■2020/06/25
スズカルパン16年ぶり100戦達成、前回はハルウララではない
■2024/07/15 6年以上ほぼ毎月走って怪我せずに最多出走記録 高齢でも好走
■2020/06/25
スズカルパン16年ぶり100戦達成、前回はハルウララではない
スズカルパンは特に印象なかったのですけど、11歳で16年ぶり8頭目の100戦達成をしていたと今頃知りました。以前はハルウララ?と思いましたが、ハルウララではなく私も好きだったハートランドヒリュ。追込が得意でたまに穴をあけるイメージなので狙っていました。そのハートランドヒリュは現役時に亡くなってしまいましたが、スズカルパンは100戦を達成し、元気なうちに引退しています。
スズカルパンの同期にはジェンティルドンナやゴールドシップ。ゴールドシップの他、ディープブリランテ、ジャスタウェイなどはすでに産駒が走っているので、同期の子供たちといっしょに走っていたということになります。
長く走ったものの、スズカルパンは丈夫なタイプということではなかった模様。 担当の高橋一厩務員は、「最大の弱点は爪なんです。特に左前脚。鉄屋さん(装蹄師)は大変だったと思いますよ。爪に効くサプリをもらったりもしましたね」としていました。
環境の変化に弱い馬だともいいます。東京に輸送して体が14キロも減ったことがあったので、ほぼ当日輸送のみ。栗東から最も近い京都で最多50戦、実に96戦が当日輸送。除外が多そうな条件に見えますが、それでも達成。中央という時点でもハードルが高いんですけどね。一方で、環境を変えないという意味で、ほとんど放牧にも出さなかったというのはレース数増加に繋がっています。
(【下鴨S】11歳ルパン100戦目 16年ぶり8頭目の金字塔― スポニチ Sponichi Annex ギャンブル[ 2020年5月1日 05:30 ]より)
あと、このような記録は馬主さんありきなのですけど、馬主さんに話を聞いたものはパッと見ヒットせず。スズカ系は冠名も名義もいろいろというイメージですが、スズカルパンは永井宏明さんの所有馬です。母の父ラムタラですが、父スズカマンボ 母ルンルンスズカという「スズカ」色の強い血統でもありました。馬主さんの話も聞いてみたいですね。
■2024/07/15 6年以上ほぼ毎月走って怪我せずに最多出走記録 高齢でも好走
スズカルパンは8頭目の100戦以上走った馬でした。逆に言うと、その前に7頭100戦以上走った馬がいます。で、それらの馬が名前がわからないかと検索したものの、うまく見つからず。スズカルパンの前はハートランドヒリュであり、彼のWikipediaを見てみましたが、特に記載がないですね。代わりにハートランドヒリュのWikipediaを少し紹介しておきます。
休んでいなかったという覚えはなかったのですけど、ハートランドヒリュはほぼ毎月走っていたということで、恐ろしいほど走っていました。最後は「急性心不全」であったものの、それまではずっと大丈夫であり、「使いすぎ」とは言えない感じ。意外に大丈夫です。
<2歳(現表記、以下同じ)の1998年12月に[2]阪神競馬場でデビューし(8着)[3]、初勝利は翌1999年4月の未勝利戦で、8戦目での勝ち上がりだった[3]。それ以後も月1 - 3回のペースで休むことなく出走を重ね、通算4勝を挙げた。レース間隔は最大でも中6週(4回)で、連闘での出走も3回あり、デビュー以来いちども出走しなかった月は2002年11月と2005年7月のみであった。>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%92%E3%83%AA%E3%83%A5
ハートランドヒリュは、日本中央競馬会 (JRA) におけるサラブレッド系種の最多出走記録を達成。記録更新は、2005年11月13日でした。
<2004年4月25日に100回目の出走を果たす[4]。2005年10月23日に122回目の出走となり、オートダービーが保持していたJRAの(サラブレッド系)最多出走回数の記録に並び[5]、2005年11月13日に京都競馬場で行われたドンカスターカップ(1000万円以下)への出走により、記録を43年ぶりに更新した[3]。>
さらに、サラブレッド系・アラブ系を通じたJRAの平地競走最多出走記録の直前まで行ったのですけど、急性心不全で亡くなっています。
<10歳を迎えた2006年も現役を続け、出走回数は127回に上った[1][2][6]。当初より本馬を管理してきた清水久雄が2月いっぱいで調教師を勇退した[7]ため、3月1日付けで河内洋厩舎に移籍[6]。当時のJRAのアラブ系種最多出走記録はトキノヒカリの128回であり[1][2][6][注 1]、順調にいけばサラブレッド系・アラブ系を通じたJRAの平地競走最多出走記録[注 2]を更新する見込みであったが、3月22日の調教中に急性心不全のため死亡[1][2][6]。3月12日に中京競馬場で行われた遠州灘特別が最後の競走となった[2][6]。>
ハートランドヒリュがすごいのは、高齢になっても馬券に絡む走りを見せて、普通に現役であってもおかしくない成績であったこと。忘れたころに突然激走するので、私も馬券で狙っていた馬です。私が買うときは全然来なかったんですけど…。
<2003年3月の名鉄杯(中京競馬場)を最後に勝利から遠ざかった[3]ものの、121戦目となった2005年9月のHTB賞(札幌競馬場)では追い込んで[8]単勝11番人気ながら3着となる[8][3]など、展開や馬場状態が向けばまだまだ走れるところを見せていた。2005年以降に出走した17戦はすべてハンデ戦で、負担重量もすべてで50キログラムであった。>