2023年8月29日火曜日

遅いデビューでの活躍馬 ブロードアピール、ダイユウサク、タマモストロングなど

■2017/02/17 遅いデビューでの活躍馬 ブロードアピール、ダイユウサク、タマモストロングなど
■2022/04/10 G1勝ちまくり最強マイラー・タイキシャトルは遅いデビューでも最強馬?
■2017/10/02  芝で悪くなくてダート変更が遅れたブロードアピール
■2017/10/02  ブロードアピールといえば根岸S!伝説的な追込による勝利
■2017/02/17 「史上最強の一発屋」個性派の名馬ダイユウサク

■2017/02/17 遅いデビューでの活躍馬 ブロードアピール、ダイユウサク、タマモストロングなど

 Enjoy Ruffian 2012年3月号 マイネルデータ 牡・父スダタカオ〈24〉須田鷹雄は、遅いデビューでの活躍馬がテーマでした。

 まず、1992年以降の平地G1馬が最初のレース(新馬戦とは限らず、未出走戦・未勝利戦などでのデビューも含む)を走った時期別成績について、調べています。
 いちばんデビューが遅かったのはフラワーパークで3歳の10月29日。現在なら中央でデビューできないタイミングで、しかもそのデビュー戦で10着と敗れているというから驚きです。(2戦目で勝ち上がり)。
 以下、ジャガーメイルの9月8日、シンコウキングの7月9日と続く。遅れたデビューから3歳のうちにG1を勝った一番の例はオウケンブルースリで、4月26日のデビュー(2着)から菊花賞を制しています。

 これを重賞勝ちにまで広げると、私も大好きだったブロードアピールが一番になります。
 4歳時の9月12日に札幌の500万条件平場でデビューし、2戦目で勝利。1敗を挟んで4連勝すると、デビュー4か月後の京都牝馬特別で早くも重賞入着(3着)。重賞を勝つにはそこからさらに1年かかったが、6歳2月にシルクロードSを制しています。
 これに続く2位がタマモストロング。4歳の5月16日に新潟の500万条件平場でデビュー。その後しばらく停滞しましたが、4歳終わりから7連勝でマーチSを制しました。
 500万条件(400万条件)デビューから出世した例としてはダイユウサク(91年までの重賞しか勝っていないため今回対象外)が有名ですが、そのダイユウサクもデビューは3歳の10月30日。先述した2頭は4歳のデビューでしたからね。

 最近増えているマル地馬での最高記録は、3歳の10月31日にデビューしたダンスアジョ
イ。未勝利のまま1000万条件に出走するという奇策まで繰り出したが勝てず、道営での2戦2勝を挟んで中央に復帰。後に小倉記念を制しました。


■2022/04/10 G1勝ちまくり最強マイラー・タイキシャトルは遅いデビューでも最強馬?

 <遅いデビューと連勝街道|競馬最強の法則WEB>では、日本調教馬による海外GI初制覇が出た直後に2例目の海外GI制覇を果たした名馬タイキシャトルも遅いデビューの馬としてしていました。これを含めてG1を5勝。外国産馬として中央競馬史上初めて年度代表馬に選出された馬でもあり、超大物ですね。

<藤沢和雄厩舎にはいるタイキの馬は、総じて「デビューが遅い」という傾向にあるが、タイキシャトルも同様であった。ただしこの馬の場合、意図的に遅らせたわけではなく、やむを得ない事情があった。
 脚を負傷したため入厩の時期が年明けの2月にズレ込んだばかりか、入った後も脚元のモヤモヤに悩まされていたのである。特に厄介だったのはソエで、稽古で走らせるたびに悪化するので、かなり仕上げに手間取ったのだ。また、当時はゲートの出が悪く、3度目にしてようやくゲート試験に合格したという逸話も残っている。ようやくデビューできたのは、4歳(現表記で3歳)の4月。当然クラシックは間に合わない>
http://saikyo.k-ba.com/members/history/taiki_shuttle/chapter_02.html

 競馬最強の法則WEBでは、<昭和の時代、「最強マイラー」といえばニホンピロウイナーの代名詞のようなものだった>が、<現在、最強マイラーといえば、この馬のことを指すのが一般的>としていました。Wikipediaでも以下のような記述が見られます。遅いデビューの最強馬とも言えるかもしれません。

<1997年ユニコーンステークスから1998年マイルチャンピオンシップまで記録した重賞8連勝の記録はテイエムオペラオーと並ぶJRA所属馬の記録である。さらにマイル戦ではダートを含め7戦7勝という絶対的な強さを誇り、またその勝ちっぷりも圧倒的であった。日本競馬史上最強のマイラーはどの馬かという問いに対して、最も多く名前の挙がる一頭である>

 タイキシャトルの最強マイラー候補としてはモーリスが思い浮かびましたが、モーリスと競った「競馬ファンが選ぶ『平成最強マイラー』ランキング」においても勝利。しかも、大差での勝利です。記憶に新しい馬が選ばれやすいことも考えるとさらにすごいですね。

<2019年春にnetkeiba.comによって行われた「競馬ファンが選ぶ『平成最強マイラー』ランキング」では、総数27000票に及ぶ投票の中、7819票を獲得し、第1位に選出された。2位モーリス(5710票)、3位ウオッカ(2930票)に大差をつけた結果から、現役を引退して20年以上が経過しても「平成」という時代の中でタイキシャトルが超一流のマイラーとして競馬ファンの記憶に大きなインパクトを残しており、最強マイラーとして広く認められていることが示された結果となった>


■2017/10/02  芝で悪くなくてダート変更が遅れたブロードアピール

 ブロードアピールの補足。前述の通り、4歳時の9月12日に札幌の500万条件平場でデビューし、2戦目で勝っているのですが、初戦は芝、2戦目はダートと異なっていました。
 その後の「1敗を挟んで4連勝」というのは芝。これについて、ブロードアピール - Wikipediaでは、以下のように書いていました。

"その後関西での500万下から900万下の芝のレースを4連勝し、その次走に選んだ京都牝馬特別でも負けはしたものの3着という成績を残し、芝の適性を証明することとなった。一方で、これらは後年ダート路線で活躍することとなる当馬の路線転向が遅れた要因の一つにもなっている"

 重賞初制覇となった「シルクロードS」も芝の1200。芝でもかなり強かったのです。この重賞勝利の前でも高松宮記念で6着となかなかでした。

 シルクロードSの後は、高松宮記念8着、マイラーズカップ12着と惨敗。そのせいか、次は2000年5月14日初勝利戦以来のダート戦となるオープン特別の栗東ステークス(ダート1200メートル)に出走。
 すると、牡馬を含めても最高斤量(57キログラム)でしかも6番人気という低評価でもあったにもかかわらず鋭い追い込みでエイシンサンルイス、サウスヴィグラスらを破ってレコード勝ち。
  しかし、それでも陣営はダート路線への転換をせず、芝で4連敗。とはいえ、スプリンターズステークスで4着、スワンSで4着と全然悪くない成績。ダートに転向しなかったというのはわかります。


■2017/10/02  ブロードアピールといえば根岸S!伝説的な追込による勝利

 ただ、このスワンS4着の後の、3戦目のダート戦となった根岸ステークスがやっと転機となりました。レースは最後方からのスタートとなった上に、先頭が残り400メートルの標識を通過する直前まで最後方に位置していたが、そこから後に鬼脚と呼ばれる末脚を見せます。
 直線だけで7馬身以上離れ、更に残り200メートル標識通過時点で5馬身ほど離れた先頭を差し切り、逆に2着のエイシンサンルイスに1 1/4差をつけて重賞2勝目。私はこの動画を保存しています。もともと追い込みが難しいダートで、伝説的な勝ち方をしました。

ブロードアピール ものすごい追い込み 2000年 根岸ステークス.
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 久しぶりに見直してみると、本当すごいですね。ブロードアピール以外は、前残りという展開で、1頭だけ違っていました。結構斜行しちゃってますし、最後もまだ余裕ありそうな感じでした。
 これが6歳の11月。現在の数え方の6歳ですからね。遅いです。仕方なかったのですが、もったいなかったです。
 次が翌年であり、ダートでたくさん走ったのは7歳と8歳というかなりの高齢のとき。 G1には手が届かなかったものの、重賞を4勝。JBCスプリント2着、ドバイゴールデンシャヒーンでの5着の好成績。
 Wikipediaでは、 以下のように書いていました。

"日本国内でのダート戦では全て3着以内を確保しているが、その内訳も1着7回・2着2回・3着2回と勝率にして63%・連対率にして81%にもなる。直線での末脚に賭ける追い込み馬は、その末脚が不発だと大敗を喫するケースがあることを考慮に入れると、この数値は優秀である"

  余談ですが、好きな馬だったので近親をたびたびPOG指名。最近は孫のワグネリアン(父ディープインパクト)がなかなか良い感じで期待しています。(2022/04/10追記:その後、ワグネリアンは見事日本ダービーを勝利。しかし、金子真人さんがなかなか引退させてくれず、6歳のレース中に内臓疾患で亡くなって種牡馬入りできませんでした)


■2017/02/17 「史上最強の一発屋」個性派の名馬ダイユウサク

 ダイユウサクの補足。

ダイユウサク - Wikipedia

 Wikipediaによれば、ダイユウサクは体質の弱さもあってかデビューが大幅に遅れたと言います。旧表記(数え年)で4歳、今で言う3歳になってからしばらく経った1988年10月30日・京都での400万下条件戦でデビューしました。
 しかし、このレースでは、勝ち馬から13秒も離された最下位(11着)に終わりました。さらに、次走の福島での未勝利戦でも7.3秒遅れて最下位(14着)に敗れ、この年は2戦して未勝利に終わっている。2戦ともタイムオーバーに相当する大敗だった。ダメダメでした。

 勝利するのは、1989年。当時の馬齢で5歳になったダイユウサクは4月16日、新潟での400万下条件戦で出口隆義の騎乗でデビューから5戦目にして待望の初勝利を挙げています。

 そんなダイユウサクが、有馬記念を勝ってしまいました。
 有馬記念では14番人気にもかかわらず、圧倒的1番人気のメジロマックイーンを差し切り、レコードタイムで優勝。しかし、このレース以降は1つも勝てずに引退したため、「史上最強の一発屋」などと称されることになります。 ただ、その前に金杯(西)を勝っていますので、一発屋というのもちょっとかわいそうですね。