新聞社>という記事が出ています。

<昨年(引用者注:2003年)8月の台風10号で大きな被害を受けた競走馬産地の北海道・日高地方。濁流に流されながらも奇跡的に生還したサラブレッドが、道営ホッカイドウ競馬でデビューする。その名も「キセキノサイクロン」。(中略)
 キセキノサイクロンは2002年3月、新冠町の畔柳作次さん(56)の牧場で生まれた牝馬。昨年8月9日夜、洪水で流され、数日後に約4キロ離れた門別町の牧場で発見された。大きなけがはなく、のんびり草を食べていた。再会したときは「よく生きとった。信じられなかった」という。
 台風では、この馬を含め畔柳さんが飼育していたサラブレッド4頭が流され、そのうち3頭は死んだ>
http://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20040605000038

 このエピソードは印象的でしたし、そのせいなのか、旭川でのデビュー戦は3番人気、その次のレースも2番人気となります。しかし、結果は最下位である9着、11着です。
 その後8番人気、6番人気と人気を落としつつも、実力以上の過剰人気を続けましたが、ブービーの11着、下から3番目の10着と戦績の方は相変わらず。この4戦で引退し、繁殖へ上がったようです。