■2020/01/18 あまりに強すぎて皆回避、単走が8度もあったエクリプス
■2020/01/18 最近でも単走がある!1頭だけが出走した理由は?
■2023/03/10 G1なのにみんな回避で30年ぶり単走!強すぎたスペクタキュラービッド
■2020/01/18 あまりに強すぎて皆回避、単走が8度もあったエクリプス
1764年生まれというえらい前の話ですが、エクリプスという歴史的名馬がいました。まだサラブレッドが確立される前ですから相当前ですね。そのもととなったアラブ種の最も重要な競走馬です。
エクリプスは18戦18勝。当時のレースは今とは全く違っており、同じ馬で長距離レースを何度も戦って勝負を決するというヒートレースが多く7勝しています。ただ、それより多いのが、単走の8勝でした。
なぜ単走が多いのか、勝てたのは相手が怪我で棄権して運が良かったわけじゃないか?と言うと、そうではありません。あまりに強すぎたためです。
エクリプスの強さが明らかになるにつれ賭けレースを挑もうという人は少なくなります。当時のやり方だとこれではレースができません。馬主が貴族でもジョッキークラブに所属しているわけでもないエクリプスにとって出走する競走がないという問題が出てきたとWikipediaにはあったので、馬主が異なれば状況はまた少し違ったみたいですが、とにかくエクリプスの場合はダメでした。
そこで、その後も出走可能な競走に出走したものの、登録するとすぐに皆が回避してしまうために、8度の単走を行うことになったといいます。
■2020/01/18 最近でも単走がある!1頭だけが出走した理由は?
これは飽くまで18世紀の話。ただ、最近でも上記と同じイギリスで単走レースがあったと聞いて驚きました。
このレースの場合は強い馬ではありません。また、出走取消が相次いたのではなく、元から1頭しか出走馬がいなかったとのこと。しかも、重賞レースだと言うので驚き。そんなことがあるんですね。オールウェザーの重賞・ウィンターダービーが行われた、2019年02月23日のリングフィールド競馬場6Rの3歳クラス5戦(AW1600m)だとのことでした。
凱旋門賞の前哨戦のフォワ賞が数頭で調教みたいなレースになる…ということもありましたが、このレースの場合はそもそもちゃんと走らなかった模様。ゲートもなしで残り1ハロン地点からスタートして、ゴールさせたそうな。もうやらんでいいじゃん、それ!というレベルです。
あと、勝った(のか?)Greybychoiceは「強い馬ではありません」どころではなく激弱。このときは、前年6月ニューマーケットのデビュー戦が9頭立て9着、7月ヤーマスの2戦目が6頭立て5着以来で、成績が悪いだけでなく、約7か月半ぶりの出走という好走が難しそうな条件でのレースでした。これで1着取れたんだから最高ですね。ちなみに優勝賞金2911ポンド(約42万円)だったそうです。(イギリスで単走レース - 競馬ニュース | netkeiba.comより)
馬名の「Greybychoice」は「Grey by choice」をつなげたものでしょうか。レース選択が良かったので、「良いチョイスでしたね」といった感じです。
仮に「Grey by choice」ならこの馬名はどういう意味かも検討してみることに…。 「by choice」は「選んで、好き好んで、自分で決めて」などといった意味。その前の「Grey」は灰色のグレイのイギリス英語。ただ、名詞だと意味が変だと思うので、動詞じゃないかと予想。動詞のグレイなら「灰色になる」「白髪になる」「歳を取る」といった意味があるようです。
ということで、「老けたねって言うな。好きで老けているんだよ」といったニュアンスでしょうか。だとすれば、変わった名前です。それとも、次第に白い毛が増えていく芦毛の馬なんでしょうか。
ところで、弱い馬なのでこれを勝ったら次はもう相手にならない気がします。即引退かと思って、リンクあった海外サイト見ていたら、その後も走っていました。もともと海外の競馬は日本より儲からないものなので趣味なんでしょうね。
とはいえ、結構頑張ってるときもありそうな感じ。海外サイトはすごくわかりづらいんですけど、13頭中5着や、8頭中4着っぽい数字が見られます。大赤字でしょうが、頑張っていました。
■2023/03/10 G1なのにみんな回避で30年ぶり単走!強すぎたスペクタキュラービッド
別の単走レースの話を。上記まではイギリスの話でしたが、今回はアメリカの話。スペクタキュラービッド (Spectacular Bid) という馬で、この馬の場合、G1を13も勝って種牡馬入りしており、歴とした名馬というタイプです。日本の馬でもたまに血統表で目にしたような種牡馬ですね。
Wikipediaによると、当初は苦戦するものの、すぐに一変して圧勝し、2歳の時点で才能開花。文句なしの最優秀2歳牡馬となっています。
<2歳となった1978年の6月にデビューし、当初こそ2敗を喫したものの、ワールズプレイグラウンドステークスで15馬身差の圧勝劇を演じたのを皮切りに連勝街道に乗る。シャンペンステークスを2馬身4分の3差、ローレルフューチュリティを8馬身2分の1差で勝利し、断然の評価でこの年の最優秀2歳牡馬に選ばれた>
快進撃が2歳の時点で終わる…という馬もいますが、前述の通り、スペクタキュラービッド はG1を13も勝って種牡馬入りしたような名馬。アメリカで最も重視される3歳でも大活躍しています。
<3歳時はハッチソンステークスから始動しキャンターのまま4馬身差で楽勝。12日後のファンテンオブユースステークスを8馬身差、更に連闘で臨んだフロリダダービーでは後方から捲り4馬身2分の1差、フラミンゴステークスではバックストレッチから一頭だけスパートを開始し、ゴール時には12馬身差と快進撃は止まるところを知らず、すでにケンタッキーダービーが9日後に迫っているなか、ブルーグラスステークスへと出走し、7馬身差で勝利する。
本番のケンタッキーダービーは、後方から捲り気味に進出し、ジェネラルアセンブリーを下して勝利。わずか5頭立ての少頭数となったプリークネスステークスは、4番手からバックストレッチで進出を開始し5馬身2分の1差をつけ、コースレコードに0秒2差の好タイムで優勝する。2歳時の敗戦からここまで12連勝で、圧倒的な強さに当時「2000mまでならセクレタリアトよりも上」との評価が出るほどであった。ところが、三冠のかかったベルモントステークスでは当日に安全ピンが蹄に刺さるというアクシデントがあり、コースタル、ゴールデンアクトの後塵を拝する3着に敗れてしまう>
三冠を逃したのは、アクシデントであり、疲労ではなさげ。ただ、ケンタッキーダービー前の「ブルーグラスステークス」は余計でしたね。日本の三冠と全く違い、アメリカの三冠はただでさえ短期集中方式。使いすぎと言いたくなるような使い方はどうかと思います。
アクシデントで三冠を逃したため、実質三冠クラスと言えそうなスペクタキュラービッドは、秋になって本当の三冠馬アファームドと対決。しかし、アファームドには敗れたそうです。
<秋にはジョッキークラブゴールドカップで、1歳年上の三冠馬アファームドと対峙した。僅か4頭立てながら、アファームド、スペクタキュラービッド、コースタルと役者が揃っていた。レースでは、逃げるアファームドにスペクタキュラービッドが何度も競りかけるが、アファームドはその度に距離をとる。直線では内からコースタル、外からスペクタキュラービッドが襲い掛かるが、アファームドは更に伸び、ねじ伏せるような形で勝利した。スペクタキュラービッドは4分の3馬身遅れての2着だった。この敗戦により、最優秀3歳牡馬には選出されたが、年度代表馬はアファームドのものとなった>
とはいえ、スペクタキュラービッド が相当強い馬であったことは間違いなく、古馬になっても強さは衰えませんでした。古馬では連勝を続け、なんと全勝のまま引退しています。そして、その強さゆえに、このページのテーマである「単走」という珍事が発生。30年以上なかったといいますから、当時としてもものすごく珍しい出来事だったようです。G1レースだったにも関わらず、みんな回避してしまったという異常事態でした。出れば入着確実だったんですし、もったいない気がしますけどね。
<古馬となったスペクタキュラービッドは、年初めのマリブステークスを馬なりで5馬身差の圧勝を遂げると、チャールズH. ストラブステークスで1:57.8という史上空前の世界レコードで勝利する。この後も圧勝で連勝を続け、アモリーL. ハスケルハンデキャップで名牝グローリアスソングを破ると、引退レースとなったウッドワードステークスはあまりの強さに他陣営が恐れをなし、1948年以来の単走のレースとなった。アファームドに敗れてから引退まで9連勝。生涯獲得賞金は278万1608ドルで、アファームドを抜いて当時の新記録だった。>
「日本の馬でもたまに血統表で目にしたような種牡馬」と書いたのですが、「最高」であった競走成績から見ると、種牡馬成績は「失敗」と言って良いものだったようです。
<引退したスペクタキュラービッドは、当時のレコードとなる総額2200万ドルでシンジケートが結成され、クレイボーンファームで種牡馬入りした。初年度となる1981年の種付け料は15万ドル。だが、種牡馬成績はG1勝ち馬が1頭と、多大な期待には遠く及ばず、繁殖牝馬の質と種付け料は低下の一途をたどった。1991年にニューヨーク州のミルファーファームに移動。(中略)
通算の種牡馬成績は、勝ち上がり頭数253頭のうちステークス勝ち馬が47頭、獲得賞金は1900万ドル以上。母の父としては、スペクタキュラービッドが死んだ時点で69頭のステークス勝ち馬を出していて、そのなかには2001年カルティエ賞最優秀スプリンターのMozartなど8頭のG1勝ち馬が含まれている>