■2015/11/17 僅か700万円しか稼がなかったウッドマン、種牡馬としては成功
■2018/05/10 クラフティプロスペクター、ゴーンウエスト、イルーシヴクオリティもG1または重賞未勝利
■2016/2/19 重賞未勝利のクリスエス、シンボリクリスエスなどを輩出 名前の由来は女性からだった
■2017/10/21 G1未勝利でも名種牡馬となったシルヴァーホーク
■2020/12/30 2戦して未勝利1勝のマリブムーン、G1馬を出しまくる
■2016/1/17 地方の未活躍馬ながら種牡馬入りのゴールドヘイローから活躍馬続出
2022/01/24再投稿
■2013/3/24 ダート1200なのに20馬身差勝利のクラフティプロスペクター
■2013/3/15 大種牡馬ミスタープロスペクター、実は重賞未勝利
ミスタープロスペクターは大種牡馬の1頭であることには疑いがありません。
これを書こうと思ったきっかけのビッグレッドファームグループ会報アワープレジャー2012年8月号のザ・ブラッドでは、20世紀を代表する種牡馬としてあのノーザンダンサーと双璧といった感じの書き方でした。
また、Wikipediaでは種牡馬として「20世紀末でもっとも成功」と書いていました。
ところが、ミスタープロスペクター、意外なことにG1どころか重賞すら勝っていないそうです。
Wikipediaでも以下のように書いています。
-----引用 ここから-----
ミスタープロスペクター (Mr. Prospector) はアメリカ合衆国の競走馬。<b>競走馬としては大成できなかった</b>が、種牡馬としては20世紀末でもっとも成功しミスタープロスペクター系を築いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC
-----引用 ここまで-----
日本ほどではないとは言えG1未勝利の種牡馬の時点で珍しくなり、大種牡馬となればなおさらです。
しかも、重賞すら未勝利となると、すごいことですね。
ミスタープロスペクターの場合は近親に活躍馬がいて……という種牡馬パターンでもなく、さらに貴重です。
日本なら種牡馬入りしない可能性の高いタイプです。
以下、アワープレジャー2012年8月号のザ・ブラッドによりますが、実際繁殖入りした馬産地を見ても最初から期待されていたわけではないようです。
http://www.ruffian.co.jp/site/ourpleasure/ourpleasure.php
-----引用 ここから-----
温暖な気候に恵まれたフロリダは米国ではケンタッキーに次ぐ馬産地として知られるが、繁殖牝馬のレベルはトップクラスが集結するケンタッキーとは比較にならない。ミスタープロスペクターが繁殖入りした70 年代後半のフロリダには地元育ち
のインリアリティ(77 年の米2歳種牡馬チャンピオン)という超大物が不動のセンターに君臨。75 年に種牡馬入りしたミ
スタープロスペクターは3 歳時にガルフストリームパーク競馬場の6 ハロンのレコードタイムを樹立して、その快速ぶりが知られていたとは言え、看板(重賞勝ち)のない馬の旅立ちは決して恵まれたものではなかった。
ダートの短距離に特化して売り出したミスタープロスペクターは初年度産駒をデビューさせて2 年目の79 年にファピアノらの働きによって米2 歳種牡馬チャンピオンに輝き、81年にはケンタッキーの名門牧場クレイボーンファームにトレード。その後は不動の地位を築くことになる(略)
-----引用 ここまで-----
途中であったようにレコードタイムを持っていました。これが種牡馬入りとなったきっかけかもしれません。
戦績とレコードに関しては、Wikipediaもどうぞ。
-----引用 ここから-----
セクレタリアトと同世代だが、ミスタープロスペクターは出世が遅く、大競走に出ていないため、セクレタリアトとはいちども対戦することはなかった。競走成績は14戦7勝。短距離の競走で2度のレコードを出したが、重賞は2度の2着がある程度で勝つことはできなかった。
-----引用 ここまで-----
しかし、種牡馬として出世し出してからは、すごいです。
-----引用 ここから-----
種牡馬入り直後の産駒には小粒な早熟短距離馬が多かったが、1979年には2歳リーディングサイアーとなり、1982年にはコンキスタドールシエロがベルモントステークスを制した。その後、供用地がケンタッキー州に移ったころからクラシックホースを含む大物を出し始め、また産駒も種牡馬として成功し始めた。1987 - 1988年にはリーディングサイアーとなり、大種牡馬としての地位を確立した。非常にタフな種牡馬としても知られ、死亡した1999年にも種付けをこなしていた。
-----引用 ここまで-----
以下に代表産駒。有名馬が大量です。
-----引用 ここから-----
代表産駒
1978年生
ミスワキ / Miswaki(1980年サラマンドル賞)
1979年生
クラフティプロスペクター / Crafty Prospector(種牡馬、アグネスデジタルの父)
コンキスタドールシエロ / Conquistador Cielo(1982年メトロポリタンハンデキャップ、ベルモントステークス)
1980年生
エイロ / Eillo(1984年ブリーダーズカップ・スプリント)
1981年生
プローチダ / Procida(1984年フォレ賞、ハリウッドダービー)
1982年生
ダミスター / Damister(種牡馬、セルティックスウィング・トロットスターの父)
1983年生
ウッドマン / Woodman(種牡馬、ヘクタープロテクター・ティンバーカントリー・ヒシアケボノなどの父)
1984年生
アフリート / Afleet(1987年ジェロームハンデキャップ)
ガルチ / Gulch(1987年・1988年メトロポリタンハンデキャップ、1988年ブリーダーズカップ・スプリントなど、G1・7勝)
ゴーンウェスト / Gone West(1987年ドワイヤーステークス)
ジェイドハンター / Jade Hunter(1988年ドンハンデキャップ、ガルフストリームパークハンデキャップ)
マイニング / Mining(1988年ヴォスバーステークス)
1985年生
シーキングザゴールド / Seeking the Gold(1988年ドワイヤーステークス、スーパーダービー)
フォーティナイナー / Forty Niner(1987年フューチュリティステークス、シャンペンステークス、1988年ハスケルインビテーショナルハンデキャップ、トラヴァーズステークス)
1987年生
ジェイドロバリー / Jade Robbery(1989年ジャン・リュック・ラガルデール賞〈フランスグランクリテリウム〉)
マキャベリアン / Machiavellian(1989年モルニ賞、サラマンドル賞)
リズム / Rhythm(1989年ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル、1990年トラヴァーズステークス)
1988年生
スキャン / Scan(1991年ジェロームハンデキャップ、ペガサスハンデキャップ)
1990年生
キングマンボ / Kingmambo(1993年プール・デッセ・デ・プーラン〈フランス2000ギニー〉、セントジェームズパレスステークス、ムーラン・ド・ロンシャン賞)
1991年生
アワエンブレム / Our Emblem(種牡馬、ウォーエンブレムの父)
ショウリノメガミ(1996年京都牝馬特別、1997年中山牝馬ステークス)
1992年生
スマートストライク / Smart Strike(1996年フィリップ・H. アイズリンハンデキャップ)
シェイクハンド(1995年ニュージーランドトロフィー4歳ステークス)
1993年生
ターリブ / Ta Rib(1996年プール・デッセ・デ・プーリッシュ〈フランス1000ギニー〉)
1995年生
チェスターハウス / Chester House(2000年アーリントンミリオンステークス)
1997年生
フサイチペガサス / Fusaichi Pegasus(2000年ケンタッキーダービー)
1998年生
アルデバラン / Aldebaran(2003年サンカルロスハンデキャップ、メトロポリタンハンデキャップ、フォアゴーハンデキャップ)
-----引用 ここまで-----
「ミスタープロスペクター系を築いた」と最初にあったように、G1馬を続出させただけでなく、子供たちや孫たちがまた種牡馬として成功していったってのがすごいですね。
■2015/11/17 僅か700万円しか稼がなかったウッドマン、種牡馬としては成功
ミスタープロスペクター系の種牡馬が多いのであれですが、ウッドマンも有名な種牡馬の1頭でしょう。日本では、その子のヘクタープロテクターが輸入されており、こちらの方がさらに馴染みです。
ところが、このウッドマンが現役時代は、2万3760ポンド(約700万円)しか稼がなかったと聞いて驚きました。
ただ、よくよく見てみると、賞金が安いだけで競走成績は十分。一般戦からG3を続けて勝って3連勝、英国遠征で臨んだG1デューハーストS(芝7ハロン)は負けたものの、アイルランド最優秀2 歳馬に選出されたそうです。
3歳は1戦して引退しちゃったのであれですが、弱かったわけではないようです。日本の賞金体系のイメージがあると、間違えますね。
また、血統に関して言えば、さらに良かったみたいです。
そもそもロバート・サンガスターさんが300万ドル(当時の交換レートで約7億5000万円)で手に入れた馬でもあり、高額馬でした。
-----引用 ここから-----
名牝ラトロワンヌ(バックパサーやイージーゴーアらの祖)に遡るピカイチのファミリーラインを持つ鹿毛馬に大枚をはたいたのは、これがケンタッキーで一二を争う名門フィップス家のコレクションから出た馬であり、なお且つ母のプレイメイトが71年の米2歳牝馬チャンピオンに輝いたナンバードアカウントの全妹だったことに加え、父のミスタープロスペクターがノーザンダンサーの跡目を継ぐ存在になるという目星をつけていたからであろう。
Our Pleasure 2014年4月 ザ・ブラッド 血統表を紐解く!(T.I.S)より
-----引用 ここまで-----
とはいえ、前述のような競走成績でしたので、種牡馬入りしても、最初は見向きもされなかったようです。 ところが、これが大ブレイクするのですから、競馬というのはおもしろいものですね。
-----引用 ここから-----
生まれ故郷の米国で種牡馬生活を始めたウッドマンに興味を示すホースマンは少なく、88年に生まれた初年度産駒は僅かに45頭を数えるのみだったが、その中から欧州の2歳重賞を総嘗めにしたヘクタープロテクターやプリークネスSとベルモントSの米国二冠を制したハンセル(中略)を送った(略)
-----引用 ここまで-----
ブラックタイプウイナー(重賞及び準重賞の勝ち馬)もジャスト100頭。名種牡馬の1頭と言えるでしょう。
■2018/05/10 クラフティプロスペクター、ゴーンウエスト、イルーシヴクオリティもG1または重賞未勝利
ミスタープロスペクターは 前述の通り重賞未勝利で名種牡馬となりましたが、この系統からは似たような感じで、競走成績が良くないのに、種牡馬で成功することが多いようようです。
既に書いている ウッドマンはアイルランド最優秀2 歳馬で重賞勝利はありますが、G1は未勝利。賞金はわずか700万円でした。
また、 クラフティプロスペクターは父のミスタープロスペクター同様に重賞すら未勝利でした。
さらに ミスタープロスペクターの直仔では、ゴーンウエストも重賞2勝ではあるものの、G1勝ちのない競走成績(17戦6勝)。しかし、種牡馬になって成功しています。
そして、このゴーンウエストの仔 イルーシヴクオリティがまたまたこのパターン。2 ~ 4歳時に20 戦9勝、2 着3回、3着2回。2 歳時に8 戦4 勝。重賞勝ちはあるものの、G1競走には4度挑戦してウッドバインマイルHの4着が最高でした。
では、なぜ種牡馬になれたのか?と言うと、レコードを持っていたのです。ガルフストリームパーク競馬場のダート7ハロン戦でコースレコードを更新、ベルモントパーク競馬場
の芝8 ハロンを1分31秒63で走り、世界最速レコードを叩き出しました。
そのレースぶりは駆け引きなしの逃げ一本やり。そのために、高いレベルで同脚質馬が現われるG1競走はどうしても不利な流れになり、勝てなかった模様です。
種牡馬入りしたイルーシヴクオリティは最初1万ドル(約110万円)の種付け料でスタートしたのですが、初年度産駒の中からフランスで2歳牡馬王者になったイルーシヴシティなど11頭がブラックタイプ競走(重賞、準重賞)の勝ち馬に。
2年目からは、二冠馬スマーティジョーンズや2007年の米最優秀短距離牝馬に選出されたメアリーフィールドなどが登場で大成功。
交配料は大台の10万ドルまで上がり、当初の10倍にまでなりました。こういう話はわくわくしちゃいます。
(Our Pleasure2018年2月号 ザ・ブラッド 血統表を紐解く! T.I.Sより)
■2016/2/19 重賞未勝利のクリスエス、シンボリクリスエスなどを輩出 名前の由来は女性からだった
Our Pleasure 2015年10月号 ザ・ブラッド 血統表を紐解く! T.I.Sより
"Our Pleasure 2015年10月号 ザ・ブラッド 血統表を紐解く! T.I.S"によると、クリスエスは安かった馬ではなく、一応なかなか期待されていたようです。
-----引用 ここから-----
幼少時に蹄に小さな難があったクリスエスは地元の1歳セールでピンフッカーに5万8000ドル(当時の交換レートで約1100万円)で購買され、翌年のカリフォルニアのトレーニングセールに上場されて14万ドル(約
3080万円) という高値で売却された。
-----引用 ここまで-----
ただし、競走成績は極めて凡庸でした。G1未勝利どころか重賞未勝利。4着が最高です。
-----引用 ここから-----
フロリダで生まれ、2、3歳時に5 戦3勝、2 着1回。2 歳時にカリフォルニアのハリウッドパーク競馬場の未勝利戦(ダート5.5ハロン)でデビューし、2 着馬に3馬身差をつけて優勝。2 戦目以降はサンタアニタ競馬場を主戦場とし、8.5ハロンの一般戦と3歳初戦のブラッドバリーS(9ハロン)に優勝した。ブラッドバリーSは水が浮く馬場で道悪巧者ぶりを発揮した。連闘で向かったG2サンフェリペS(8.5ハロン)は重賞ウイナーのレイズアマンに4馬身1/4差の4着し、出世の足がかりとしたが、その後に屈腱炎を発症して引退。
-----引用 ここまで-----
こんな馬がなぜ種牡馬入りできたか?と言うと、"人気を誇っていたロベルト直仔で伸びのある雄大な馬格が評価されて"とのこと。
ただし、これも期待されていたというわけではなく、安値からのスタートでした。
で、ここからの大出世。競馬はこういうのがおもしろいですね。
-----引用 ここから-----
レース実績が不足していたことで初年度の交配料は3500ドル(約84万円)だったが、早い段階からブリーダーズCの大舞台で勝利を掴んだプライズドやハリウッドワイルドキャットといった一流馬が現れて大ブレーク。1993 年にケンタッキーに移動後も有馬記念でぶっちぎりを演じたシンボリクリスエスや英ダービー馬クリスキンらの名馬を送り、2001年の交配料は当時の北米でストームキャット(40万ドル)に次ぐ15万ドル(約1800万円)となった。
-----引用 ここまで-----
日本ですとあまりこういう大逆転はなくて残念に思っています。未活躍馬の種牡馬入り自体が少ないですよね。種牡馬に層の厚みがありません。
その話は置いておいて、もう一つおもしろいと思ったのが「クリスエス」という名前です。女性名から取られた名前でした。
-----引用 ここから-----
馬名のクリスエスはオーナーの長女クリスティン[KRIS]tin・シューネマン[S]chunemannからの命名であ
る。
-----引用 ここまで-----
ただし、つづりの異なる「クリス (Chris)」自体は男性が多いそうなので、これでも違和感ないのかもしれません。
-----引用 ここから-----
クリス (Chris)
主に英語での人名。男性に多く、クリストファー、クリスチャンの通称。女性名としては、クリスティアナ、クリスティーナ、クリスティーンの通称。
クリス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9
-----引用 ここまで-----
あと、「Kris」という馬がいたのも発見。種牡馬ですので、やはり男です。
-----引用 ここから-----
クリス (Kris) とはイギリスの競走馬、種牡馬である。マイル以下の競走で安定した成績を残し、生涯の連対率は100パーセントを誇る。また、種牡馬としても優秀な成績を残した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9_%28%E7%AB%B6%E8%B5%B0%E9%A6%AC%29
-----引用 ここまで-----
他に東南アジアにある短剣をKrisというそうなので、男っぽいイメージなのかもしれませんね。
■2017/10/21 G1未勝利でも名種牡馬となったシルヴァーホーク
どうも私はそれほど活躍していないのに種牡馬入りして成功という話が好きみたいですね。シルヴァーホークもそういう話でした。
この馬の場合、重賞は勝っています。アメリカ生まれでイギリス育ちの彼は、ニューマーケットのG3クレイヴァンS(8ハロン・直線)を1馬身半差で快勝。
ただ、その後、G1英2000ギニーでは1番人気に支持されたものの、不得手の重馬場に最後、脚が止まって勝ったジーノから5馬身差の5着で入線。
G1英ダービーでも勝負どころで馬群が邪魔になってスムーズさを欠き、ゴールデンフリースから4馬身差、のちに英・愛のセントレジャーを制するタッチングウッドから1馬身差の3着。
G1愛ダービーではこれまた水の浮く不良馬場で2 着。その後の調教で脚部を痛めて引退し、結局、G1は勝てずじまいでした。
このような成績だったシルヴァーホークを、当時ケンタッキーの牧場でも十指に入ったというエアドリースタッドのB.ジョーンズさんが注目。再び故郷のアメリカに戻ってきます。
ただ、最初の数年はまったく無名。変化が訪れたのは3 年目の産駒からで、ホークスター、レデ
ィインシルヴァーなどのG1馬が出ると人気に火が付きました。
種付料はずっと非公開だったが、ベニーザディップが英ダービーを制した1997年は4万ドル(約480万円)、グラスワンダーが日本で活躍した1999年は7万5000ドル(約860万円)にまでアップしました。そうグラスワンダーの父なんです。
シルヴァーホークがいなかったらグラスワンダーもいなかったし、スクリーンヒーローもいませんでした。偉大な相馬眼でしたね。
このスクリーンヒーロー の場合、G1を勝っていますが、種牡馬としては全く期待されない地味なスタート。種付料30万円を出発点に自らの力で這い上がって今や種付料500万円の一流種牡馬となったということで、成り上がり っぷりは似ていました。
なお、シルヴァーホークの場合は、競走馬としても最初期待されていなかった模様です。
彼を見出したのは、サウジアラビアで父のやっていたオイルビジネスを軌道に乗せたマームード・フーストックさん。彼は、米国大学留学時に競馬の魅力に取りつかれて競走馬を持ち、ケンタッキーに牧場を開きました。
競馬の世界に入ってくるパターンとしてはドバイのモハメド殿下と同じのこと。しかし、モハメド殿下ほどの権力も金力もなかったフーストックさんは、相馬眼を養って、幼少時に多少の難のある馬でも、その個体が持っている品格を重視して馬を買うというスタイル。
シルヴァーホークが上場されたケンタッキーのファシグティプトン7月セール自体が地味。上場馬の多くは新種牡馬や、まだ成績の出ていない種牡馬を父に持つ1歳馬だといいます。
シルヴァーホーク自身、母のグリヴィタスは2勝馬です。ただ、その1勝はフランスの重要なマイルG1のジャックルマロワ賞なので「良血」といえる血統。
しかし、フーストックさんの競り落とした金額は、わずか7万7000ドル(当時の交換レートで約1730万円)だったといいます。まさに掘り出し物でした。
シルヴァーホークの父はロベルトという良い種牡馬なので不思議ですが、馬体がいかにも芝向きで血統も欧州色が濃かったからではないかとのこと。
同じ 1980 年に米国のセリで売却されたロベルト産駒の平均売却価格(17万7688ドル)でしたので、他の同じ父の産駒から見ても明らかに安い価格でした。
(Our Pleasure 2016年11月号 ザ・ブラッド サラブレッドインフォメーションシステムより)
■2020/12/30 2戦して未勝利1勝のマリブムーン、G1馬を出しまくる
久しぶりに未活躍でも名種牡馬の話を追加。メモしていたのに、使っていなかった話があったんですよ。あまり日本ではいないので知りませんでしたが、未活躍で成功した種牡馬ではマリブムーン (Malibu Moon) という馬もおもしろいですね。父は大種牡馬エーピーインディ(A.P.Indy)。ボールドルーラー~シアトルスルーの系統です。
マリブムーンは、不動産投資信託などの事業を行うパブリックストレージの創業者でもあるブラッドリー・ウェイン・ヒューズ会長の自家生産馬。近親に多数の活躍馬がいる良血ではありました。とはいえ、1999年4月のデビュー戦2着の後、5月の5ハロンの未勝利戦後に、後膝の骨折が判明し引退。1戦1勝であり、デビュー戦と未勝利しか走っていません。
良血だったということもあり、ヒューズ会長は彼を種牡馬にしようとします。ただ、良血とはいえ、さすがにこの成績では種牡馬入りに苦労しました。馬産の中心地であるケンタッキー州では、引き受けるスタッドは見つかず。仕方なくメリーランド州でデビュー。初年度となる2000年の種付け料は3000ドルだったといいます。
ところが、現役時代や種牡馬入りでは苦労したのとは一転して、種牡馬入りしてからはいきなり成功。初年度産駒がデビューした2003年にいきなり重賞勝ちを記録。翌2004年には、当時G1だったハリウッドフューチュリティ勝ち馬Declan's Moonを出します。
このように活躍したため、念願のケンタッキー州で種牡馬生活を送ることに。ケンタッキー州では、当然、肌馬の質も上がったと思われます。だからと言って走るとは限らず今までのはまぐれだった…ということもあり得るのですけど、マリブムーンは本物でした。今までよりさらに質の高い産駒を輩出し、2010年には北アメリカのリーディングサイアーランキングで初のトップテン入りとなる3位に。
Wikipediaでは、G1勝ち馬だけで9頭記載がありました。パッと見て一番活躍したのは、ケンタッキーダービーなどを勝ったOrb(オーブ)でしょうか。前述のような活躍のおかげで、2014年の種付け料は初年度の30倍以上となる95000ドルとなったそうです。(Wikipediaより)
■2016/1/17 地方の未活躍馬ながら種牡馬入りのゴールドヘイローから活躍馬続出
Enjoy Ruffian 2009年2月号(血統マニアック 藤井正弘)を読んでいてびっくり。ゴールドヘイローはてっきり海外からの輸入種牡馬だと思っていたのですが、日本、しかも、地方の未活躍馬だと今頃知って驚きました。古い雑誌を今頃読んでいるので、めちゃくちゃ時間かかっています。(これをさらに2021年に再投稿。12年も前の話です)
海外だと血統背景からの種牡馬入りは珍しくないものの、日本ではこの成功例が極端に少ない気がしていたので驚きです。
ゴールドヘイローは近親にカーリアンがいますで、血統は良い馬でした。ただ、脚部不安から地方でデビュー。8戦5勝したものの、賞金は1,683.0万円程度。2年間登録抹消されなかったと言いますから、もっと走らせたかったのに、足元のせいで走れなかったということでしょう。
この馬が種牡馬入りしたのは、2004年で中村畜産。中村和夫代表は、「競争能力と種牡馬能力は全く別物」という信念を持っており、故障したミルジョージを輸入して1989年に日本のチャンピオンサイヤーにした方だそうです。
ゴールドヘイローの初期の産駒はほとんどが自分のところの馬だったようです。しかし、その中から地方での善戦する馬が続出。2008年の地方2歳リーディングにも輝きます。2007年の最初の世代は2歳戦の時点で、出走17頭で25頭が勝ち上がり、勝率0.824。第2世代は42頭中35頭の0.833で、何とこれを上回りました。
これは2009年の古い記事だったので、今はどうか?と見ると、1億円ホースが4頭もいて驚きました。繁殖牝馬の質を考えると、驚異的でしょう。(うち3頭は中村和夫さんの生産馬)
トウケイヘイロー 中村和夫 26,758.90
モエレビクトリー 中村和夫 12,889.00
アポロラムセス 中村和夫 10,286.90
プロモントーリオ 道見牧場 10,107.30
ゴールドヘイローはもう高齢馬となっており、これ以上たくさん種付けってことにはならないと思います。もっと注目されたら良かったな…という感じで、残念です。
■2013/3/24 ダート1200なのに20馬身差勝利のクラフティプロスペクター
クラフティプロスペクターは、2 歳時は3 戦2 勝、2 着1回。ここまでは特別すごくなかったのですが、すごかったのが、3歳にから2 戦目の一般戦。これでで2 着馬を20 馬身ちぎる圧巻のパフォーマンスを見せました。20馬身だけで驚くのですが、一番すごいのがこのレースがダート6ハロンのレースだったことです。ダート1200mで20馬身差っておかしいですよね。すごすぎる強烈エピソードでした。
4歳以降は以下のような競争成績で、生涯成績としては、米国で2 ~ 4 歳時に10 戦7 勝、2 着2 回となっています。
<4 歳になって2 連勝で臨んだ重賞初挑戦のG1ガルフストリームパークH でクリスマスパスト(前年の3 歳牝馬チャンピオン)のクビ差2 着し、初めての10 ハロン戦で距離の柔軟性を証明した。すべてのレースで馬券に絡む堅実ぶりと当時、売り出し中だったミスタープロスペクターの直仔が買われて84 年春にフロリダで種牡馬入り>
アワープレジャー2012年8月号のザ・ブラッドより
http://www.ruffian.co.jp/site/ourpleasure/ourpleasure.php
ところで、この戦績を見てわかる通り、父ミスタープロスペクターと同様重賞未勝利なのです。記事では以下のような評価であり、G1を勝てる実力ではあっただろうと見られていますけどね。
<故障によるブランクもあって出走機会は3シーズンで10 回に留まったが、電撃の6 ハロン戦で後続を20馬身ちぎる神業を演じ、デビューから9 戦目での重賞初挑戦となったG1 ガルフストリームパークHでは距離延長と相手強化に臆することなく、直線で果敢に最内を突いて、あわやの2 着。順調であれば、重賞は勿論、G1にも手が届いたであろうことを想像させている>
クラフティプロスペクターは本当に父ミスタープロスペクターと似ていて、やはり同様に質の劣るフロリダで種牡馬デビューし、そこで成功して頂点のケンタッキーへと行っています。なお、この活躍というのは、日本の馬なくしてはありえなかったかもしれません。そういう意味では日本とも縁がありました。
<フロリダで種牡馬入りしたクラフティプロスペクターは、6シーズンを過ごした後にケンタッキーのブルックデールファームに移ったが、メジャー昇格後も人気種牡馬の地位を保つことが出来たのはアグネスデジタルを初めとする日本での産駒の成功があったからに他ならない。柔軟な馬体から繰り出される芝に対応するスピードを備え、鞍上の意のままに動ける賢さは父譲り。八方美人が邪魔をして、母国では超一流と認められるまでに至らなかったが、日本という最適の働き場を得て、31 歳まで元気に生きたのだから、運も強かったのだろう>
アグネスデジタルは芝ダート不問でしたし、距離もマイルだけでなく中距離は強かったです。ここらへんが八方美人と言われるところですかね?良い馬でした。
父ミスタープロスペクターも距離の持つ産駒を輩出し、その子らもまた父として長いところをこなせる馬を出しました。こういう一筋縄ではいかないところも、競馬の血統のおもしろさでしょう。