2024年4月23日火曜日

見栄えの悪かったシアトルスルー、アメリカで唯一不敗の三冠馬となる

■2014/8/5 見栄えの悪かったシアトルスルー、アメリカで唯一不敗の三冠馬となる
■2014/8/5 地味血統の母、その後も活躍馬を輩出し日本も種牡馬導入
■2014/08/06 三冠馬なのに酷使されたシアトルスルー、連戦による敗戦も



■2014/8/5 見栄えの悪かったシアトルスルー、アメリカで唯一不敗の三冠馬となる

 シアトルスルーは米国競馬史上、10 頭目にして唯一の不敗の三冠馬(2012年時点)。ただ、幼少期については頭が大きく見栄えが悪かったことや、生まれつき右前肢の蹄が外向していたことなどネガティヴな部分が強調されることが多いとのことです。
 「良さそうに見えなかったのに歴史的名馬!」と言うのは、ドラマチックな話。ただ、この話を書いていた、サラブレッドインフォメーションシステムは、こうしたネガティブさを強調する話を誇張だと考えているようです(アワープレジャー2012年12月号(ザ・ブラッド Vol.18)より)。 

  シアトルスルーは2 歳時にファシグティプトン・ジュライセールに上場され、獣医だったジェイムズ・ヒル氏に1 万7500ドル(当時の交換レートで約507万円)で落札されています。実を言うと、この価格は同年のケンタッキーダービー優勝賞金(16 万5200ドル)の10%以上であり、安くなかったのです。当初からかなり期待されていたことをうかがわせる話です。
 さらに、血統的にも未知の馬につけられた値段としては決して安くない、と補足。「血統的にも未知の馬」というのは、父が種付け料の安いボールドリーズニングで母マイチャーマーも良い血統ではなかったという理由です。
 買った人が自信あったからとはいえ、競る人がいないと釣り上がりません。やはりセリの時点で、「ただの見栄えの悪い馬」ではなかったのでしょう。作者は、セリの時点ではすでにネガティブな点は解消されていたのではないか?といった書き方をしていました。


■2014/8/5 地味血統の母、その後も活躍馬を輩出し日本も種牡馬導入

 シアトルスルーを競り落としたのは、ジェイムズ・ヒルさんでしたが、単独ではなく4人での所有。ヒル夫妻とともに共同オーナーとなったテーラー夫妻はワシントン州で材木商を営みながら、いつか馬を持ちたいという夢を叶えるべくセリ会場に赴き、偶然に知り合ったヒル夫妻と意気投合。4 人の中で唯一専門家だったヒル氏の勧めに従ったのだとのこと。
 素晴らしい相馬眼で、これは前述の金額でも当然安すぎる買い物となりました。
 シアトルスルーがオーナーグループに贈った金額(競走での120万8276ドルと種牡馬シンジケートの1200万ドル)は現役引退時で元手のおよそ750 倍。4 人はシンジケートの全40 株のうち半分を手許に残したので、種牡馬としての成功によって、もたらされた金額は莫大なものとなったそうです。

 なお、未知の血統とされたシアトルスルーの母マイチャーマーは、血統的には地味ながらも現役時6 勝の上級牝馬でした。
  さらにシアトルスルー以外にも活躍馬を連続で出しており、肌馬としての能力は高かったようです。
 シアトルスルーの半弟にG1英2000 ギニー馬となるロモンド(父ノーザンダンサー)や、G2で2勝・G1で2着して日本などに種牡馬輸入されたシアトルダンサー(父ニジンスキー)がいます。



■2014/08/06 三冠馬なのに酷使されたシアトルスルー、連戦による敗戦も

 アワープレジャー2012年12月号 ザ・ブラッド Vol.18(サラブレッドインフォメーションシステム)によると、アメリカの歴史的名馬シアトルスルー生涯無敗ではないものの、勝つときのパフォーマンスは圧倒的なことが多かったようです。
 2 歳9月のデビューからG1シャンペンS まで3 連勝で2 歳王者になっています。Wikipediaによると、G1シャンペンステークスはアメリカの2歳戦のなかでもっとも格が高いとされるレース。このレースでシアトルスルーはスタートから逃げてほかの馬を引き離し、2着馬に10馬身の着差をつけて優勝。圧倒的!というのがわかりますね。

 ザ・ブラッドによると、その後も連勝し、東部前哨戦のG1ウッドメモリアルS まで6 連勝で迎えた三冠は、どれも圧倒的な1番人気に応えて完全制覇。史上初の不敗三冠馬となっています。Wikipediaでは、以下のように書いていました。

-----引用 ここから-----
第1戦ケンタッキーダービーではスタートで頭をゲートにぶつけて出遅れたもののすぐに前方へ進出して先頭を奪い、そのまま逃げ切って優勝。第2戦プリークネスステークスではいったん2番手に控え、第3コーナーでコーモラントを振り切るとそのままゴールし優勝した。第3戦ベルモントステークスではスタート後すぐに先頭を奪い、そのまま逃げ切って優勝。史上10頭目、史上初の無敗のアメリカ三冠馬となった。
-----引用 ここまで-----

 ただ、勝ち方が圧倒的なだけに、負けたときは大騒ぎだったのかもしれません。ザ・ブラッドによると、三冠の後、中2 週で向かったG1スワップスS では1着から大差の4着となり、初めて負けてしまいました。これによって馬主サイドと調教師の間に溝が生じ、この年は競馬場に戻ることのないまま終了。ただ、このまま最優秀3 歳牡馬だけでなく、年度代表馬まで選ばれました。
 アメリカのきつい三冠スケジュールを勝ったのにさらに中2週ってのはどうかと思いましたし、そこらへんで揉めたのかな?と2022年1月21日に読み直していて思いました。すると、Wikipediaで顛末が載っていましたわ。やはり休養の問題です。
 なお、関係は不明なものの、この敗戦の後にはシアトルスルーは高熱で危うく命を落とすところまで行きました。

<アメリカ三冠達成後、調教師のウイリアム・ターナー・ジュニアはシアトルスルーに休養を取らせるべきだと主張したが、馬主サイドの意向によりベルモントステークスから1か月も立たないうちに西部のハリウッドパーク競馬場で移送され、G1スワップスステークスに出走することになった。結果は勝ち馬から16馬身離された4着に終わり、デビュー以来の連勝は9で途絶えた>

 Wikipediaでは、<一般セリ市で購入された馬がアメリカ三冠を達成したのも史上初のことで、4人の馬主が手にした幸運はマスコミに大きく取り上げられた>と書いています。オーナーの相馬眼の素晴らしさは前回も書きましたが、3歳の最後のレース選びは間違いでしたね。

 ザ・ブラッドによると、カムバックは4 歳5月でしたが、3歳12 月にはD.ピーターソン厩舎に転厩。一般戦を連勝したものの、9月のG2 パターソンH(2 着)をクビ差で落としたことでデビュー以来のコンビだったJ.クリュゲ騎手が降板。ここから引退までの4 戦はA. コルデロJr 騎手が手綱を取りました。
 このパターソンH から11日後という、また、きつい日程でG1マールボロCHに行きました。1歳年下の三冠馬アファームドとの、夢の対決です。これがどうなったか?というのは、Wikipediaからどうぞ。

<G1マルボロカップで1歳年下の三冠馬アファームドと対戦。三冠馬が同じレースで対戦するのはアメリカ競馬史上初のことであった。シアトルスルーにはアファームドより1.8キロ重い斤量が課せられたが、アファームドに3馬身の着差をつけて優勝した>

 ここまででも走りすぎな感じがあるのですが、なんとこの後も中1週のG1ウッドワードSへ。欧州から移籍したエクセラーに4馬身差で勝利しています。Wikipediaによると、4馬身の着差をつけベルモントパーク競馬場ダート2000メートルのコースレコードを記録して優勝しているそうです。
 その次のG1ジョッキークラブ金杯はエクセラーにハナ負け。ただ、現役最後となった11月のG3 スタイヴァサントH を逃げ切って有終の美。直接対決で勝っており、年度代表馬で良かった気がしますが、この年の年度代表馬はアファームドで、最優秀古馬のみ。通算17戦14 勝、2 着2 回で引退となりました。