■2019/08/24 意外なことに競馬場がない大阪、昔は日本一の人気だった
■2019/08/24 昔は日本一人気だったのになぜ廃止になったのか?
■2022/11/17 大阪市内も大阪競馬場があった 一時全国第2位になるもやはり廃止
■2019/08/24 意外なことに競馬場がない大阪、昔は日本一の人気だった
2府5県(または2府4県)ある近畿地方、いわゆる関西には中央競馬と地方競馬を合わせて4つの競馬場があるものの、かなり偏っています。京都府に1つ、兵庫県には3つ。中央が京都(京都市伏見区)と阪神(兵庫県宝塚市駒の町)、地方は園田(兵庫県尼崎市田能)と姫路(兵庫県姫路市広峰)です。
阪神が大阪だと勘違いしていた人もいるかもしれませんが、 実際には大阪はゼロなんですよ。偏見かもしれませんけど、大阪はギャンブルと合いそうなイメージなんですけどね。
ただ、実際、大阪が競馬ですごかったことはあるようです。1928年(昭和3年)11月に始まったという、そう歴史が長いわけではない大阪府岸和田市の春木競馬場での競馬は、開催を重ねるにつれて人気が上昇。1930年秋には約65万円の入場料を得て、地方競馬としては全国1位の成績を挙げました。わずか2年でトップってすごいですね。当時の大阪人が競馬好きだったことがわかりそうです。
戦時下においても春木競馬場の競馬開催は中止されず、鍛錬馬競走として行われていました。厳しい時代の中でも売り上げは好調で、42年秋には約112万円を記録。やはり全国1位というすごい記録を残しています。戦後の競馬再開で47年に復活したときも、東京・八王子に次ぐ全国2位でやはり人気でした。
(消えた大阪の競馬場 府政揺るがし歴史に幕 :日本経済新聞(2017/7/22 6:30)より)
■2019/08/24 昔は日本一人気だったのになぜ廃止になったのか?
以上のように、売上としては、日本最高ラクスの成績をあげていた大阪の春木競馬場。ところが、春木競馬場での競馬開催には問題がありました。どちらかと言うと、人気があったからこその問題だと言えるかもしれませんね。
当時競馬場廃止運動をしていた人によると、競馬と近くにある競輪場の競輪を合わせると1カ月に20日ぐらいは開催されており、地元の駅から競馬場までは恐ろしいほどの混雑。しかも、当時の競馬場には駐車場がないという、設計に致命的な問題が…。車で来る人は止める場所がなかったので、平気で家の前に駐車するということに。
また、昔の日本人は海外の人を言えないほどマナーが悪かったため、道路で立ち小便をする人もいる状態だったそうです。所持金を全部なくしたという理由で民家に押しかけて電車賃などをせびる例もあったというのでひどい話。海外の人を悪く言いますけど、日本も通った道であり、発展しきっていない途上国共通の問題だと考えられます。
設計の問題としては、周辺の市道で馬のウォーキングが行われるというむちゃくちゃなものも。子供たちの登下校時間と重なって、危ない状況でした。
反対運動の主流としてはギャンブル反対的な運動であったようなのですけど、このように、内容を見るとギャンブル以外の問題が大きく見えますね。岸和田市の図書館にあるいくつかの郷土史でも否定的に紹介されているとのことでした。
…といった感じで、地元の婦人会などが立ち上がり、廃止を巡って府政を揺るがす騒動にまで発展した結果、春木競馬は1974年3月で終了。売り上げが好調だった状況での廃止は、珍しいケースのようです。
■2022/11/17 大阪市内も大阪競馬場があった 一時全国第2位になるもやはり廃止
私は大阪府には岸和田市の春木競馬場しかないんだと勘違いしていたのですが、大阪市内にそのものズバリな大阪競馬場というものがあったんだそうな!
この大阪市内のものは2代目であり、初代・大阪競馬場は大阪府八尾市にあったともいいます。とりあえず、2代目の大阪市内にあった大阪競馬場のウィキペディアを読んでみました。
<大阪競馬場(おおさかけいばじょう)は、かつて大阪府大阪市東住吉区に存在した地方競馬の競馬場である>
<1948年に競馬法の公布に基づき大阪府・大阪市などが中心になって現在の長居公園の場所に設立された競馬場である。大阪府都市競馬組合が主催して競馬が行われ、10年余りの期間に合計168回の競馬(1回4 - 6日間)が開催されたが、1959年に廃止された>
大阪人はギャンブル好き…という偏見があると以前書いたのですけど、2代目・大阪競馬場は、一時は地方競馬でも全国第2位の売上を上げる人気でした。こちらも好調だったようです。ただし、この好調は一時的なものであり、不人気になって終了…という、普通な終わり方でした。他の大阪ギャンブルに負けてしまったのです。
ただし、ウィキペディアでは、不人気以上にもいろいろな説が列記してあり、もともと公園にする予定だった説を最有力とする書き方。実際、大阪中央競輪場の方も廃止されたそうです。
<同じ場所に続けて大阪中央競輪場や長居オートレース場が設立された。この内オートレースはすぐに廃止されたが、やがて競輪の方に客足を奪われて、廃止を余儀なくされた。
廃止に至ったのは、営業収入の減少や、公営競技に対する世間の風当たりの影響、戦時中に当地を飛行場として整備するために土地を収用された旧地主の反対などのためとも言われるが、もともと戦前に都市公園として計画されていた土地でもあったので、やがて大阪市が競馬の開催権を返上して公園整備の方針を打ち出したことが一番大きい理由である。その後、大阪中央競輪場も1962年に廃止されている>
施設としても良かったみたいですね。<地方の競馬場としては関西を代表する施設で、コースは1周1400mで馬場内も広く、やがて1956年に障害専用の走路も作られて、置き障害ではなく全国でも数少ない固定障害のコースのある競馬場であった>とのこと。地方競馬なのに障害があったというのがすごいです。
春木競馬場や園田の他、和歌山からも集まり、東海方面との交流もあって、関西での売り上げが園田を凌いで1位を占めたこともあったといいます。
この他、以下のような話題がありました。河内洋騎手の祖父がいた、現在はJリーグ・セレッソ大阪の本拠地となっているなど、なかなか話題が豊富です。
<また1950年春の天皇賞馬オーエンスがやって来たこともあり、話題になったことがある。
廃止後に、厩舎関係者の大部分は同じ大阪府内にある春木に移り、一部は園田などに移った。この大阪競馬場で厩舎を営んだ河内幸四郎調教師は、現在JRA調教師で騎手時代はアグネスレディやメジロラモーヌ、アグネスタキオン、アグネスフライトに騎乗して活躍した河内洋の祖父である。また現在兵庫県競馬組合のレース実況を行っているアナウンサーの吉田勝彦が初めて競馬実況を行った競馬場である。
現在、大阪競馬場の跡地には長居スタジアムなどが建設されてスポーツ公園として整備され、Jリーグ・セレッソ大阪の本拠地となり2002年のFIFAワールドカップ日韓大会の試合も開催された。2007年の世界陸上大会の開催地にもなり、また毎年1月末に行われる大阪国際女子マラソンの会場でもある。マラソンランナーが競技場に戻ってくる時に公園内の周回コースをしばらく走るが、その周回コースがかつての大阪競馬場のコースである>