2023年7月31日月曜日

デッドヒートは本来、競馬用語で誤訳 正しい意味は全然違った!

■2014/9/7 デッドヒートは本来、競馬用語で誤訳 正しい意味は全然違った!


■2014/9/7 デッドヒートは本来、競馬用語で誤訳 正しい意味は全然違った!

 19世紀のアメリカの名馬レキシントンのWikipediaを読んでいると、「ヒート」という言葉が何度も出てきます。例えば、以下は5歳時(1855年)の記述。「レキシントンは1回目のヒートを圧勝し、2回目のヒートは~」などと、何度も「ヒート」という言葉が出てきます。

<4月2日、レキシントンはニューオーリンズのメテリー競馬場において、100ポンド(=約46.7kg)の斤量を背負って4マイルを走り、ジョッキークラブパースの1回目のヒートでルコントが記録した7分26秒0の世界レコード更新に挑むという内容のレースに出走した。このレースでレキシントンは落鉄しながら7分19秒3/4の走破タイムを記録し、ルコントのレコードを6秒1/4更新することに成功した。このあと、レキシントンとルコントの3度目の対決が実現した。レキシントンは1回目のヒートを圧勝し、2回目のヒートは前日に疝痛を起こし体調面に不安を抱えていたルコントが棄権したため単走で勝利した>

 では、このヒートとはどういう意味なのか?という話。Wikipediaによると、"ヒートレース(Heat Race)とは競馬において、同一の組み合わせの競走馬によって複数回の競走を行うことによって優勝馬を決定する方式の競走である"としています。
 ただ、"現在は、東南アジアの一部の国でこの形態の競馬が行われている"程度。"18世紀以前の競馬ではこの形態の競走が主流だったが徐々に廃れていき、19世紀にジョッキークラブが禁止措置をとるとほとんど行われなくなった"ようです。

 ヒートについて説明されたこのWikipediaでは、以下さらに詳しく説明しています。ここでうちでのタイトルにしたデッドヒートも登場。現在日本で使われている「接戦」的な意味の「デッドヒート」とは全然違うことがわかります。

<1回のレースを1ヒートと呼び、ある馬が2回ないし3回優勝するまで続けてヒートが行われた。なお着差が僅差であった場合には同着とされ、当該ヒートは無効とされた。これをデッドヒート(Dead heat)という。デッドヒートは同着、無効試合の意でほかの形態の競馬やそのほかの競技でも使われ、のちに日本では死闘、接戦と訳された。しかし、本来は同着によって1ヒートが無駄になった、という意であるため、死闘や接戦とするのはいずれも誤訳である。
 日本ではこの誤訳が定着し、いまでも接戦を評して「激しいデッドヒート」などと表現するが、原義に照らすと、これは「激しく無意味な争いをしている」というような意味になる>

 Wikipediaのデッドヒート (Dead Heat)の項目でも同様に下記のように書いてあります。デッドヒートという言葉がそもそも競馬から由来だったということで驚きですし、非常に意外性のある話でした。

<「同着」「同点」「無意味な争い」「互角の競走(競争)」「どうでもいいこと」などを意味する英単語。本来は競馬で「同着」を意味する用語であったが、日本語ではゴール間際や優勝決定直前の猛烈な接戦を表す表現として、スポーツ全般について用いられる>


2023年7月29日土曜日

人間の倍くらいの高さ 巨大馬ペルシュロンがかっこいい

■2017/12/20 人間の倍くらいの高さ 巨大馬ペルシュロンがかっこいい
■2017/12/20 実は見たことあるかも!日本にも結構いるペルシュロン


■2017/12/20 人間の倍くらいの高さ 巨大馬ペルシュロンがかっこいい

 「人間の倍」ってのは大げさに言いましたが、巨大馬ペルシュロンがかっこいいです。
 ウィキペディアによると、ペルシュロンの原産地はフランス・ノルマンディーで、成立は8世紀に遡りフランス原産の重種にアラブ種などの血が入っているとされています。毛色は青毛、芦毛などが多く、体型はサラブレッドに比べ足が短く、胴が太いです。
 体高(肩までの高さ)は160-170センチメートルで大きなものでは2メートルを超える。人と同じくらいじゃん!と思うかもしれませんが、「肩までの高さ」でこれですからね。写真を見てわかるように、頭の高さは人間よりずっと上となります。
 体重は1トンにもなりサラブレッドの倍ほど。記録が残る最大の馬はドクトゥール・ル・ジェア (Dr Le Gear) という牡馬で体高7フィート(211センチメートル)、体重1,370キログラムにもなったそうです。

 2022年2月11日に前半部にももうちょっと画像つきツイートを追加しました。



■2017/12/20 実は見たことあるかも!日本にも結構いるペルシュロン

 これだけ大きいと怖い気がしますけど、性格はおとなしく鈍重だが、非常に力が強いとのこと。気は優しくて力持ちなわけです。その強い力を生かし、馬車馬、挽馬、ショーなどに使われています。かつては軍馬として、全身甲冑を着こんだ重装騎兵の乗馬や、大砲の牽引などに用いられたともあります。イメージに合いますね。
 実は、日本でも使われた馬で、おもに北海道で導入されたとのこと。ばんえい競馬にも使われ、初めて1億円を超える賞金を獲得したキンタローもペルシュロンの影響を強く受けているとのこと。そうなんだ!
 以下は札幌のお馬さん。札幌の馬車は見たことがありますし、実は私も見たことあったのかも。競馬好きな友達といっしょのときにたまたま見かけて、いいね~としばらく見ていました。

ペルシュロンは北斗の拳など、漫画で出てきた馬の実写版みたいって感想もよく出る馬です。


 世の中には、まだまだあまり知られていない不思議な生物がいるものですね。


2023年7月27日木曜日

珍名馬シゲキテキ、アイヲサケブオトコ VS カンティアーモ、ソニックライン、オコタンペ

■2023/07/27 珍名馬シゲキテキ、アイヲサケブオトコ VS カンティアーモ、ソニックライン、オコタンペ


■2023/07/27 珍名馬シゲキテキ、アイヲサケブオトコ VS カンティアーモ、ソニックライン、オコタンペ

 2023/07/30日曜日の馬名。珍名馬的には、新潟 芝1400mのシゲキテキ。おもしろいだけでなく、いい名前だなと感じます。好きですね。新潟 芝1800mのカンティアーモは響きが好きというタイプ。予想オッズでは2番人気です。
 札幌芝1800mはソニックラインが意外に好き。こちらも予想オッズでは2番人気です。…と書いて終わっていましたが、安田記念などG1を3勝の ソングラインの下だと後から気づきます。そりゃ人気しますわ! また、1つ前でそれほど活躍しなかったティーガーデンはPOG指名馬。活躍しない方を指名しているというのが私らしいのですけど、この頃はG1馬の下は指名しないルールだったはず。ソングラインと1歳違いですから、指名当時はまだPOG未勝利だったんでしょうね。

 札幌芝1800mは他に、サンデーサイレンス産駒ではないのに、サンデーがつくサンデーダイヤが気になりました。母にサンデーの名前が残っていたパターンか?と見ると、そうではありません。父方の由来でした。
 馬名意味「父父父名の一部+父名より」という父だらけの説明。父のサトノダイヤモンドの「ダイヤ」と父サトノダイヤモンドの祖父であるサンデーサイレンスの「サンデー」を使ったんだそうな。珍しい命名パターンですね。馬主は山口 雄司さんでした。

 土曜日は新潟ダ1200mでヨッコサン。ヨウコさんといった女性のあだなか何かですかね。馬名意味を見てみると、人名愛称とあったので、やはりそんな感じかもしれません。
 札幌1500mでは、アイヲサケブオトコ。たぶんそういう意味じゃないんでしょうけど、「明日(仕事などを)せな」みたいな感じでアスセナもおもしろく感じてしまった名前。また、ポケットマネーも気になりますね。

 このレースはなぜか気になる名前が多く、1番人気予想のオコタンペのアイヌ語っぽい語感も気になりました。馬名意味を見ると、北海道千歳市西部にある湖名とのことでアイヌ語由来の可能性が濃厚。調べてみるとやはりアイヌ語由来で、アイヌ語で「川下に村がある」を意味する、「オ・コタン・ウン・ペ」に由来とのこと。まさかの金子馬名。金子馬でアイヌ語由来って以前もあったんでしょうか。個人的には意外です。
 オコタンペ湖は阿寒湖近くのオンネトー、然別湖近くの東雲湖と並び、北海道3大秘湖と称される神秘の湖だそうな。3つの中では地元に一番近く、何十回じゃ済まないほど行っている千歳市なのに全く知りませんでした。千歳市ではおなじみの支笏湖の北西にあるようです。支笏湖よりだいぶ小さいですね。

 もう一つ新潟1600はG1馬の下であるダノンキラウェアが当然注目。今週一番の注目馬でしょう。
 ただ、同じレースでは、G1未勝利のキタサンミカヅキという地味な父の子フルドライヴを密かに期待しています。


2023年7月25日火曜日

岩手県だけ地方競馬が盛岡・水沢と二つもある!

■2013/2/27 岩手県だけ地方競馬が盛岡・水沢と二つもある!って本当?
■2013/2/2 サラブレッドなどの軽種馬44年ぶりに7000頭を切る ピークの半分ほどまで減少



■2013/2/27 岩手県だけ地方競馬が盛岡・水沢と二つもある!って本当?

 2013年に書いた話ですが、2022年に全体に書き直し。言われてみて「そうなのか、すごいな!」と思ったのですが、ヤフー知恵袋で<どうして岩手だけ、水沢と盛岡と地方競馬が二つもあるのですか?>という質問が出ていたんですよ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1079115485

 質問者は同時に<組合や経営は別物ですか。どちらがレベルが上ですか>などとも質問。なので、<水沢と盛岡は競馬場が二つあるだけで、どちらも『岩手競馬(岩手県競馬組合主催)』の括りになるんじゃないですかね?>といった回答をしています。2022年2月5日確認してみましたが、この理解で間違いなさそうですね。

岩手県競馬組合 盛岡競馬場と水沢競馬場の2場で地方競馬を主催する団体
盛岡競馬場 岩手県盛岡市にある地方競馬の競馬場
水沢競馬場 岩手県奥州市水沢にある地方競馬の競馬場

 同じ回答者はレベルなどの質問について、以下のような回答をしていました。

<競走馬のレベルとしては同じ組合なので変わらないと思いますが、競馬場施設そのもので言ったらORO盛岡のほうが断然上です。しかし、そんな施設を作ってしまったために経営がどうこういった話が出てきてしまったような気がします。水沢だけでやれば経営上はまだマシになるといった噂(あくまでウワサです)も聞いたことがあります>

 なお、この回答者は、同時に<そういった意味では『兵庫県競馬組合』は園田競馬場と姫路競馬場がありますね>としていました。じゃあ、「岩手県だけ地方競馬が盛岡・水沢と二つもある」って嘘じゃなん!という話になってしまいますね…。

兵庫県競馬組合 園田競馬場と姫路競馬場の2ヶ所の地方競馬を主催する一部事務組合
園田競馬場 兵庫県尼崎市にある地方競馬のための競馬場
姫路競馬 兵庫県姫路市にある地方競馬の競馬場

 ただし、次の回答者が<同様に、兵庫県競馬組合では園田競馬と姫路競馬を主催しております。まぁ、姫路は廃止濃厚ですが>としていました。実際、2012年9月以後は非開催が続き、事実上休止競馬場扱いとなっています。ところが、2020年1月15日に8年ぶりに開催が再開されており、さらに状況が変わっています。
 私も北海道ではいっぱい競馬場があったのに!と思ったのですが、同じ方は北海道競馬などの話もしていました。

<かつては多数開催していたホッカイドウ競馬なんてのがありましたが、あそこは門別だけになっちゃいましたね。競馬場が減るのは経営の問題です。
 ちなみに、法律上北海道を除く=都府県には地方競馬場は2つ以下しか作れませんが、いまどき2つでも多いですね>

 さらに3人目の方が、<前に出ている北海道や兵庫の他、10年前は新潟(JRAのを借りていた)・三条、宇都宮・足利(主催者が開催によって県と市が入り組んでいましたが)とあったんですよね>といった過去の話をしていました。

<戦前までは全国各地に多くの競馬場があったそうで、かなりの数が消えましたが、戦後残った競馬場が近年の地方競馬場と考えてもらっていいかと思います。なので、同じ県に2つの競馬場があるというのも別に不思議ではない話です。
 水沢と盛岡についての関係の説明は既にあるので割愛しますが、岩手競馬はずっと水沢競馬場がメインで移転前の盛岡競馬場はサブの競馬場でした。さらに移転前の盛岡競馬場は盛岡市中心部にあったので厩舎の敷地が取れないなどの理由もあり、水沢の方が厩舎の数も在籍する馬の数も圧倒的に多く推移してきました 盛岡競馬場が移転しても、厩舎の数とか所属馬の率はあまり変わらないですね
 盛岡と水沢、どっちの所属馬が強いかというのはその時々もあるので 一概には言えませんね>

 新潟競馬の話が出てきたのですけど、この新潟は平日開催すりゃあいいのに、土日に開催をぶつけてきていたんですよね。当然こうなるとJRA開催とダブります。同時開催ならJRAの馬券を買いに来た人が地方競馬も買う…となるかというと、潰れたことでわかるように、そうはならなかったんじゃないかと思われます。
 同時開催の新潟競馬場ではJRAよりも地方競馬を優先する形でやっており、地方競馬がウインズを占有。JRAの馬券を買いたい人は遠くに追いやられますし、場所もないしってことでたいへん不便でした。これで反感を買って余計寿命を縮めてしまったのではないか?と、個人的には思っています。


■2013/2/2 サラブレッドなどの軽種馬44年ぶりに7000頭を切る ピークの半分ほどまで減少

 以前のブログのときの古い話。昔は「1万頭」と言われていたものの、減り続けて2012年の時点で7000頭割れというニュースでした。

 2012年の生産頭数は、サラブレッドが6,819頭、サラブレッド系種が4頭、アラブが5頭、アングロアラブが4頭で合計6,832頭。

 軽種馬の生産頭数が7,000頭を割り込むのは1968年以来44年ぶりだと言います。
 生産頭数のピーク年(1992年=12,874頭)と比べると53.1%で6,042頭の減少でした。

2012年の生産頭数がまとまりました - 軽種馬登録ニュース - 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル (JAIRS) 2013年01月30日  


 サラブレッド系種が4頭、アラブが5頭、アングロアラブが4頭ですから、サラブレッド以外がやけに少ないですね。もうほとんど生まれていないという感じ。希少な感じすらあります。

 サラブレッドもグイグイ減っていて、なんとピークから見ると半分程度です。


 ただ、日本の競走馬のレベルが頭数に応じて下がっているかと言うと、そんなことはありません。

 一部に優秀な馬が集中……と言うと顔をしかめるかもしれませんが、健全な競争を続けているとやはり市場から撤退する牧場も現れます。
 私は北海道出身で地元にも競走馬の牧場があるのですけど、そういう損得勘定なしで冷静に見れば、減ってしまうのも仕方ないことだと言えます。

 記事によれば、産地別生産頭数は日高地区が5,394頭と最も多く、全国に占める割合は79.0%。胆振地区、十勝地区を加えた北海道の全国に占める割合は97.0%にもなります。

 日高地区の中では、新ひだか町産(静内・三石)が1,658頭と最も多く、日高地区に占める割合は30.7%。次に浦河町産(浦河・荻伏)が1,202頭(22.3%)が続きます。


 こちらは全体の頭数とは異なり、推移は書いていませんでした。零細牧場が多いの日高だと思うので、その減り方を見たいところでした。


2023年7月23日日曜日

横山典弘が息子横山武史のためにペースメーカー?不可解な初めて尽くしの騎乗

■2021/11/08 横山典弘が息子横山武史のためにペースメーカー?不可解な初めて尽くしの騎乗


■2021/11/08 横山典弘が息子横山武史のためにペースメーカー?不可解な初めて尽くしの騎乗

 ここまで1800mまでしか経験がなく、G1出走もなかったカイザーミノルがいきなり芝2000mのG1天皇賞秋に挑戦。鞍上の横山典弘騎手の進言だといいます。強い馬が守備範囲外のG1も取りに行くということもありますが、前走毎日王冠も12番人気5着程度の馬。なので、11番人気とあまり人気しなかったですし、実際、結果も14着でした。

 そして、このレースで波紋を呼んだのが、横山典弘騎手の騎乗内容です。カイザーミノルはこの初めて尽くしの舞台でこれまた初めてとなる「逃げ」を見せました。1000m60.5でスローで逃げています。
 このスロー展開のため、1番人気だったコントレイルが差しきれず、それより前の位置取りで先に抜け出した3番人気のエフフォーリアが勝利しました。この鞍上は、横山典弘騎手の息子の横山武史騎手だったことで、疑いを呼んでしまったのです。以前もあったんですが、騎乗中に息子の観戦ばかりしていたとも言われています。

<完全にペースメーカーでしたね。こういう馬の馬券は売って良いのでしょうか。見苦しい>
<カイザーに鞭入れながら、息子しか見てないやんけ笑 ふざけんなよ、馬が可哀想だろが笑>
<直線半ばで動作止めて横向いてますよね。騎乗停止にならないのでしょうか>
<お父さん武史ガン見ワロタ>
<親父の話よりカイザーミノルが1番、可哀想だよ。横山家のワガママやロビー活動で適距離でもない2000mまで距離伸ばされて>
<息子の為にラビットするの親バカすぎる>
<うーん、息子の援護、ラビットのような騎乗でしたね。そんな忖度競馬見たくないよ!>
https://db.netkeiba.com/?pid=horse_board&id=2016106232

 裁判ではあり得ないほど「偶然」が重なる場合、「偶然」では説明できないとして、「故意」であったとみなされることがあります。
 「進言による有力でない馬のG1初挑戦」「適距離より長い初めての距離」「初めての戦法」「息子の有利になる騎乗」「騎乗馬より息子を気にする素振り(?)」…とこう重なってしまうと、相当不自然だと言わざるを得ません。結果を出して不自然な進言の妥当性を証明することもできず、むしろ人気より負ける結果にもなりました。
 海外では馬主さんが逃げ馬を用意してペースを作るということが結構ありますが、カイザーミノルの馬主は個人馬主の吉岡實さんで、エフフォーリアはクラブであるキャロットファームの馬であり、全然違います。カイザーミノルの馬主である吉岡實さんは怒って良いと思いますわ…。


2023年7月21日金曜日

珍名馬カナアミデスマッチ、フユソウビ VS カズアブディーン、ドゥーカスコーリ、マテンロウゴールド

■2023/07/21 珍名馬カナアミデスマッチ、フユソウビ VS カズアブディーン、ドゥーカスコーリ、マテンロウゴールド
■2023/06/23 珍名馬ラブラブラブチャン、マクッテソフィア ネガイヲカナエテ、フラムリンガムは好きな名前


■2023/07/21 珍名馬カナアミデスマッチ、フユソウビ VS カズアブディーン、ドゥーカスコーリ、マテンロウゴールド

 今週の新馬戦珍名馬探し。…ですが、2023/07/23日曜日福島芝2000で目についたのは、珍名より好きな感じの名前。リリエンフェルトとアスプリージャが良いですね。ともに3番人気あたりの予想となっています。
 1番人気予想はエピファネイア産駒の関西馬でインビジブルセルフ。近親に朝日杯の ゴスホークケン、神戸新聞杯のステラヴェローチェがいて、今週最も注目される1頭でしょう。

 福島芝1200はカナアミデスマッチ。なぜか牝馬です。馬名意味の説明は金網デスマッチのみ。プロレスかなにかが由来でしょうか。…と検索してみると、やはりプロレスだとのこと。女プロレスラーですね。以下は、ウィキペディアの説明です。

<デスマッチ(Death Match)は、プロレスの試合形式の一種。プロレスのルールをより危険なものに変更したり、特殊なリングを使用したりするものである。 >
<デスマッチは本来、完全決着をつけるための試合を意味し、デスマッチという単語が使われ始めたときは「時間無制限の試合」を指していた。1990年以前は、リングアウトや反則裁定などで勝敗が決着することが多かったため、ランバージャック・デスマッチ、金網デスマッチ、五寸釘デスマッチなどの場外への逃げ道を封じ、完全決着をつける方式が考え出された>

金網デスマッチ
<リングの四方をあるいは稀に上空を金網で包囲する形式。通常、日本では目の細かい金網を使用するが、米国にあっては目の粗いスチールパイプを用いることが多く、それを『スチール・ケージ・マッチ』と呼ぶ。
ルールとしては、フォールorギブアップのほか、ボクシングと同じく10カウントで勝負を決する方式、先に金網の外に脱出した方を勝者とする形式があり、北米では後者のエスケープ・ルールが一般的である。 >
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%81

 中京芝2000mは馬名的にはひっかかる馬はおらず。1番人気予想はマテンロウゴールド。ただ、父レイデオロが今のところ期待外れでどうなるか?というところ。レイデオロはPOG指名馬だったので、成功してほしいのですけど…。
 同じレースでは個人的にキズナ産駒のペンナヴェローチェの方が気になる馬。7倍予想で全然大した人気ではなく、近親もそう目立っているわけじゃないのですけど、なんとなく気になります。単なる勘ですね。名前も結構好きです。
 もう1頭、5倍予想のロードカナロア産駒のエマロアも気になる馬で、私の勘が当たれば、1番人気より2,3番人気が注目というレース。まあ、私の勘は全然当たらないんですけど…。

 札幌芝1800mは珍名がいました。フユソウビという馬です。ただ、「冬装備」だと思って珍名だと思ったのですけど、なんと「冬薔薇」ということで、「冬に咲くバラ」という意味でした。
 注目馬としては、オルフェーヴル産駒のカズアブディーンがいます。カズの馬では今年POG指名して失敗した馬がいて、嫌な予感しかしないのですけど、懲りずにPOG指名したいと思っています。

 土曜日はあんまり気になる馬がいませんけど、中京芝1600の3.8倍予想エヴァンスウィートは兄弟に ヴィルシーナ、シュヴァルグラン 、 ヴィブロスというG1馬が3頭いる超良血。注目せざるを得ないでしょう。
 これより人気だと予想されているのがドゥーカスコーリ。近親は目立たず、父もダイワメジャーであり、そう目立つ感じではありません。それでも、ひねくれたい…ということで、私はこっちを推しておきます。


■2023/06/23 珍名馬ラブラブラブチャン、マクッテソフィア ネガイヲカナエテ、フラムリンガムは好きな名前

 2歳世代の4週目の珍名馬探し。
 2023/6/24土曜日新馬戦では、東京    芝1400mのラブラブラブチャンですかね。「ラブラブ」「ラブチャン」いずれか片方だけでもインパクトあるであろうネーミング。当然牝馬です。
 馬主は「Mr.ホースさん。父ワールドエース、母ハタノエンジェルであり、それほどラブラブはしていません。父母から連想ではなさそうです。

 同日阪神芝1200mで「なんだ?」と思ったのは、マクッテソフィア。ソフィアですので牝馬です。競馬の戦法である「マクリ」を意識したものでしょうか。
 しかし、私はユニ・チャームの生理用品ナプキンでソフィ(ソフィアと同語源の人名由来か?)というのがあるのを思い出してしまい、妙な気持ちに…。生理用品をマクッテとなると、変な話になります。
 父タリスマニック、母トーホウシンバル。祖母もソフィアではなく、特に関係ありませんかね。ちなみにソフィアやソフィなどは、古代ギリシア語で、智慧・叡智を意味するソピアー(Σοφια)より派生した名前だそうです。

 同日函館芝1200mでは、珍名ではなく、いいな!と思う名前でネガイヲカナエテを紹介。父バゴ、母ハートランドスノーで由来は関係なさげです。
 翌日日曜日東京    芝1600mのココロオドルも同系統。意外にあまりないのですけど、こういう日本語でなおかつ名詞ではない形に名前って好きなんですよね。父マツリダゴッホで、母マッキーマドンナでやはり関係なさげ。このココロオドルの場合は、nobodyknows+のヒット曲と同じタイトルなので、そういう由来かもしれません。
 意味はわかりませんけど、同じレースのアルテミーナは言葉の響きが好きでした。

 単に響きが好きというのは結構あって、日曜日函館芝1200mのフラムリンガム、スウィバンビーナ、ビバヴェローナ、 ピクラリーダあたりが良いですね。6頭しかいないのに好きな響きの馬が続出。中でもフラムリンガムは今年デビューの馬で一番好きな響きかもしれません。
 検索してみると、フラムリンガムは単に地名っぽい感じですね。イギリスサフォークにあるようです。父ダイワメジャー、母ファルネーゼで特に関係なさげな上に、母父はイギリスではなくフランスな感じのフレンチデピュティ(意味はフランスの代議士か?)でした。
 なぜ?と由来を見ると、「イギリスの城名。母名より連想」とありました。正確には、地名というか城名だとのこと。一方、母由来というのはどういう意味?と、ファルネーゼ の名前を見ると、今度は「イタリアの宮殿名より」との説明。父フレンチデピュティなのに…。
 さらに言うと、フレンチデピュティとファルネーゼ の母はアメリカ生まれ。欧米をあちこち目まぐるしく旅した感じになりました。


2023年7月20日木曜日

ジョン・マルドゥーン 大樹ファームのアドバイザー、米で名馬を多數生産

■2014/10/25 ジョン・マルドゥーン 大樹ファームのアドバイザー、米で名馬を多數生産


■2014/10/25 ジョン・マルドゥーン 大樹ファームのアドバイザー、米で名馬を多數生産

 【競馬】パカパカファーム物語。 アイルランドの獣医師は、なぜ日本行きを決めたのか|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|競馬&格闘技は、タイトルの通り、パカパカファームのハリー・スウィーニィさんの話。しかし、その中で出てきたジョン・マルドゥーンさんというのが気になりました。
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba_fight/2012/11/04/___split_6/

 アイルランドで働いていたスウィーニィさんに、日本行きの話を持ちかけたのは、当時競走馬の所有を始めたばかりの『大樹ファーム』だったそうです。
 大樹ファームはこのときすでに、アメリカとアイルランドに牧場や育成施設を持っており、アメリカで生産した世界的良血のサラブレッドを”本場”アイルランドで育成し、日本でデビューさせるという画期的な試みを実践しようとしていたといいます。
 ただ、それだけでなく、日本でも牧場を開設し、競走馬の国内生産を行おうと考えており、その牧場に勤務する獣医師を探しており、その関係で獣医学の博士号を持っていて、競走馬育成に携わっていたスウィーニィさんもこれを知ることになったようです。

 日本の競馬についてもまだよく知らなかったそうですが、スウィーニィさんは大樹ファームに興味を持ちます。いろいろと理由がありますが、"大樹ファームのアドバイザーとして就任していたジョン・マルドゥーン氏の存在が大き"かったとされていました。
 そして、ジョン・マルドゥーンさんについては、<彼はアメリカで幾多の名馬の生産を手掛けた人物で、その彼が大樹ファームにかかわり、世界レベルでの育成プログラムを打ち出していたことは、スウィーニィ氏に大樹ファームの”本気度”を感じさせた>と説明されていたのでうs.

 これを読んで、えぇ、そうだっけ? 大樹ファームってそんなにすごかったの?と思っちゃいました。改めて大樹ファームについて見てみると、生産牧場だけでなく、クラブ法人でした。これもそうだっけ?と思ってしまったところ。どこのクラブに入るか考えるときに検討していた気がするんですが、忘れちゃいましたわ。(結局、ラフィアンに加入)
 「アン」の冠名やそれ以外の名前のもいるってのも知りませんでしたが、最近(2014/10/25現在)はアンコイルドが代表馬。しかし、クラブトップとしては物足りない戦績です。
 うーんと思いましたが、記事で書かれているのは古い時代の話であり、"のちに、タイキブリザード、タイキシャトルなどのGI馬を輩出する"とありましたので、ここらへんで言えばm文句なしの大成功。特にタイキシャトルは日本の競馬史上に残る歴史的名馬です。
 今もジョン・マルドゥーンさんは大樹ファームにいらっしゃるのか?なども気になったんですが、とにかく情報が少なくよくわかりませんでした。


2023年7月17日月曜日

障害じゃないところで突然激突 最終コーナーを完全破壊

2021/12/25再投稿
■2012/12/10 障害じゃないところで突然激突 最終コーナーを完全破壊


■2012/12/10 障害じゃないところで突然激突 最終コーナーを完全破壊

 好きなスマートステージが障害で出ていたので見ていたら、障害じゃないところで突然柵のようなところが吹っ飛んでびっくりして、思わずビデオ巻き戻して見直しました。

 問題の馬はおそらくショウナンサンガだろうとは思いました。道中ちゃんと確認していなかったんですけど、2番手だったと思います。ただ、最終障害の前でこの馬は余力じゃありません。
 逃げ馬も連対は無理そうでしたが、ショウナンサンガはもっとダメそうな感じ。で、余力なかったせいか、最終障害で着地が悪く落馬。騎手を振り落とした後はそのまま走り続けます。ここまではよくあることです。

 先述の通りスマートステージが出ていて、主に彼を見ていました。今回は前走の障害初戦とは違って余力ありあり。ただ、先に先頭に踊り出た馬も伸びていて届くかどうか?といったところでしたので、私はここを中心に見ていたんですよ。(ダメだったと思ったら、結果ハナ差で1着だったんだけど、巻き戻して見たのでこれを知ったのは後のことでした)
 驚いたのがこの1着争いしている後ろで、突然最終コーナーが<b>吹き飛んだ</b>こと。いや、本当マジでそう見えたんですよ。爆発して弾け飛んだように見えました。しかし、まあ、もちろんそんなはずはなく、どうも固定じゃなく移動式のコーナーに誰か突っ込んでしまった子がいるらしいです。
 この時点ではショウナンサンガかどうかはわからなかったんですが、落馬していたので「もしかして?」と思います。

 すると、案の定彼(せん馬)でした。見直すと吹っ飛ぶというほどではないんですが、数個並んでいる移動式のコーナーをことごとくなぎ倒し。一度目に見直したときは障害と間違えて飛ぼうとしたのかな?と思いましたが、何度か見てみると、どうやらそうでもなさそうな感じです。
 生垣に隠れて見えづらくなっていた移動式のコーナーに気づかずに、寄り過ぎていたため引っかかったのかもしれません。

 この前<書いたルミナスウイングの場合は、新馬戦で独走しながら、突然内ラチに突っ込んだ!という信じられないレースぶりでした。
 ただ、彼の場合は2歳馬であって、「若駒は何をしでかすかわからない」ということで説明できなくはありません。三浦皇成騎手騎乗の馬が契機になって、出走した馬の大半が落馬という悪夢も以前ありましたが、あれも2歳でした。
 ショウナンサンガはもう6歳なんですよね。去勢してせん馬になったくらいですから、もともとは気が荒かったんでしょうけど…。

 そういえば、種牡馬で柵に激突して亡くなる馬もいます。それはたぶん何かに驚いてというパターンで、ルミナスウイングタイプですね。やはりショウナンサンガとは違いそうです。
 こんなことがあるなんて!?という感じですが、騎手の誘導というのは大事なんだなと確認させる事件でした。馬に好きに走らせると、どこへ走って行ってしまうのか予測できないところがあるのだと思います。

 ここまで書いた時点ではその後ショウナンサンガがどうなったのか知らなかったんですけど、やはり残念ながら予後不良だったようです。以下のようなお知らせが出ていました。

<第5回中山第4日(12月9日(日))
競走中止
     4R      7番           ショウナンサンガ号(金子 光希騎手)
                      他の馬に関係なく、2周目5号障害飛越着地時につまずいて騎手が落馬したため競走を中止          
    馬     :     右橈骨々折並びに外傷性右浅胸筋断裂 ※予後不良
    騎手     :     脳震盪、右頚部打撲 ※千葉市内の病院に搬送>
http://www.jra.go.jp/news/201212/120903.html

 公式では落馬までのことしか書いておらず、どちらの事故が致命傷となったかはわかりませんけど、ぶつかり方から察するにやはりコーナー激突の方じゃないかと思います。これは落馬や放馬後の問題であり、障害戦特有とも言えず、競馬全体の問題でしょうね。ぶつかっても被害の少ない素材があると良いのですけど…。

2012/12/12追記:見たら悲しくなるので見てませんが、若いころの追い切り映像を見つけました。


2023年7月15日土曜日

未活躍でも名種牡馬 ミスタープロスペクター、ゴーンウエスト、シルヴァーホーク、ウッドマン、クリスエス

■2013/3/15  大種牡馬ミスタープロスペクター、実は重賞未勝利
■2015/11/17 僅か700万円しか稼がなかったウッドマン、種牡馬としては成功
■2018/05/10 クラフティプロスペクター、ゴーンウエスト、イルーシヴクオリティもG1または重賞未勝利
■2016/2/19 重賞未勝利のクリスエス、シンボリクリスエスなどを輩出 名前の由来は女性からだった
■2017/10/21 G1未勝利でも名種牡馬となったシルヴァーホーク
■2020/12/30 2戦して未勝利1勝のマリブムーン、G1馬を出しまくる
■2016/1/17 地方の未活躍馬ながら種牡馬入りのゴールドヘイローから活躍馬続出
2022/01/24再投稿
■2013/3/24 ダート1200なのに20馬身差勝利のクラフティプロスペクター


■2013/3/15  大種牡馬ミスタープロスペクター、実は重賞未勝利

  ミスタープロスペクターは大種牡馬の1頭であることには疑いがありません。
 これを書こうと思ったきっかけのビッグレッドファームグループ会報アワープレジャー2012年8月号のザ・ブラッドでは、20世紀を代表する種牡馬としてあのノーザンダンサーと双璧といった感じの書き方でした。
 また、Wikipediaでは種牡馬として「20世紀末でもっとも成功」と書いていました。

 ところが、ミスタープロスペクター、意外なことにG1どころか重賞すら勝っていないそうです。
 Wikipediaでも以下のように書いています。

-----引用 ここから-----
ミスタープロスペクター (Mr. Prospector) はアメリカ合衆国の競走馬。<b>競走馬としては大成できなかった</b>が、種牡馬としては20世紀末でもっとも成功しミスタープロスペクター系を築いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC
-----引用 ここまで-----

 日本ほどではないとは言えG1未勝利の種牡馬の時点で珍しくなり、大種牡馬となればなおさらです。
 しかも、重賞すら未勝利となると、すごいことですね。
 ミスタープロスペクターの場合は近親に活躍馬がいて……という種牡馬パターンでもなく、さらに貴重です。
 日本なら種牡馬入りしない可能性の高いタイプです。

 以下、アワープレジャー2012年8月号のザ・ブラッドによりますが、実際繁殖入りした馬産地を見ても最初から期待されていたわけではないようです。
http://www.ruffian.co.jp/site/ourpleasure/ourpleasure.php

-----引用 ここから-----
温暖な気候に恵まれたフロリダは米国ではケンタッキーに次ぐ馬産地として知られるが、繁殖牝馬のレベルはトップクラスが集結するケンタッキーとは比較にならない。ミスタープロスペクターが繁殖入りした70 年代後半のフロリダには地元育ち
のインリアリティ(77 年の米2歳種牡馬チャンピオン)という超大物が不動のセンターに君臨。75 年に種牡馬入りしたミ
スタープロスペクターは3 歳時にガルフストリームパーク競馬場の6 ハロンのレコードタイムを樹立して、その快速ぶりが知られていたとは言え、看板(重賞勝ち)のない馬の旅立ちは決して恵まれたものではなかった。

ダートの短距離に特化して売り出したミスタープロスペクターは初年度産駒をデビューさせて2 年目の79 年にファピアノらの働きによって米2 歳種牡馬チャンピオンに輝き、81年にはケンタッキーの名門牧場クレイボーンファームにトレード。その後は不動の地位を築くことになる(略)
-----引用 ここまで-----

 途中であったようにレコードタイムを持っていました。これが種牡馬入りとなったきっかけかもしれません。
 戦績とレコードに関しては、Wikipediaもどうぞ。

-----引用 ここから-----
セクレタリアトと同世代だが、ミスタープロスペクターは出世が遅く、大競走に出ていないため、セクレタリアトとはいちども対戦することはなかった。競走成績は14戦7勝。短距離の競走で2度のレコードを出したが、重賞は2度の2着がある程度で勝つことはできなかった。
-----引用 ここまで-----

 しかし、種牡馬として出世し出してからは、すごいです。

-----引用 ここから-----
種牡馬入り直後の産駒には小粒な早熟短距離馬が多かったが、1979年には2歳リーディングサイアーとなり、1982年にはコンキスタドールシエロがベルモントステークスを制した。その後、供用地がケンタッキー州に移ったころからクラシックホースを含む大物を出し始め、また産駒も種牡馬として成功し始めた。1987 - 1988年にはリーディングサイアーとなり、大種牡馬としての地位を確立した。非常にタフな種牡馬としても知られ、死亡した1999年にも種付けをこなしていた。
-----引用 ここまで-----

 以下に代表産駒。有名馬が大量です。

-----引用 ここから-----
代表産駒

    1978年生
        ミスワキ / Miswaki(1980年サラマンドル賞)
    1979年生
        クラフティプロスペクター / Crafty Prospector(種牡馬、アグネスデジタルの父)
        コンキスタドールシエロ / Conquistador Cielo(1982年メトロポリタンハンデキャップ、ベルモントステークス)
    1980年生
        エイロ / Eillo(1984年ブリーダーズカップ・スプリント)
    1981年生
        プローチダ / Procida(1984年フォレ賞、ハリウッドダービー)
    1982年生
        ダミスター / Damister(種牡馬、セルティックスウィング・トロットスターの父)
    1983年生
        ウッドマン / Woodman(種牡馬、ヘクタープロテクター・ティンバーカントリー・ヒシアケボノなどの父)
    1984年生
        アフリート / Afleet(1987年ジェロームハンデキャップ)
        ガルチ / Gulch(1987年・1988年メトロポリタンハンデキャップ、1988年ブリーダーズカップ・スプリントなど、G1・7勝)
        ゴーンウェスト / Gone West(1987年ドワイヤーステークス)
        ジェイドハンター / Jade Hunter(1988年ドンハンデキャップ、ガルフストリームパークハンデキャップ)
        マイニング / Mining(1988年ヴォスバーステークス)
    1985年生
        シーキングザゴールド / Seeking the Gold(1988年ドワイヤーステークス、スーパーダービー)
        フォーティナイナー / Forty Niner(1987年フューチュリティステークス、シャンペンステークス、1988年ハスケルインビテーショナルハンデキャップ、トラヴァーズステークス)
    1987年生
        ジェイドロバリー / Jade Robbery(1989年ジャン・リュック・ラガルデール賞〈フランスグランクリテリウム〉)
        マキャベリアン / Machiavellian(1989年モルニ賞、サラマンドル賞)
        リズム / Rhythm(1989年ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル、1990年トラヴァーズステークス)
    1988年生
        スキャン / Scan(1991年ジェロームハンデキャップ、ペガサスハンデキャップ)
    1990年生
        キングマンボ / Kingmambo(1993年プール・デッセ・デ・プーラン〈フランス2000ギニー〉、セントジェームズパレスステークス、ムーラン・ド・ロンシャン賞)
    1991年生
        アワエンブレム / Our Emblem(種牡馬、ウォーエンブレムの父)
        ショウリノメガミ(1996年京都牝馬特別、1997年中山牝馬ステークス)
    1992年生
        スマートストライク / Smart Strike(1996年フィリップ・H. アイズリンハンデキャップ)
        シェイクハンド(1995年ニュージーランドトロフィー4歳ステークス)
    1993年生
        ターリブ / Ta Rib(1996年プール・デッセ・デ・プーリッシュ〈フランス1000ギニー〉)
    1995年生
        チェスターハウス / Chester House(2000年アーリントンミリオンステークス)
    1997年生
        フサイチペガサス / Fusaichi Pegasus(2000年ケンタッキーダービー)
    1998年生
        アルデバラン / Aldebaran(2003年サンカルロスハンデキャップ、メトロポリタンハンデキャップ、フォアゴーハンデキャップ)

-----引用 ここまで-----

 「ミスタープロスペクター系を築いた」と最初にあったように、G1馬を続出させただけでなく、子供たちや孫たちがまた種牡馬として成功していったってのがすごいですね。



■2015/11/17 僅か700万円しか稼がなかったウッドマン、種牡馬としては成功

 ミスタープロスペクター系の種牡馬が多いのであれですが、ウッドマンも有名な種牡馬の1頭でしょう。日本では、その子のヘクタープロテクターが輸入されており、こちらの方がさらに馴染みです。
 ところが、このウッドマンが現役時代は、2万3760ポンド(約700万円)しか稼がなかったと聞いて驚きました。

 ただ、よくよく見てみると、賞金が安いだけで競走成績は十分。一般戦からG3を続けて勝って3連勝、英国遠征で臨んだG1デューハーストS(芝7ハロン)は負けたものの、アイルランド最優秀2 歳馬に選出されたそうです。
 3歳は1戦して引退しちゃったのであれですが、弱かったわけではないようです。日本の賞金体系のイメージがあると、間違えますね。

 また、血統に関して言えば、さらに良かったみたいです。
 そもそもロバート・サンガスターさんが300万ドル(当時の交換レートで約7億5000万円)で手に入れた馬でもあり、高額馬でした。

-----引用 ここから-----
名牝ラトロワンヌ(バックパサーやイージーゴーアらの祖)に遡るピカイチのファミリーラインを持つ鹿毛馬に大枚をはたいたのは、これがケンタッキーで一二を争う名門フィップス家のコレクションから出た馬であり、なお且つ母のプレイメイトが71年の米2歳牝馬チャンピオンに輝いたナンバードアカウントの全妹だったことに加え、父のミスタープロスペクターがノーザンダンサーの跡目を継ぐ存在になるという目星をつけていたからであろう。
Our Pleasure 2014年4月 ザ・ブラッド 血統表を紐解く!(T.I.S)より
-----引用 ここまで-----

 とはいえ、前述のような競走成績でしたので、種牡馬入りしても、最初は見向きもされなかったようです。 ところが、これが大ブレイクするのですから、競馬というのはおもしろいものですね。

-----引用 ここから-----
 生まれ故郷の米国で種牡馬生活を始めたウッドマンに興味を示すホースマンは少なく、88年に生まれた初年度産駒は僅かに45頭を数えるのみだったが、その中から欧州の2歳重賞を総嘗めにしたヘクタープロテクターやプリークネスSとベルモントSの米国二冠を制したハンセル(中略)を送った(略)
-----引用 ここまで-----

 ブラックタイプウイナー(重賞及び準重賞の勝ち馬)もジャスト100頭。名種牡馬の1頭と言えるでしょう。


■2018/05/10 クラフティプロスペクター、ゴーンウエスト、イルーシヴクオリティもG1または重賞未勝利

 ミスタープロスペクターは 前述の通り重賞未勝利で名種牡馬となりましたが、この系統からは似たような感じで、競走成績が良くないのに、種牡馬で成功することが多いようようです。
 既に書いている ウッドマンはアイルランド最優秀2 歳馬で重賞勝利はありますが、G1は未勝利。賞金はわずか700万円でした。
 また、 クラフティプロスペクターは父のミスタープロスペクター同様に重賞すら未勝利でした。

 さらに ミスタープロスペクターの直仔では、ゴーンウエストも重賞2勝ではあるものの、G1勝ちのない競走成績(17戦6勝)。しかし、種牡馬になって成功しています。
 そして、このゴーンウエストの仔 イルーシヴクオリティがまたまたこのパターン。2 ~ 4歳時に20 戦9勝、2 着3回、3着2回。2 歳時に8 戦4 勝。重賞勝ちはあるものの、G1競走には4度挑戦してウッドバインマイルHの4着が最高でした。

 では、なぜ種牡馬になれたのか?と言うと、レコードを持っていたのです。ガルフストリームパーク競馬場のダート7ハロン戦でコースレコードを更新、ベルモントパーク競馬場
の芝8 ハロンを1分31秒63で走り、世界最速レコードを叩き出しました。
 そのレースぶりは駆け引きなしの逃げ一本やり。そのために、高いレベルで同脚質馬が現われるG1競走はどうしても不利な流れになり、勝てなかった模様です。

 種牡馬入りしたイルーシヴクオリティは最初1万ドル(約110万円)の種付け料でスタートしたのですが、初年度産駒の中からフランスで2歳牡馬王者になったイルーシヴシティなど11頭がブラックタイプ競走(重賞、準重賞)の勝ち馬に。
  2年目からは、二冠馬スマーティジョーンズや2007年の米最優秀短距離牝馬に選出されたメアリーフィールドなどが登場で大成功。
 交配料は大台の10万ドルまで上がり、当初の10倍にまでなりました。こういう話はわくわくしちゃいます。
(Our Pleasure2018年2月号 ザ・ブラッド 血統表を紐解く! T.I.Sより)




■2016/2/19 重賞未勝利のクリスエス、シンボリクリスエスなどを輩出 名前の由来は女性からだった

Our Pleasure 2015年10月号 ザ・ブラッド 血統表を紐解く! T.I.Sより

 "Our Pleasure 2015年10月号 ザ・ブラッド 血統表を紐解く! T.I.S"によると、クリスエスは安かった馬ではなく、一応なかなか期待されていたようです。

-----引用 ここから-----
 幼少時に蹄に小さな難があったクリスエスは地元の1歳セールでピンフッカーに5万8000ドル(当時の交換レートで約1100万円)で購買され、翌年のカリフォルニアのトレーニングセールに上場されて14万ドル(約
3080万円) という高値で売却された。
-----引用 ここまで-----

 ただし、競走成績は極めて凡庸でした。G1未勝利どころか重賞未勝利。4着が最高です。

-----引用 ここから-----
フロリダで生まれ、2、3歳時に5 戦3勝、2 着1回。2 歳時にカリフォルニアのハリウッドパーク競馬場の未勝利戦(ダート5.5ハロン)でデビューし、2 着馬に3馬身差をつけて優勝。2 戦目以降はサンタアニタ競馬場を主戦場とし、8.5ハロンの一般戦と3歳初戦のブラッドバリーS(9ハロン)に優勝した。ブラッドバリーSは水が浮く馬場で道悪巧者ぶりを発揮した。連闘で向かったG2サンフェリペS(8.5ハロン)は重賞ウイナーのレイズアマンに4馬身1/4差の4着し、出世の足がかりとしたが、その後に屈腱炎を発症して引退。
-----引用 ここまで-----

 こんな馬がなぜ種牡馬入りできたか?と言うと、"人気を誇っていたロベルト直仔で伸びのある雄大な馬格が評価されて"とのこと。
 ただし、これも期待されていたというわけではなく、安値からのスタートでした。
 で、ここからの大出世。競馬はこういうのがおもしろいですね。

-----引用 ここから-----
 レース実績が不足していたことで初年度の交配料は3500ドル(約84万円)だったが、早い段階からブリーダーズCの大舞台で勝利を掴んだプライズドやハリウッドワイルドキャットといった一流馬が現れて大ブレーク。1993 年にケンタッキーに移動後も有馬記念でぶっちぎりを演じたシンボリクリスエスや英ダービー馬クリスキンらの名馬を送り、2001年の交配料は当時の北米でストームキャット(40万ドル)に次ぐ15万ドル(約1800万円)となった。
-----引用 ここまで-----

 日本ですとあまりこういう大逆転はなくて残念に思っています。未活躍馬の種牡馬入り自体が少ないですよね。種牡馬に層の厚みがありません。
 
 その話は置いておいて、もう一つおもしろいと思ったのが「クリスエス」という名前です。女性名から取られた名前でした。

-----引用 ここから-----
 馬名のクリスエスはオーナーの長女クリスティン[KRIS]tin・シューネマン[S]chunemannからの命名であ
る。
-----引用 ここまで-----

 ただし、つづりの異なる「クリス (Chris)」自体は男性が多いそうなので、これでも違和感ないのかもしれません。

-----引用 ここから-----
クリス (Chris)

主に英語での人名。男性に多く、クリストファー、クリスチャンの通称。女性名としては、クリスティアナ、クリスティーナ、クリスティーンの通称。

クリス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9
-----引用 ここまで-----

 あと、「Kris」という馬がいたのも発見。種牡馬ですので、やはり男です。

-----引用 ここから-----
クリス (Kris) とはイギリスの競走馬、種牡馬である。マイル以下の競走で安定した成績を残し、生涯の連対率は100パーセントを誇る。また、種牡馬としても優秀な成績を残した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9_%28%E7%AB%B6%E8%B5%B0%E9%A6%AC%29
-----引用 ここまで-----

 他に東南アジアにある短剣をKrisというそうなので、男っぽいイメージなのかもしれませんね。



■2017/10/21 G1未勝利でも名種牡馬となったシルヴァーホーク
 どうも私はそれほど活躍していないのに種牡馬入りして成功という話が好きみたいですね。シルヴァーホークもそういう話でした。
 この馬の場合、重賞は勝っています。アメリカ生まれでイギリス育ちの彼は、ニューマーケットのG3クレイヴァンS(8ハロン・直線)を1馬身半差で快勝。
 ただ、その後、G1英2000ギニーでは1番人気に支持されたものの、不得手の重馬場に最後、脚が止まって勝ったジーノから5馬身差の5着で入線。
 G1英ダービーでも勝負どころで馬群が邪魔になってスムーズさを欠き、ゴールデンフリースから4馬身差、のちに英・愛のセントレジャーを制するタッチングウッドから1馬身差の3着。
 G1愛ダービーではこれまた水の浮く不良馬場で2 着。その後の調教で脚部を痛めて引退し、結局、G1は勝てずじまいでした。

 このような成績だったシルヴァーホークを、当時ケンタッキーの牧場でも十指に入ったというエアドリースタッドのB.ジョーンズさんが注目。再び故郷のアメリカに戻ってきます。
 ただ、最初の数年はまったく無名。変化が訪れたのは3 年目の産駒からで、ホークスター、レデ
ィインシルヴァーなどのG1馬が出ると人気に火が付きました。
 種付料はずっと非公開だったが、ベニーザディップが英ダービーを制した1997年は4万ドル(約480万円)、グラスワンダーが日本で活躍した1999年は7万5000ドル(約860万円)にまでアップしました。そうグラスワンダーの父なんです。
 シルヴァーホークがいなかったらグラスワンダーもいなかったし、スクリーンヒーローもいませんでした。偉大な相馬眼でしたね。
 このスクリーンヒーロー の場合、G1を勝っていますが、種牡馬としては全く期待されない地味なスタート。種付料30万円を出発点に自らの力で這い上がって今や種付料500万円の一流種牡馬となったということで、成り上がり っぷりは似ていました。

 なお、シルヴァーホークの場合は、競走馬としても最初期待されていなかった模様です。
 彼を見出したのは、サウジアラビアで父のやっていたオイルビジネスを軌道に乗せたマームード・フーストックさん。彼は、米国大学留学時に競馬の魅力に取りつかれて競走馬を持ち、ケンタッキーに牧場を開きました。
 競馬の世界に入ってくるパターンとしてはドバイのモハメド殿下と同じのこと。しかし、モハメド殿下ほどの権力も金力もなかったフーストックさんは、相馬眼を養って、幼少時に多少の難のある馬でも、その個体が持っている品格を重視して馬を買うというスタイル。
 シルヴァーホークが上場されたケンタッキーのファシグティプトン7月セール自体が地味。上場馬の多くは新種牡馬や、まだ成績の出ていない種牡馬を父に持つ1歳馬だといいます。
 シルヴァーホーク自身、母のグリヴィタスは2勝馬です。ただ、その1勝はフランスの重要なマイルG1のジャックルマロワ賞なので「良血」といえる血統。
 しかし、フーストックさんの競り落とした金額は、わずか7万7000ドル(当時の交換レートで約1730万円)だったといいます。まさに掘り出し物でした。
 シルヴァーホークの父はロベルトという良い種牡馬なので不思議ですが、馬体がいかにも芝向きで血統も欧州色が濃かったからではないかとのこと。
 同じ 1980 年に米国のセリで売却されたロベルト産駒の平均売却価格(17万7688ドル)でしたので、他の同じ父の産駒から見ても明らかに安い価格でした。 
 (Our Pleasure 2016年11月号 ザ・ブラッド サラブレッドインフォメーションシステムより) 


■2020/12/30 2戦して未勝利1勝のマリブムーン、G1馬を出しまくる

 久しぶりに未活躍でも名種牡馬の話を追加。メモしていたのに、使っていなかった話があったんですよ。あまり日本ではいないので知りませんでしたが、未活躍で成功した種牡馬ではマリブムーン (Malibu Moon) という馬もおもしろいですね。父は大種牡馬エーピーインディ(A.P.Indy)。ボールドルーラー~シアトルスルーの系統です。
 マリブムーンは、不動産投資信託などの事業を行うパブリックストレージの創業者でもあるブラッドリー・ウェイン・ヒューズ会長の自家生産馬。近親に多数の活躍馬がいる良血ではありました。とはいえ、1999年4月のデビュー戦2着の後、5月の5ハロンの未勝利戦後に、後膝の骨折が判明し引退。1戦1勝であり、デビュー戦と未勝利しか走っていません。

 良血だったということもあり、ヒューズ会長は彼を種牡馬にしようとします。ただ、良血とはいえ、さすがにこの成績では種牡馬入りに苦労しました。馬産の中心地であるケンタッキー州では、引き受けるスタッドは見つかず。仕方なくメリーランド州でデビュー。初年度となる2000年の種付け料は3000ドルだったといいます。
 ところが、現役時代や種牡馬入りでは苦労したのとは一転して、種牡馬入りしてからはいきなり成功。初年度産駒がデビューした2003年にいきなり重賞勝ちを記録。翌2004年には、当時G1だったハリウッドフューチュリティ勝ち馬Declan's Moonを出します。
 このように活躍したため、念願のケンタッキー州で種牡馬生活を送ることに。ケンタッキー州では、当然、肌馬の質も上がったと思われます。だからと言って走るとは限らず今までのはまぐれだった…ということもあり得るのですけど、マリブムーンは本物でした。今までよりさらに質の高い産駒を輩出し、2010年には北アメリカのリーディングサイアーランキングで初のトップテン入りとなる3位に。
 Wikipediaでは、G1勝ち馬だけで9頭記載がありました。パッと見て一番活躍したのは、ケンタッキーダービーなどを勝ったOrb(オーブ)でしょうか。前述のような活躍のおかげで、2014年の種付け料は初年度の30倍以上となる95000ドルとなったそうです。(Wikipediaより)


■2016/1/17 地方の未活躍馬ながら種牡馬入りのゴールドヘイローから活躍馬続出

 Enjoy Ruffian 2009年2月号(血統マニアック 藤井正弘)を読んでいてびっくり。ゴールドヘイローはてっきり海外からの輸入種牡馬だと思っていたのですが、日本、しかも、地方の未活躍馬だと今頃知って驚きました。古い雑誌を今頃読んでいるので、めちゃくちゃ時間かかっています。(これをさらに2021年に再投稿。12年も前の話です)
 海外だと血統背景からの種牡馬入りは珍しくないものの、日本ではこの成功例が極端に少ない気がしていたので驚きです。

 ゴールドヘイローは近親にカーリアンがいますで、血統は良い馬でした。ただ、脚部不安から地方でデビュー。8戦5勝したものの、賞金は1,683.0万円程度。2年間登録抹消されなかったと言いますから、もっと走らせたかったのに、足元のせいで走れなかったということでしょう。
 この馬が種牡馬入りしたのは、2004年で中村畜産。中村和夫代表は、「競争能力と種牡馬能力は全く別物」という信念を持っており、故障したミルジョージを輸入して1989年に日本のチャンピオンサイヤーにした方だそうです。

 ゴールドヘイローの初期の産駒はほとんどが自分のところの馬だったようです。しかし、その中から地方での善戦する馬が続出。2008年の地方2歳リーディングにも輝きます。2007年の最初の世代は2歳戦の時点で、出走17頭で25頭が勝ち上がり、勝率0.824。第2世代は42頭中35頭の0.833で、何とこれを上回りました。

 これは2009年の古い記事だったので、今はどうか?と見ると、1億円ホースが4頭もいて驚きました。繁殖牝馬の質を考えると、驚異的でしょう。(うち3頭は中村和夫さんの生産馬)

トウケイヘイロー     中村和夫     26,758.90
モエレビクトリー     中村和夫     12,889.00
アポロラムセス     中村和夫     10,286.90
プロモントーリオ     道見牧場     10,107.30

 ゴールドヘイローはもう高齢馬となっており、これ以上たくさん種付けってことにはならないと思います。もっと注目されたら良かったな…という感じで、残念です。


■2013/3/24 ダート1200なのに20馬身差勝利のクラフティプロスペクター

 クラフティプロスペクターは、2 歳時は3 戦2 勝、2 着1回。ここまでは特別すごくなかったのですが、すごかったのが、3歳にから2 戦目の一般戦。これでで2 着馬を20 馬身ちぎる圧巻のパフォーマンスを見せました。20馬身だけで驚くのですが、一番すごいのがこのレースがダート6ハロンのレースだったことです。ダート1200mで20馬身差っておかしいですよね。すごすぎる強烈エピソードでした。
 4歳以降は以下のような競争成績で、生涯成績としては、米国で2 ~ 4 歳時に10 戦7 勝、2 着2 回となっています。

<4 歳になって2 連勝で臨んだ重賞初挑戦のG1ガルフストリームパークH でクリスマスパスト(前年の3 歳牝馬チャンピオン)のクビ差2 着し、初めての10 ハロン戦で距離の柔軟性を証明した。すべてのレースで馬券に絡む堅実ぶりと当時、売り出し中だったミスタープロスペクターの直仔が買われて84 年春にフロリダで種牡馬入り>
アワープレジャー2012年8月号のザ・ブラッドより
http://www.ruffian.co.jp/site/ourpleasure/ourpleasure.php

 ところで、この戦績を見てわかる通り、父ミスタープロスペクターと同様重賞未勝利なのです。記事では以下のような評価であり、G1を勝てる実力ではあっただろうと見られていますけどね。

<故障によるブランクもあって出走機会は3シーズンで10 回に留まったが、電撃の6 ハロン戦で後続を20馬身ちぎる神業を演じ、デビューから9 戦目での重賞初挑戦となったG1 ガルフストリームパークHでは距離延長と相手強化に臆することなく、直線で果敢に最内を突いて、あわやの2 着。順調であれば、重賞は勿論、G1にも手が届いたであろうことを想像させている>

 クラフティプロスペクターは本当に父ミスタープロスペクターと似ていて、やはり同様に質の劣るフロリダで種牡馬デビューし、そこで成功して頂点のケンタッキーへと行っています。なお、この活躍というのは、日本の馬なくしてはありえなかったかもしれません。そういう意味では日本とも縁がありました。

<フロリダで種牡馬入りしたクラフティプロスペクターは、6シーズンを過ごした後にケンタッキーのブルックデールファームに移ったが、メジャー昇格後も人気種牡馬の地位を保つことが出来たのはアグネスデジタルを初めとする日本での産駒の成功があったからに他ならない。柔軟な馬体から繰り出される芝に対応するスピードを備え、鞍上の意のままに動ける賢さは父譲り。八方美人が邪魔をして、母国では超一流と認められるまでに至らなかったが、日本という最適の働き場を得て、31 歳まで元気に生きたのだから、運も強かったのだろう>

 アグネスデジタルは芝ダート不問でしたし、距離もマイルだけでなく中距離は強かったです。ここらへんが八方美人と言われるところですかね?良い馬でした。
 父ミスタープロスペクターも距離の持つ産駒を輩出し、その子らもまた父として長いところをこなせる馬を出しました。こういう一筋縄ではいかないところも、競馬の血統のおもしろさでしょう。

2023年7月13日木曜日

珍名馬タヌキダンス、ロマンスヒコー、サンサンサンキュー VS ロカブルン、ベランジェール

■2023/07/13 珍名馬タヌキダンス、ロマンスヒコー、サンサンサンキュー VS ロカブルン、ベランジェール

■2023/07/13 珍名馬タヌキダンス、ロマンスヒコー、サンサンサンキュー VS ロカブルン、ベランジェール

 2023/7/16日曜日の函館芝1800mでは、タヌキダンスがわかりやすい珍名。地元のくせに今でも動画すら見たことなくて未だによくわからないので、北海道の日本ハムファイターズのきつねダンスが流行った…ということだけは知っています。たぬきダンスはこれが由来ですかね?
 と思って検索したら、たぬきダンスというのもちゃんとあるんだそうな。同じプロ野球・パ・リーグのオリックスバファローズのもの。たぬきキャラのポンタ絡みであり、こじつけではなさげ。どちらが先?と見てみると、「パクリ批判は承知」とあったので、たぬきダンスの方が後のようでした。

 同じ函館芝1800mでは、バロンも気になったところ。普通の名前だと思うでしょうが、牝馬であったことに私は引っかかりました。通常バロンで思い浮かぶのは「男爵」の意味で、牝馬には違和感あります。
 気になって調べてみると、意味は「人名より」とのこと。また、つづりは「Barone」であり、「男爵」の「baroん」とは違いましたね。
 同じレースでは、好きな名前の方でも、ベランジェール 、レッドレフィナード 、オリエンタルナイトとなぜか豊富でした。このうちベランジェールは人気になりそうですね。

 人気どころでは中京芝1600m    ロカブルンが気になるところですが、こちらは馬名もなんじゃこりゃ?というもの。調べてみるとつづりは「Loka Brunn」で「スウェーデンの秘湯名」とのこと。「ブルン」という語感からして、温泉なのに寒そうな感じです。

 日曜日の別のレース、福島芝1800mだとメリージェーン。本来なら普通の名前なんですが、つのだ☆ひろの有名な曲のタイトルと同じなのでネタにされそうです。
 土曜日にも曲名っぽい馬がいて、福島芝1800mでロマンスヒコー。米米CLUBの『浪漫飛行 』が元ネタに見えるのですけど、どうなんでしょう?
 同じレースでは、かっこいい系でサンダーアラート。「雷警報」と訳してしまうとなんてことないのですけど、他馬に警戒を抱かせるような要注意の馬みたいな雰囲気で好きですね。

 もう一つ土曜日では福島ダ1150mのサンサンサンキューが小気味良く、「声に出して読みたい馬名」といった感じ。実況が楽しみです。


2023年7月11日火曜日

エイシン平井豊光氏 1044勝、GI・10勝、1億円ホース47頭

■2013/3/17 エイシン平井豊光氏 1044勝、GI・10勝、1億円ホース47頭


■2013/3/17 エイシン平井豊光氏 1044勝、GI・10勝、1億円ホース47頭

 < 「エイシン」の平井豊光氏が逝去、フラッシュでのダービーVなど国内外でGI・10勝>([中央競馬] 2013年03月07日(木)14時20分 ネット競馬)というニュースが入ってきました。株式会社栄進堂の代表取締役会長・平井豊光さんが、病気のため東京都内の病院で逝去。77歳だったそうです。

<平井氏はJRA・地方競馬で馬主を務め、1990年オークスをエイシンサニーで制し、GI初勝利。以降も、エイシンプレストンで2002年、2003年クイーンエリザベス2世カップ(香港GI)を連覇するなど、国内外のGIレースを10勝、3日までに通算1044勝を挙げた。その傍らで、1978年自前の栄進牧場を開設し、オーナーブリーダーとしても独自の地位を築いていった。
 2010年日本ダービーはエイシンフラッシュ(牡6、栗東・藤原英昭厩舎)で制し、馬主として最高の栄誉を手にするなど、「エイシン」の冠の象徴である「赤、黒縦縞、黒袖」の勝負服は、長きに渡り競馬界に欠かせない存在となっている>
http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=73315

 実は「エーシン」という似た冠名のものもあり、そちらでも平井豊光さんの馬がいますが、「エーシン」は栄進堂(以前は社長の平井宏承名義)名義のものが多いです。感想を見ていると、皆さん区別できていないようですが、まあ、普通知りませんよね。
 「栄進堂」も気になったので検索。Wikipediaによると、大阪府大阪市中央区に本社を置く玩具製造販売会社。バンダイと取引をしているそうです。ジオラマを主力商品とし、かつては鉄道模型メーカーでもあったといいます。

<2006年7月に東京おもちゃショーで、軌間3ミリメートルのミニ鉄道模型Tゲージシリーズを発表して世界から注目を集めた。同シリーズは2008年から市販が開始された。2011年5月現在、量産化されている鉄道模型では世界最小であるが、2010年夏に香港の鉄道模型メーカーにTゲージの販売権を売却し、鉄道模型業からはわずか4年で撤退した。
 代表取締役社長は平井宏承(ひらい ひろつぐ)。創業者の平井豊光は代表取締役会長(グループの栄進牧場代表)>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%84%E9%80%B2%E5%A0%82

 Wikipediaでは「馬主として」という項目もありました。2009年夏に平井宏承名義から自身が社長を務める栄進堂に当時の所有馬の所有権を移転。地方競馬に移籍した馬については、同じく馬主である父の平井豊光名義に変更されることが多いとのこと。また、同社監査役で豊光の弟の平井泰男も馬主となっています。
 勝負服の柄は赤、黒縦縞、黒袖黄一本輪。Wikipediaでも<冠名は豊光所有馬と違い馬名先頭に「エーシン」>と書いていますね。「エイシン」ではないのです。また、冠名の英語表記は「A Shin」だそうです。

沿革
    2002年 - エースインザレースが兵庫ジュニアグランプリを勝利し重賞初制覇。
    2009年 - 平井宏承の所有馬を栄進堂名義へ変更。
    2010年 - エーシンフォワードがマイルチャンピオンシップを勝利しGI初制覇。
    2013年 - 1月6日の第1回京都競馬2日目において、JRA史上初となる同一馬主4連勝および2004年8月14日札幌競馬のサンデーレーシングと並ぶタイ記録となる同一競馬場5勝を達成。(5Rエーシンハクリュー、6Rエーシンレンジャー、7Rエーシングリズリー、8Rエーシングングン、11Rシンザン記念エーシントップ)

おもな所有馬

    エースインザレース(兵庫ジュニアグランプリ、平井宏承名義)
    エーシンディーエス(2009年京都ジャンプステークス、京都ハイジャンプ)
    エーシンフォワード(阪急杯、マイルチャンピオンシップ)
    エーシンホワイティ(ファルコンステークス)
    エーシンブラン(兵庫チャンピオンシップ)
    エーシンヴァーゴウ(アイビスサマーダッシュ、セントウルステークス)
    エーシンジーライン(小倉大賞典)
    エーシントップ(京王杯2歳ステークス、シンザン記念)
    エーシンメンフィス(愛知杯)
    エーシンモアオバー(名古屋グランプリ)

 エースインザレースがここの名義とは知りませんでした。結構好きだった馬。これはエーシンがつかない馬だったのでわからず。ただ、「エーシン」と響きが似ているので、かけているんですかね。
 私はエイシンおよびエーシンの馬はすごくコンスタントに活躍しているという印象。以前は走っていたのに影薄くという有名馬主さんがいる中、エイシン軍団は安定感を感じました。平井豊光さん名義の方の主な活躍馬をピックアップしてみました。1億円ホースだけで47頭。圧巻です。

エイシンフラッシュ    牡    2007    King's Best    社台ファーム    64,661.00
エイシンプレストン    牡    1997    Green Dancer    Joseph E. Gehl    49,106.70
エイシンデピュティ    牡    2002    フレンチデピュティ    栄進牧場    44,104.50
レマーズガール    牝    2000    Defrere    Penn Farm    43,530.20
エイシンバーリン    牝    1992    Cozzene    Hugh G. King III    40,620.20
エイシンワシントン    牡    1991    オジジアン    Mr. & Mrs....    35,973.50
エイシンドーバー    牡    2002    Victory Gallop    Columbiana Farm    31,340.70
キーンランドスワン    牡    1999    Distant View    Jim Ryan &...    30,128.80
エイシンアポロン    牡    2007    Giant's Causeway    Silk and S...    28,919.60
エイシンチャンプ    牡    2000    ミシエロ    Columbiana Farm    27,387.80
エイシンテネシー    牝    1989    Vice Regent    Theodore Folkerth    22,172.20
エイシンエーケン    牡    1996    Boundary    Ramona Holt Thomson    21,841.40
エイシンルーデンス    牝    1996    サンデーサイレンス    栄進牧場    20,847.40
エイシンニーザン    牡    2002    フォーティナイナー    栄進牧場    20,729.20
エイシンビンセンス    牡    1994    Relaunch    David's Farm    20,270.30
エイシンウイン    牡    1986    ミルジョージ    川端孝造    20,270.00
エイシンルバーン    牡    1996    ミシエロ    B. Ned Jon...    20,003.70
エイシンウイザード    牝    1986    ノーザリー    稗田牧場    19,990.00
エイシンフェアリー    牡    1983    ナイスダンサー    栄進牧場    19,410.00
テネシーガール    牝    1997    Pine Bluff    T. L. Folkerth    18,651.60
エイシンサンサン    牝    1992    キャロルハウス    栄進牧場    18,576.20
エイシンキャメロン    牡    1996    With Approval    Happy Hill Farm    18,069.10
エイシンボストン    牡    2002    Cat Thief    Audley Farm    17,987.60
エイシンサニー    牝    1987    ミルジョージ    栄進牧場    17,308.00
エイシンスペンサー    牡    1998    ヘネシー    Dixiana Farm Inc.    16,559.20
エイシンサンルイス    牡    1996    Conquistador Cielo    M375 Thoro...    16,419.30
エイシンダンズビル    牡    1997    Rizzi    Harry T. M...    15,675.60
エイシンタウラス    牡    1986    ノーザンテースト    栄進牧場    15,586.00
エイシンツルギザン    牡    2000    サクラバクシンオー    栄進牧場    15,176.40
エイシンロンバード    牡    2002    Victory Gallop    Brilliant ...    14,664.40
エイシンハリマオー    牡    1998    トウカイテイオー    栄進牧場    14,368.20
エイシンタイガー    牡    2006    コロナドズクエスト    水上習孝    14,261.90
エイシンワンシャン    牝    1996    トニービン    栄進牧場    14,123.00
エイシンハンプトン    牡    2000    Dynaformer    Oakbrook Farm    13,934.80
エイシンオリンピア    牡    1992    Lost Code    Donna Dona...    13,022.70
エイシンパンサー    牝    2005    コロナドズクエスト    高野牧場    12,984.60
エイシンカーリッヂ    牡    1987    ピットカーン    栄進牧場    12,826.00
エーシンクールディ    牝    2006    Distorted Humor    Winchester Farm    12,492.20
エイシンハピネス    牝    1984    ノーザンテースト    社台ファーム    12,356.00
エーシンエフダンズ    牡    2004    Forestry    Winchester Farm    12,254.70
エイシンコンカード    牡    1993    Cozzene    Charles Nu...    12,063.30
エースインザレース    牡    2000    ディアブロ    千葉飯田牧場    11,578.10
エイシンヘーベ    牝    2001    エイシンワシントン    栄進牧場    11,515.10
オレゴンガール    牝    1997    Rubiano    Pedigree Farms Inc.    11,458.30
エイシンコジーン    牡    1997    Cozzene    Claremont Farms    10,830.20
エーシンリジル    牝    2007    フレンチデピュティ    栄進牧場    10,734.80
エイシンラグランジ    牡    1996    Gulch    Leo J. Hamel    10,652.80
http://db.netkeiba.com/?pid=horse_list&owner=%CA%BF%B0%E6%CB%AD%B8%F7

 1億円ホースの生年を見ても1983年から2007年までと幅広くなっており、やはり安定感を感じさせます。素晴らしいですね。後年でエイシンフラッシュという最高傑作を引き当てたというのもすごいです。エイシンというと○外のイメージがあったのですけど、引用部であったように自家生産馬も多いことがわかります。
 日本競馬界にも影響の大きかった馬主さんだったと言って良さそうです。


2023年7月7日金曜日

珍名馬デビルシズカチャン、ピストンボーイ、ラケダイモーン、カルパ、ピコサン

■2023/07/07 珍名馬デビルシズカチャン、ピストンボーイ、ラケダイモーン、カルパ、ピコサン


■2023/07/07 珍名馬デビルシズカチャン、ピストンボーイ、ラケダイモーン、カルパ、ピコサン

 2023年6週目デビューの馬では、7/8函館芝1200mのデビルシズカチャンが一番目を引いた名前。しずかちゃんの概念を覆す「デビル」。 悪堕ちしたしずかちゃんみたいですわ。
 父ベストウォーリア、母シシリアンブリーズ。馬名意味は「悪魔+人名より」となっており、父母からの由来ではなさげ。どうも最初スターカシオペアだったのを変更してデビルシズカチャンになったみたいです。スターカシオペアだと普通にきれいな名前だったのに、この落差。どうしてこうなった?

 同じレースのピコサンも気になりますが、それより中京芝1400mのピストンボーイの方が気になります。ピストンとボーイだとどうもエロい行為を連想。私だけか?と思ってnetkeibaの掲示板見たら案の定な反応。私だけじゃありませんでした。

 [1] 宮ちゃんさん QiURJZQ フォローする
腰が強くて速そうな名前だな
種牡馬としても活躍しそう
 [2] 何かの特待生さん JTaRYgU フォローする
名前は何というか...すごいな。
 [3] N.D.さん kkdHZEA フォローする
当て馬じゃなくてちゃんと種牡馬になれるくらい活躍してくれたまえ
[6] 菅原しか勝たんさん GJNCKII フォローする
こんなにデビュー前から種牡馬言われてるの初めて見たw
 [7] 宝塚から有馬まで30分さん F4JZkgg フォローする
強いか弱いかはわからんが、
立派なモノは持ってそうだ!
 [11] パブロフの犬君さん E4CURQQ フォローする
アワビキングに通ずるものがある
 [16] ウォークライティアラさん JmWQQYY フォローする
種牡馬確定
https://db.netkeiba.com/?pid=horse_board&id=2021105447

 土曜日は響きが好きな名前で、ルルディルッカ、ラヴレボーテというのがいましたが、他の馬をやりたいので省略。同じく省略の日曜日のストロベリーナイトも名前が好きですし、誉田哲也の小説タイトルでもあります。

 日曜日の方では注目の人気馬なのに、響きが珍名っぽいのが2頭。函館芝1800mカルパはあのブチコの子であり、ソダシの弟という超注目馬。でも、カルパってなんとなく微妙だと感じる名前。金子真人さんは最もネーミングセンスの評価が高い馬主さんなんですけど、全然私の好みと合わないんですよね。
 意味を調べてみると、「ヒンズー教の宇宙の存続期間」だとのこと。意味はめちゃくちゃカッコいいですね。概念そのものに痺れますわ。

 もう1頭中京芝2000mラケダイモーン。私のPOG指名馬であるラルケットの子であり、マイルCSの ステルヴィオの子。G1馬の下は指名しないようにしていたのですけど、好きな血統なので指名。ただ、正直レイデオロ(これもPOG指名馬)は今のところイマイチ(始まったばっかりですが)で、ハズレ臭い気がしているんですよね…。
 ラケダイモーンって変な響きだなと思ったのですけど、これも意味はしっかりしており、「古代ギリシャの都市国家スパルタの呼称」だとのこと。というか、これも金子真人さんの馬でしたわ。本当、金子真人さんのセンスと私は合いませんね。たぶん私のセンスがズレているのだと思います。

 好きな名前でも珍名でもないのですけど、同じレースではドゥマイシングも注目。やはりPOG指名馬だったドゥラメンテの産駒で種牡馬能力としては前述のレイデオロより良さそう。こちらもPOG指名しておきたい1頭です。


2023年7月6日木曜日

最強のダービー馬は?現役騎手が選ぶ日本ダービーベストレースだと…

■2013/5/21 最強のダービー馬は?現役騎手が選ぶ日本ダービーベストレースだと…
■2013/5/21 ワカタカC ファンの選ぶ日本ダービー馬 第80回記念「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/5/21 トキノミノルC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1932~1950s「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/5/21 シンザンC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1960s「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/5/21 タケホープC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1970s「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/5/21 シンボリルドルフC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1980s「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/5/21 ナリタブライアンC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1990s「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/5/21 ディープインパクトC ファンの選ぶ日本ダービー馬 2000s「ダービーメモリーズ」ファン投票
■2013/3/22 日本で最高評価のレースはジャパンカップで世界10位 有馬記念は宝塚より下



■2013/5/21 最強のダービー馬は?現役騎手が選ぶ日本ダービーベストレースだと…

 最強のダービー馬など、最強論議というのは、大抵揉めます。が、JRAがおもしろい企画をやっていました。
 馬ではなくレースとしてですが、現役騎手のベストダービーの投票をしていたのです。

-----引用 ここから-----
JRAホームページ|今週の注目レース-東京優駿(日本ダービー)
リンク切れ
http://www.jra.go.jp/keiba/thisweek/2013/0526_1/best.html

1位 2005年 ディープインパクト 22票
見事1位に選ばれたのは、ディープインパクトが優勝した2005年の日本ダービー。4戦4勝で皐月賞を制し、ダービーでは単勝1.1倍の圧倒的1番人気に支持されたディープインパクト。直線では、大外をただ1頭次元の違う末脚で突き抜けて圧勝。5戦5勝、無敗でのダービー制覇を成し遂げました。「その圧倒的な強さに衝撃を受けた」「競馬学校生の時に生で見て感動した」、「このレースを見て騎手になりたいと思った」など、その“衝撃”を熱く語るジョッキーが多く、ファンの中でもいまだ記憶に新しいあの飛ぶような走りは、ジョッキーたちの心にも強く印象付けられていたようです。
-----引用 ここまで-----

 投票者は、小牧太、江田照男、後藤浩輝、浜中俊、武幸四郎、三浦皇成騎手など。
 武豊騎手、ここじゃないんですね。スペシャルウィークでしょうか?まさかアグネスフライト(武豊騎手はエアシャカールで2着)ってのもありますかね?

 私はとにかく1番人気を買わないので、ディープインパクトのダービーも当然別の馬を勝っていて、天邪鬼なので何とか負かしてくれと思っていましたが、レースを見て「ああ、お手上げだ。認めるしかない」と思った気がします。
 で、菊花賞はさすがにディープインパクトを軸にして買ったのですが、相手がさっぱり来なくってハズレ……。

-----引用 ここから-----
2位 2007年 ウオッカ 14票
14票を獲得して第2位に選ばれたのは、ウオッカが優勝した2007年の日本ダービー。64年ぶり史上3頭目の“牝馬によるダービー制覇”の偉業を果たしたウオッカ。「牝馬であれだけ強いのはすごい」「時代が変わったダービーです」など、牝馬という枠を越えて、時代をも飛び越えたパフォーマンスに対して、ジョッキーたちからも多くの賛辞が寄せられました。
-----引用 ここまで-----

 吉田隼人、戸崎圭太騎手など。
 私はウオッカは牝馬だし~という先入観が抜けなかったんですけど、勝っちゃいました。ビビりました。
 何かダービー当たった試しがない気がしていました。

-----引用 ここから-----
3位 1994年 ナリタブライアン 11票
11票を獲得して第3位に入ったのは、ナリタブライアンが優勝した1994年の日本ダービー。単勝1.2倍の1番人気に支持されたダービーでは、白いシャドーロールをトレードマークに、府中の直線を縦横無尽に駆け抜けました。「かっこ良すぎてしびれた」「強かったイメージが強烈に残っている」など、他馬を文字通り“圧倒”した走りは、今もジョッキーたちの心に深く刻まれています。
-----引用 ここまで-----

 津村明秀騎手や高田潤騎手、石神深一騎手の騎手となるきっかけとなったレースだそうです。そういう意味ではすごいですね。
 何かここまであんまり有名な騎手出てきませんね、不思議。当事者だと自分の関係で選ぶので部外者とは変わるのかも。

 私はナリタブライアンのレースは見ていません。当然馬券も買っていません。

-----引用 ここから-----
4位 1998年 スペシャルウィーク 8票
1990年代後半。名実ともにトップジョッキーに上りつめた武豊騎手にとって、唯一手にしていないのは"ダービージョッキー"の称号でした。10回目の挑戦となった1998年の日本ダービー。スペシャルウィークに騎乗して5馬身差の圧勝劇を演じ、ついに最高峰の舞台で最高の栄誉を獲得したのです。一方、キングヘイローでダービー初騎乗を果たした福永祐一騎手は14着に大敗。苦い記憶であると同時に印象深いダービーとして振り返っています。
-----引用 ここまで-----

 福永祐一騎手がここ。初騎乗(キングヘイロー)だからということみたいです。
 丹内祐次騎手は「武豊騎手が好きなので」という理由。そうなんだ。
 そして、武豊騎手はここでもないみたい。ええっ!?という。

 私が選ぶならこのレースですかね。キングヘイローとセイウンスカイの3強対決で5馬身差圧勝。それからやっぱり武豊騎手初勝利というので感動的でした。
 この世代が大好きってこともありますね。クラシック3強はこの3頭でしたが、世代3強はスペシャルウィーク、グラスワンダー、エルコンドルパサーと揃っていました。
 (大成しませんでしたけど、黒鹿毛がきれいだったツルマルツヨシも好きでした)
 ああ、でも、好きな馬って意味だとジャングルポケットのレースかな?あっちを選ぶかもしれません。

-----引用 ここから-----
5位 2000年 アグネスフライト 6票
17回目のダービー挑戦。河内洋騎手(当時)悲願のダービー初制覇に立ちはだかったのは、弟弟子の武豊騎手でした。最後の直線は、武騎手騎乗のエアシャカールと河内騎手騎乗のアグネスフライトとの一騎打ちに。壮絶なデッドヒートの末、わずかハナ差で河内騎手に軍配が上がりました。
-----引用 ここまで-----

 和田竜二、川田将雅騎手など。
 あれ、武豊騎手ここでもないです。結局、ランクインには入らず。
 本当、有名騎手が全然出てきませんでしたね。

 あと、番外編から一つ。

-----引用 ここから-----
1964年 シンザン
東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された1964年のクラシック戦線は、シンザンが席巻。
皐月賞に続いてダービーを快勝すると、秋には菊花賞を制し、セントライト以来23年ぶり、戦後初の三冠馬に輝きました。
-----引用 ここまで-----

 原田和真騎手のチョイス。そういや、ベスト5だとシンボリルドルフもいませんね。ここらへんは世代でしょうね。
(えっ、ミスターシービー?ミスターシービーは、うん、何というか……。ファンの方には申し訳ないですけど、タイミングが悪かったとしか言いようがないですね)

 もう一つ、松岡正海騎手のもの。マニアックすぎてわからん。

-----引用 ここから-----
1954年 ゴールデンウエーブ
日本中央競馬会誕生前夜の1954年5月、大井競馬から移籍したゴールデンウエーブが、地方競馬出身として、史上初のダービー制覇を達成しました。鞍上の岩下密政騎手は、トキノミノルに続く、2回目のダービー優勝の栄誉に浴しました。
-----引用 ここまで-----

 あとは戦前の牝馬ヒサトモや"10戦10勝の無敗でダービーを制したトキノミノルはダービー制覇のわずか17日後、破傷風によって急死しました"というトキノミノルがいました。
 おもしろい企画でしたが、有名ジョッキーがどれを選んだのかが気になって仕方ありませんでした。




■2013/5/21 ワカタカC ファンの選ぶ日本ダービー馬 第80回記念「ダービーメモリーズ」ファン投票
 全然知りませんでしたが、日本ダービー第80回記念「ダービーメモリーズ」ファン投票というのをやっていました。

-----引用 ここから-----
ダービーメモリーズ
 「ダービーメモリーズ」ファン投票は、今年第80回を迎える「日本ダービー」をより多くの方に楽しんでいただくために、日本ダービー当日行われる特別競走「ダービーメモリーズ」に、第1回優勝馬「ワカタカ」をはじめ過去の日本ダービー優勝馬の名前をつけることとし、ひろくファンの皆様から投票をいただきました。
 それぞれその世代を代表する日本ダービー馬とともに、当日のレースを盛り上げてまいりますので、ぜひご注目ください。
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 ただし、初代優勝馬ワカタカだけは、使用が決定していたようです。

-----引用 ここから-----
※     東京第11レースにつきましては 「1stダービーメモリーズ ワカタカカップ」として既にレース名が決定しておりました。
-----引用 ここまで-----

 プロフィール。

-----引用 ここから-----
■第1回優勝 ワカタカ
     
父     :     トウルヌソル
母     :     サラ系 種信
馬主     :     乾 鼎一氏
生産者     :     下総御料牧場
調教師     :     東原 玉造
騎手     :     函館 孫作
通算成績     :     21戦12勝
主な勝鞍     :     日本ダービー
    ワカタカ
     
デビュー戦は5着に敗れたが、その3週間後に東京競馬場で2着に10馬身差をつけて圧勝し、東京優駿大競走(現在の日本ダービー)に出走した。1番人気に応えてわずか3戦目で記念すべき第1回目のダービー馬となった。
-----引用 ここまで-----

 生産者が下総御料牧場でびっくり。ここは皇室の牧場ですね。
 昔は馬というのは今以上にずっと高価なものでしたから、競走馬を作っているところと言うと限られていたのかもしれません。

 父はトウルヌソルという日本を代表する名種牡馬。
 近年になってその名を冠したモンテトウルヌソルがいました。確か血統ではなく、名種牡馬にちなんでってことだったですし、それだけ良い種牡馬だったんでしょうね。

■2013/5/21 トキノミノルC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1932~1950s「ダービーメモリーズ」ファン投票
 1932~1950sの投票結果。

-----引用 ここから-----
1932~1950s ダービーメモリーズ トキノミノルカップ (京都第11レース)
順位     回     年度     優勝馬     票数
1     第18回     1951     トキノミノル     17,261
2     第10回     1941     セントライト     13,891
3     第12回     1943     クリフジ     9,310
4     第 2回     1933     カブトヤマ     3,482
5     第23回     1956     ハクチカラ     3,357
6     第 8回     1939     クモハタ     2,012
7     第21回     1954     ゴールデンウエーブ     1,635
8     第24回     1957     ヒカルメイジ     1,384
9     第26回     1959     コマツヒカリ     980
10     第 6回     1937     ヒサトモ     890
11     第16回     1949     タチカゼ     837
12     第19回     1952     クリノハナ     720
13     第25回     1958     ダイゴホマレ     707
14     第13回     1944     カイソウ     705
15     第20回     1953     ボストニアン     679
16     第11回     1942     ミナミホマレ     624
17     第15回     1948     ミハルオー     562
18     第22回     1955     オートキツ     507
19     第14回     1947     マツミドリ     465
20     第17回     1950     クモノハナ     401
21     第 5回     1936     トクマサ     313
22     第 3回     1934     フレーモア     252
23     第 4回     1935     ガヴアナー     201
24     第 7回     1938     スゲヌマ     188
25     第 9回     1940     イエリユウ     174
選択無     1,985
合計     63,522
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 セントライト、クリフジ、クモハタといった聞いたことのある馬が。
 セントライト記念の由来は知っていましたけど、カブトヤマ記念ってのもたぶんカブトヤマから取ったんでしょうね。知りませんでした。

 そんな中で選ばれたのはトキノミノル。

-----引用 ここから-----
■第18回優勝 トキノミノル
     
父     :     セフト
母     :     第弐タイランツクヰーン
馬主     :     永田雅一氏
生産者     :     本桐牧場
調教師     :     田中 和一郎
騎手     :     岩下 密政
通算成績     :     10戦10勝
主な勝鞍     :     皐月賞、日本ダービー
    トキノミノル
      デビュー時はパーフェクトの名で出走した。デビューから連戦連勝で、クリフジ以来史上2頭目となる無敗でのクラシック二冠を達成したが、ダービーの17日後に破傷風で急死した。
10戦10勝うちレコード勝ち7回という輝かしい成績を残し「幻の馬」と称された。1984年には顕彰馬に選出された。
-----引用 ここまで-----

 本当、幻の馬。これは心に残りますわ。

-----引用 ここから-----
トキノミノルは日本の競走馬である。10戦10勝・うちレコード優勝7回という成績でクラシック二冠を制したが、東京優駿(日本ダービー)の競走17日後に破傷風で急死、「幻の馬」と称された。戦後中央競馬で10走以上した馬で、唯一全勝を記録している[注 1]。主戦騎手は岩下密政。1984年、顕彰馬に選出。デビュー当初は「パーフエクト(パーフェクト。以下同様に記述)」の名称で出走していた。

1^ 戦前にクリフジが11戦11勝という成績を残している。

(略)

デビュー戦の圧勝と改名

1950年7月、函館競馬場に移動して初戦を迎えたが、競走2日前の発馬練習で気性の悪い部分を見せ、また全姉ダーリングも発馬に難のある馬だったため、一旦は出馬登録を拒否された。当時の有力馬主であった栗林友二の口利きで出走が認められるも、評価は1番人気から大きく離された2番人気(3頭立て)だった。

発走直前には再び暴れて騎手の岩下を振り落としたが、レースが始まると素直なスタートを見せ、先頭に立つ。道中でそのまま他馬を引き離すと、ゴールでは2着マッターホンに8馬身差をつけて優勝。勝ちタイム48秒1は芝800mの日本レコード、上がり3ハロン35秒0は当時としては驚異的な走破タイムであった。

当日の晩に田中が永田へ勝利報告の電話を掛けると、永田はパーフェクトを買ったことを忘れており、「何だそれは」と問い返したという。しかし数日後に田中厩舎を訪れた際には、田中と、挨拶に来ていた笠木を前に「君たちのお陰でダービーが取れるんだよ」と上機嫌であった。また永田はこの場でパーフェクトの競走名を「トキノミノル」に替えることを決定。この名前には「競馬に懸けた時が実るときが来た」という意味とされ、また「トキノ」については永田が尊敬していた菊池寛が使用した冠名の借用で、ダービーを意識する期待馬のみに使用するものだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%83%8E%E3%83%AB
-----引用 ここまで-----

 戦績はまさにパーフェクトでしたが、名前はパーフェクトじゃなくなったんですね。これまたドラマチックです。




■2013/5/21 シンザンC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1960s「ダービーメモリーズ」ファン投票
 1960sの投票結果。当然選ばれるであろうシンザンです。

-----引用 ここから-----
1960s ダービーメモリーズ シンザンカップ (東京第6レース)
順位     回     年度     優勝馬     票数
1     第31回     1964     シンザン     35,202
2     第32回     1965     キーストン     9,765
3     第27回     1960     コダマ     5,415
4     第30回     1963     メイズイ     3,013
5     第35回     1968     タニノハローモア     2,563
6     第36回     1969     ダイシンボルガード     2,454
7     第34回     1967     アサデンコウ     1,377
8     第33回     1966     テイトオー     1,279
9     第28回     1961     ハクシヨウ     663
10     第29回     1962     フエアーウイン     629
選択無     1,162
合計     63,522
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 2位のキーストンの方がなぜか聞いたことないですが、コダマはあります。

-----引用 ここから-----
■第31回 シンザン
     
父     :     ヒンドスタン
母     :     ハヤノボリ
馬主     :     橋元幸吉氏
生産者     :     松橋吉松
調教師     :     武田 文吾
騎手     :     栗田 勝
通算成績     :     19戦15勝
主な勝鞍     :     皐月賞、日本ダービー、
菊花賞、宝塚記念(’65)、
天皇賞(秋)(’65)、有馬記念(’65)

    セントライト以来23年振り、戦後初のクラシック三冠馬となった。当時牡馬が出走可能なGI級競走を全て制し、八大競走の勝利数から「五冠馬」と称された。競走成績19戦全てで連対し、1984年には顕彰馬に選出された。
種牡馬としては、クラシック二冠のミホシンザンなどを輩出した。
京都競馬場にはシンザンの銅像が設置されており、毎年1月の京都競馬では「シンザン記念」というレースが行われている。
-----引用 ここまで-----

 シンザンは本当歴史的な名馬ですね。つくづく父系で血が残らなかったのが残念です。

-----引用 ここから-----
引退後は種牡馬となったが、当時は海外から輸入した種牡馬の活躍が著しく、内国産種牡馬の成績は低迷していた。そのような状況に配慮して、シンザンを繋養した谷川牧場は、「儲けることよりもシンザンの血統を後世に伝えることが重要」と考え、シンザンの種付け料は20万円に設定された。なお、競走馬引退後のシンザンの世話は谷川牧場の従業員・斉藤優が担当した。

スガノホマレがレコードタイムを5回記録し、シルバーランドが日本で初めて芝2000メートルで2分を切るタイムを記録するなど産駒がスピードを示すようになると、シンザンの種牡馬としての人気は次第に高まり、1978年の5位を最高に合計7回種牡馬ランキングのトップ10に入った。ライターの山河拓也は、シンザンの活躍によって内国産種牡馬が見直され、アローエクスプレスやトウショウボーイの活躍に繋がったとしている。1980年代に入ると種牡馬成績は次第に下降し、1980年に内国産種牡馬1位の座をアローエクスプレスに奪われ、1985年にはリーディングサイアートップ10から陥落した。

産駒からは八大競走などの大レースを勝つ馬がなかなか出なかったが、1981年にミナガワマンナが菊花賞に優勝した。この時点でシンザンは高齢であったためミナガワマンナは「シンザン最後の大物」とも呼ばれたが、さらにそのあと代表産駒となる二冠馬ミホシンザンが登場した。

シンザンはミホシンザンが天皇賞(春)を制した1987年に、受精能力低下により種牡馬を引退した。最終的に産駒の重賞勝利数は49勝に達した。この記録は戦後の内国産馬としてはフジキセキ、トサミドリに次ぐ第3位である。また、1969年 - 1992年には産駒24年連続勝利の記録を打ち立てた。これはのちにノーザンテーストが更新するまで日本最長記録だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%B3
-----引用 ここまで-----

■2013/5/21 タケホープC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1970s「ダービーメモリーズ」ファン投票
 1970sの投票結果。

-----引用 ここから-----
1970s ダービーメモリーズ タケホープカップ (東京第7レース)
順位     回     年度     優勝馬     票数
1     第40回     1973     タケホープ     17,442
2     第42回     1975     カブラヤオー     13,454
3     第46回     1979     カツラノハイセイコ     8,745
4     第37回     1970     タニノムーティエ     4,860
5     第38回     1971     ヒカルイマイ     4,227
6     第43回     1976     クライムカイザー     3,708
7     第39回     1972     ロングエース     3,011
8     第44回     1977     ラッキールーラ     3,006
9     第45回     1978     サクラショウリ     3,000
10     第41回     1974     コーネルランサー     858
選択無     1,211
合計     63,522
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 ここらへん来ると聞いたことある馬多いですね。カブラヤオー、カツラノハイセイコ、タニノムーティエ、ロングエースあたりは確実に覚えがあります。
 サクラショウリも聞いた覚えあるものの、ありそうな名前ですので記憶違いかも。

-----引用 ここから-----
■第40回 タケホープ
     
父     :     インデイアナ
母     :     ハヤフブキ
馬主     :     近藤たけ氏
生産者     :     谷川牧場
調教師     :     稲葉 幸夫
騎手     :     嶋田 功
通算成績     :     19戦7勝
主な勝鞍     :     日本ダービー、菊花賞、
天皇賞(春)(’74)

      ハイセイコーのライバルとされ、日本ダービー、菊花賞を制した二冠馬。
ダービーでは、単勝支持率66.6%の圧倒的支持を得たハイセイコーを差し切って優勝し、菊花賞でもハイセイコーにハナ差で勝利し二冠馬となる。翌年には天皇賞(春)も勝利。
-----引用 ここまで-----

 ハイセイコーは人気という意味で、すごい馬でしたね。歴史的な人気馬です。
 タケホープは憎まれ役にはならなかったんでしょうか?

-----引用 ここから-----
3歳~4歳時

1972年7月15日に東京競馬場で行われた新馬戦でデビュー、単勝1番人気に応え勝利した。ところが2勝目をあげるのに手間取り、2勝目を上げたのは年が明けた1973年1月の200万下条件戦の若竹賞での事だった。その後、皐月賞を目指して東京4歳ステークスに出走したが3着、弥生賞はハイセイコーの前に7着と敗れ、皐月賞出走は叶わなかった。

皐月賞に出る事ができなかったタケホープはダービー出走を掛けて、東京競馬場で行われた四歳中距離特別に出走。サクラチェスにハナ差の勝利を収め、日本ダービー出走にこぎつけた。この時、タケホープの主戦騎手だった嶋田功は「ハイセイコーが四ツ脚なら、こっちだって四ツ脚だよ」という発言をしている。周囲やマスコミには皮肉としか受け取られなかったが、嶋田とタケホープを管理する稲葉幸夫調教師はそれなりの勝算を持っていたという。

日本ダービーでは、単勝支持率66.6パーセントという圧倒的支持を得たハイセイコーに対し、タケホープは9番人気に過ぎなかった。だが、レースでは最後の直線で先頭に立ったハイセイコーを差し切り勝利した。ハイセイコーは1秒弱離された3着に敗れている。

秋初戦は京都新聞杯から始動しハイセイコーと再び対決したが、ハイセイコーが2着だったのに対し、タケホープは6番人気と低評価だった上に8着と大敗した。この京都新聞杯の結果が影響したのか、クラシック三冠最終戦の菊花賞では、嶋田が落馬負傷するアクシデントで急遽武邦彦に乗り替わった事も不安視されて、6番人気と低評価だった。だが、レースではマッチレースの末にハイセイコーをハナ差で下し、二冠馬となった(2012年現在、日本ダービーと菊花賞の二冠馬はタケホープの他にはクリフジのみ。どちらも皐月賞不参戦馬である)。年末にはこの年の優駿賞年度代表馬及び最優秀4歳牡馬に選出された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%97
-----引用 ここまで-----

 憎まれ役っていう話はWikipediaにはありませんでした。




■2013/5/21 シンボリルドルフC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1980s「ダービーメモリーズ」ファン投票
 1980sの投票結果は当然シンボリルドルフ。ダービーだと歴史的な名馬がザクザク出てきて、鼻血出そうです。

-----引用 ここから-----
1980s ダービーメモリーズ シンボリルドルフカップ (東京第8レース)
順位     回     年度     優勝馬     票数
1     第51回     1984     シンボリルドルフ     32,203
2     第50回     1983     ミスターシービー     13,502
3     第54回     1987     メリーナイス     4,019
4     第53回     1986     ダイナガリバー     3,123
5     第56回     1989     ウィナーズサークル     2,904
6     第55回     1988     サクラチヨノオー     1,946
7     第47回     1980     オペックホース     1,706
8     第49回     1982     バンブーアトラス     1,249
9     第48回     1981     カツトップエース     964
10     第52回     1985     シリウスシンボリ     913
選択無     993
合計     63,522
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 1980年代くらいからは完璧にわかっても良さそうですが、オペックホース、カツトップエースが全く聞いたことありませんでした。
 そして、シリウスシンボリって何でこんなに票数少ないんでしょう?日本の競馬としてはたいへん重要な馬ですけどね。不思議。

-----引用 ここから-----
1984年9月16日、中山競馬場の新馬戦1着でデビュー。次走は斜行のため失格となり、3走目は2着と敗れるが、府中3歳ステークス、若葉賞と連勝した。皐月賞は馬主の和田共弘と調教師の二本柳俊夫の対立(シリウスシンボリ移籍事件、詳細は二本柳俊夫を参照)の影響で出走できず、若葉賞の次は東京優駿(日本ダービー)に出走し、皐月賞を5馬身差で優勝したミホシンザンが骨折で回避したこともあり単勝1番人気に推された。レースは荒れた重馬場の中、ほぼ全頭が大外ラチ沿いを回る異例の展開となった中、スダホークを3馬身差で下し優勝馬になった。

東京優駿(日本ダービー)後はシンボリルドルフに帯同して海外に遠征する予定であったが、シンボリルドルフが故障のため遠征を中止したことから、単独で渡欧した。日本に戻ったのは1987年の秋になったため、同世代の二冠馬ミホシンザンとは一度も対戦していない。海外では14走してバーデン大賞 (GI) 4着、フォワ賞 (GIII) 2着やロワイヤルオーク賞 (GI) 3着などの成績を残し、シーシック賞では1番人気に推されたが3着と勝利することはできなかった。また凱旋門賞にも出走し、結果はダンシングブレーヴの14着ではあるが、まれにみる高レベルのレースのなかで積極的にレースを運んでの14着である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AA
-----引用 ここまで-----

 さて、シンボリルドルフの方。

-----引用 ここから-----
■第51回優勝 シンボリルドルフ
     
父     :     パーソロン
母     :     スイートルナ
馬 主     :     シンボリ牧場
生産者     :     シンボリ牧場
調教師     :     野平 祐二
騎手     :     岡部 幸雄
通算成績     :     16戦13勝(内海外成績1戦0勝)
主な勝鞍     :     皐月賞、日本ダービー、
菊花賞、有馬記念(’84・’85)、
天皇賞(春)(’85)、
ジャパンカップ(’85)
    シンボリルドルフ
      史上4頭目のクラシック三冠馬で、初めて無敗で三冠を達成した。
1984年、1985年と2年連続でJRA賞年度代表馬となり、1987年には顕彰馬に選出される。GIレースを7勝し、その成績や馬名から「皇帝」「七冠馬」とも称された。
引退後は種牡馬として活躍し、GIレース4勝の二冠馬トウカイテイオーなどを輩出。
-----引用 ここまで-----

 シンボリルドルフの血統も続いて欲しかったなぁ……。たいへん残念です。

-----引用 ここから-----
シンボリルドルフは公開入札という広く株主を募集する手法で10億円(2000万円×50株)のシンジケートが組まれ、北海道門別町のシンボリ牧場で種牡馬生活に入った。1世代目の産駒が1990年にデビューし、そのなかから自身に勝るとも劣らないGI4勝の二冠馬トウカイテイオーを出した。このトウカイテイオーにより父子2代連続の無敗での皐月賞・東京優駿の二冠制覇を達成した。2世代目の産駒からも4歳牝馬特別、東京新聞杯優勝のキョウワホウセキや、ステイヤーズステークス優勝、宝塚記念2着のアイルトンシンボリ、フランスの重賞で2着に入ったジャムシードを輩出した。1994年にはアイルトンシンボリらの活躍により生涯の最高位となる種牡馬ランキング6位に入った。その後中央競馬の重賞馬を出せないでいたが、1999年にツルマルツヨシが朝日チャレンジカップ、京都大賞典に優勝した。

2000年に行われた「20世紀の名馬大投票」で22,521票を獲得し、6位に選出された。ちなみに1位はナリタブライアンで、得票は37,798票だった。また、雑誌『Number』で行われた競馬関係者による「20世紀の名馬アンケート」ではシンザンに次ぐ2位に選ばれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95
-----引用 ここまで-----

 ツルマルツヨシは期待していて種牡馬入りもしたんですけど、まあ、やっぱりすごい子は出ませんでした。

■2013/5/21 ナリタブライアンC ファンの選ぶ日本ダービー馬 1990s「ダービーメモリーズ」ファン投票
 1990sの投票結果も三冠馬。大体三冠馬ですね。

-----引用 ここから-----
1990s ダービーメモリーズ ナリタブライアンカップ (京都第9レース)
順位     回     年度     優勝馬     票数
1     第61回     1994     ナリタブライアン     16,510
2     第58回     1991     トウカイテイオー     13,067
3     第65回     1998     スペシャルウィーク     10,466
4     第59回     1992     ミホノブルボン     6,159
5     第60回     1993     ウイニングチケット     4,000
6     第57回     1990     アイネスフウジン     3,711
7     第64回     1997     サニーブライアン     3,231
8     第63回     1996     フサイチコンコルド     2,511
9     第66回     1999     アドマイヤベガ     1,916
10     第62回     1995     タヤスツヨシ     1,392
選択無     559
合計     63,522
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 しかし、ここは票が割れましたね。それだけ豪華だったということでしょうか?
 あと、サニーブライアンの方がフサイチコンコルドやアドマイヤベガより上ってのはちょっと意外でした。

-----引用 ここから-----
■第61回優勝 ナリタブライアン
     
父     :     ブライアンズタイム
母     :     パシフィカス
馬主     :     山路秀則氏
生産者     :     早田牧場新冠支場
調教師     :     大久保 正陽
騎手     :     南井 克巳
通算成績     :     21戦12勝
主な勝鞍     :     朝日杯3歳ステークス(’93)、
皐月賞、日本ダービー、
菊花賞、有馬記念(’94)

      史上5頭目の三冠馬。「ビワハヤヒデの弟」としてデビュー時より注目を集める。気性改善のために装着したシャドーロールが代名詞的な存在となり、「シャドーロールの怪物」とも呼ばれた。
朝日杯3歳ステークスから有馬記念までクラシック三冠を含むGIレースを5連勝して、1994年のJRA賞年度代表馬に選出され、1997年には顕彰馬にも選出された。
-----引用 ここまで-----

 ナリタブライアンは早世してしまったのが、たいへん残念です。有力馬も残せませんでした。

-----引用 ここから-----
第26回高松宮杯出走後に発症した屈腱炎が原因となって1996年10月に競走馬を引退した。競走馬を引退したあとは種牡馬となったが、1998年9月に胃破裂を発症し、安楽死の措置がとられた。(略)

牡馬としてのナリタブライアン

ナリタブライアンは2世代にわたって産駒を残しており、死亡から2年後の2000年に1世代目が、翌2001年に2世代目がデビューした。しかし、重賞を勝つ馬は出なかった(重賞ではマイネヴィータ・ダイタクフラッグが記録した2着、GIでは2002年皐月賞でダイタクフラッグが記録した4着が最高着順)。また、1頭も後継種牡馬を残すことが出来なかった。産駒に牝馬が多かったため、母の父として血を残すことが期待されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3
-----引用 ここまで-----

 有力馬の集まる2世代で重賞馬が出なかったところを見ると、大物は出なかったかもしれませんけど、やはり残念なことには変わりありません。




■2013/5/21 ディープインパクトC ファンの選ぶ日本ダービー馬 2000s「ダービーメモリーズ」ファン投票
 2000sの投票結果もやっぱり三冠馬。

-----引用 ここから-----
2000s ダービーメモリーズ ディープインパクトカップ (京都第10レース)
順位     回     年度     優勝馬     票数
1     第72回     2005     ディープインパクト     28,488
2     第74回     2007     ウオッカ     16,687
3     第71回     2004     キングカメハメハ     5,628
4     第68回     2001     ジャングルポケット     4,011
5     第67回     2000     アグネスフライト     2,103
6     第73回     2006     メイショウサムソン     2,070
7     第69回     2002     タニノギムレット     1,505
8     第75回     2008     ディープスカイ     1,329
9     第70回     2003     ネオユニヴァース     1,253
選択無     448
合計     63,522
http://www.jra.go.jp/news/201304/040102.html
-----引用 ここまで-----

 対象は2009年までで、今年初め時点での現役馬を除く……でした。
 この条件で外れたのは2009年の勝ち馬ですね。ロジユニヴァースです。
 というか、まだ現役だったんだ……。

 私は好きな馬ということでジャングルポケット。票数見ると意外に検討しています。
 地味くさいメイショウサムソン(でも、好きでした)が良くって、タニノギムレットやディープスカイという強かったなぁと思う馬が不人気。よくわからないですね。
(ディープスカイよくよく見ると、ダービー以降3着を外していないものの、G1勝ってなかったんですね)

 あと、タニノギムレットとウオッカが、親子で同じランキングに入っていて笑いました。早く引退しましたからね。

-----引用 ここから-----
■第72回優勝 ディープインパクト
     
父     :     サンデーサイレンス
母     :     ウインドインハーヘア
馬主     :     金子真人氏
生産者     :     ノーザンファーム
調教師     :     池江 泰郎
騎手     :     武 豊
通算成績     :     14戦12勝(内海外成績1戦0勝)
主な勝鞍     :     皐月賞、日本ダービー、
菊花賞、天皇賞(春)(’06)、
宝塚記念(’06)、
ジャパンカップ(’06)、
有馬記念(’06)

      “皇帝”シンボリルドルフに次ぐ、史上2頭目の無敗の三冠馬。
2005年、2006年と2年連続でJRA賞年度代表馬に選出され、2008年には顕彰馬にも選出された。騎乗した武豊騎手が「空を飛ぶような走り」と表現し、その走りについてはストライド(歩幅)や走行フォームに至るまであらゆる角度から科学的に分析されるなどして注目を集めた。
-----引用 ここまで-----

 ディープインパクトは種牡馬としても成功しそうで、今年のダービー1番人気もディープインパクト産駒のキズナです。

-----引用 ここから-----
2010年(平成22年)に初年度産駒がデビューした。6月26日に福島競馬場で行われたメイクデビュー福島にてサイレントソニックが勝利し、産駒の中央競馬初勝利を記録した。その後も産駒の勝利数は順調に増え続け、11月21日に京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でボレアスが勝利し、産駒26頭目の勝ち馬となり、2005年(平成17年)にアグネスタキオンが記録した25頭を抜きJRA2歳新種牡馬の勝馬頭数の新記録を達成。さらに11月27日には京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でハッピーグラスが勝利して、産駒のJRA通算勝利数が31勝となった。これにより父サンデーサイレンスが持っていた種牡馬供用初年度のJRA通算勝利数30勝の記録を16年ぶりに更新した。さらに12月25日には阪神競馬場で行われたラジオNIKKEI杯2歳ステークスでダノンバラードが1着になり、産駒初の重賞制覇となった。最終的に初年度産駒がJRAの2歳戦で41勝し、総獲得賞金5億3704万3000円をあげた結果、ディープインパクトは2010年度のJRA2歳リーディングサイアーに輝いた。なお、この産駒出走初年度の総獲得賞金記録も、サンデーサイレンスが持っていた4億9062万5000円の記録を16年ぶりに更新することとなった。

2011年(平成23年)にはマルセリーナが桜花賞を制し、産駒のGI競走およびクラシック初制覇を果たした。(略)

2012年(平成24年)に入ると、ジェンティルドンナが桜花賞を制し、産駒初の重賞2勝馬の誕生となった[注 18]。後に同馬は優駿牝馬、秋華賞も制し、牝馬クラシック三冠を達成すると同時に、日本競馬史上初の親子での三冠馬となった[注 19]。さらに同馬は3歳牝馬として初めてジャパンカップも制し、同競走では史上3組目となる父仔制覇となった。4月15日にはフランスのグロット賞 (G3) をビューティーパーラー (Beauty Parlour) が勝利し、産駒初の日本国外重賞初制覇を果たした。同馬は続く5月13日、プール・デッセ・デ・プーリッシュ(フランス1000ギニー) (G1) にも勝利し、日本国外のG1競走初制覇も達成した。そして5月27日に行われた第79回東京優駿(日本ダービー)でディープブリランテが優勝し、史上7組目の父仔ダービー制覇を成し遂げた。最終的には産駒がG1・5勝を含む重賞18勝を挙げるなど活躍し、初のJRAリーディングサイアーに輝いた。産駒はJRAで216勝を挙げたが、これはキングカメハメハの184勝(2011年)を塗り替える、内国産種牡馬のJRA年間勝利数の新記録である。また、JRA2歳リーディングサイアーの座も獲得した。種牡馬デビューから3年連続での2歳リーディングサイアー獲得は、父・サンデーサイレンスも成し得なかった快記録である。なお、中央・地方合算の全国リーディングも獲得している。これらの産駒の活躍で翌2013年の種付料は、種付時までに全納のみで1,500万円(不受胎時全額返還)にまで値上げされたが、すぐにBOOK FULLとなるなど、サンデーサイレンスの後継種牡馬の一頭と目されている。なお、東京優駿とジャパンカップをそれぞれ別の馬で父仔制覇を成し遂げたのはディープインパクトが初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88_%28%E7%AB%B6%E8%B5%B0%E9%A6%AC%29
-----引用 ここまで-----


■2013/3/22 日本で最高評価のレースはジャパンカップで世界10位 有馬記念は宝塚より下


 世界で高評価の国内レースは (文 有吉正徳    2013年3月22日 朝日新聞)によると、国内最高の評価を受けたレースはジャパンカップ。世界10位でした。
 これは、国際競馬統括機関連盟は世界のGIレースの上位50レースを選び、そのランキングを発表したものによります。日本からはジャパンカップのほか宝塚記念(17位)、有馬記念(19位)、天皇賞・秋(20位)の4レースがランクインしました。

 釈然としない順番だろうと思いますが、決め方は以下。

-----引用 ここから-----
 レースの順位は2010~12年の3年間のレースレベルを数値化し、その平均値で決められた。それぞれのレースの数値は上位4頭の成績を基に決められた。出走馬が粒ぞろいであればあるほどレースの数値は上がる。
-----引用 ここまで-----

 1位も変なレースになっています。2位・3位もマイル戦で違和感があります。

-----引用 ここから-----
 1位になったのは英チャンピオンSだった。理由は怪物フランケルだ。その生涯成績14戦14勝というフランケルが昨年、引退レースに選んだのがチャンピオンS。フランケルが優勝したことでレースの価値が一気に上がった。2位は米ブリーダーズカップマイルで、3位はフランスの凱旋門賞とジャック・ル・マロワ賞が並んだ。
-----引用 ここまで-----

 あとこのやり方だと、3歳戦は悪く出ているのかも。ヨーロッパと言えば、3歳馬なのに…。


2023年7月1日土曜日

日本では前代未聞 出産で引退してから復帰の宮下瞳騎手が通算1000勝達成

■2021/12/05 日本では前代未聞 出産で引退してから復帰の宮下瞳騎手が通算1000勝達成
■2020/09/28 女性騎手減量は不公平?男性と能力差なしの研究がある

■2021/12/05 日本では前代未聞 出産で引退してから復帰の宮下瞳騎手が通算1000勝達成

 応援している地方馬マイネルバサラの騎手がに宮下瞳騎手という女性っぽい名前だったので検索してみると、ちょうど直前に<女性騎手では前人未到 宮下瞳騎手が通算1000勝 名古屋競馬>(2021年11月18日 13時55分 NHK)という記事が出ていました。
(ちなみに宮下瞳騎手騎乗のマイネルバサラはこのレースでボロ負けして、ラフィアンのファンド解散で売却となっています)

<名古屋競馬に所属し、女性騎手の国内最多勝記録を持つ宮下瞳騎手が18日、名古屋競馬場で行われた第2レースで1着となり、通算1000勝を達成しました。
 宮下騎手は、鹿児島県出身の44歳、平成7年に18歳でデビューし、その年の10月24日に初勝利をあげ、17日までに勝利数を999まで伸ばしていました>
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211118/k10013352491000.html

 幼いころ、祖父が飼っていた馬に乗ったことがきっかけで騎手に。地方競馬は原則、みずからが調教に関わった馬にしか騎乗できないため、宮下選手は、デビュー当初から足しげく馬のトレーニング場を訪れ、1頭でも多くの馬に騎乗できるよう努力を続けたそうです。
 意外なことに伸び悩みはなく、順調に勝ち星を重ね、デビューから10年たった平成17年に、28歳で当時の女性騎手最多勝記録、351勝に到達。しかし、平成23年に、長男の出産を前に34歳で一度、現役を引退しています。こういうのはもったいないですね。
 一方で、子育てをしながら「息子にジョッキーとして戦っている姿を見せたい」という気持ちが強くなり、トレーニングに1年をかけて2016年に騎手として復帰。名古屋競馬によりますと、出産を経験した女性騎手が再び現役の騎手としてレースに戻るのは国内では初めてで、極めて異例のことでした。

 Wikipediaによると、競馬一家ですね。兄は宮下康一元騎手で、名古屋→新潟→上山→金沢→2003年引退→2014年現役復帰し兵庫→2018年引退…ということで、彼も復帰組。また、夫は元名古屋競馬場所属の小山信行騎手。2017年引退ということで、先に引退しています。
 騎手を目指した動機はこちらでもう少し詳しいです。馬産地・鹿児島出身で祖父が趣味で馬を飼っており、草競馬でポニーに乗るなど馬といる生活が日常的で、兄が先に名古屋で騎手になっていたことも影響し騎手を志したとされていました。兄が先にデビューというのもポイントでしたね。
 <同じ女性騎手であった赤見千尋(高崎→宇都宮)や増沢由貴子、田村真来(ともにJRA)とは同学年>だという記事もありました。「同期」とは書かれていませんが、この時期は女性騎手が集中した時期であるようです。

■2020/09/28 女性騎手減量は不公平?男性と能力差なしの研究がある

  Our Pleasure 2019年5月号の連載スタッフルームは、ウイン事務局の
藤本敦子さんの担当部分がありました。こちらによると、 2018年1月に発表された英国リヴァプール大学の研究結果によれば「女性騎手と男性騎手は能力面で同等」というものだったそうです。そんな馬鹿な?と思うかもしれませんが、「騎乗機会や騎乗馬の質が同等なら成績は変わらない」というもの。これらが同等な状況にならないためにわかりづらいところがあるようです。
 私は以前、海外では普通に女性騎手が大げさでなく活躍している…という話を書いており、意外ではありませんでした。こちらでも現在の活躍しているとわかる客観的なデータがあります。女性優遇がないニュージーランドでは、騎手免許保有者の40%以上が女性。さらに、リーディング上位も男女比率はほぼ同じという、決定的な結果が出ているそうです。

 一方、日本では、JRAに続き、2019年4月からはNARでも女性騎手の負担重量減量制度を拡充。世界の流れに逆行しているように見えますし、能力差がないのであれば不公平であるように見えます。ただ、アリではないか?というのが、藤本さんの見方。どうもまずは女性騎手を多く呼び込んでレベルを上げてから、減量を縮小していけばいい…という考え方みたいですね。海外でもフランスでは2017年から同様の制度が採用していたそうですが、女性騎手の騎乗回数が急増して成績も上昇し、1年後には減免措置を縮小するといったことをやっていたそうです。

四着が多い男・福永騎手が四位厩舎初出走任され4位

■2021/05/05 四着が多い男・福永騎手が四位厩舎初出走任され4位
■2021/11/29 香港でエリ女王4連単1億円馬券のニュース…なのに、福永祐一だらけに


■2021/05/05 四着が多い男・福永騎手が四位厩舎初出走任され4位

 先月やろうと思っていたのに忘れていた四位師の厩舎初出走“4位” 福永も笑み「まさかの」 | 競馬ニュース - netkeiba.com(2021年03月06日)の話。
https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=184642

<新規開業した四位洋文調教師(48)=栗東=が、6日の阪神3Rにテイエムジャガーで厩舎初出走。(中略)5番人気で4着に力走した。(
 引き揚げてきた鞍上は「まさかの“4着”」と笑みを浮かべて「四位さんの初陣。いつも以上に気合が入った。一緒にスタートを切れたのが何よりもうれしい」と額の汗を拭った>

 記事そのものは、四位調教師が四位スタートというネタなのですけど、実を言うと、福永騎手も四着ばかり取る騎手だという「風評」があるために、コメント欄ではそちらの反応も出ていました。今回は5番人気での4着なのでむしろ人気より頑張った良い結果だったのですけど、福永騎手は人気馬での4着が多いというイメージが定着しています。

<四位調教師で福永さん…そりゃ4着固定だわな>
<四着男の悲しい異名を持つ福永祐一騎手、まさかの事実上の先輩騎手だった四位調教師のデビュー戦で、本当に4着になるなんて、出来すぎてて苦笑しました>
<「テキはコレを狙ってた可能性は無くもない鞍上起用」だったかもね!>
<もう福永4着って馬券作ろうよ>
<まさかどころかフラグビンビン 3頭立てでも4着だろ>
<福永騎手を乗せた時点である程度察していたけどまさか本当に4着とは>
<福永で四位!普通です!>

 個人的には福永騎手って好きだしうまいと思っていたので、私はあんまり批判しません。ただ、最近はそこまで好きな騎手・うまい騎手ってイメージでもないかも。もう少し若いときの方が好きでしたね。若い騎手の方が好き…というのは、私の場合よくあります。メモしている私見騎手評価を見てみると、5点満点の2.84という評価でなんと150騎手中112位という悪さでした。イメージ以上に点数が悪いです。ここまでひどい騎手だとは思っていないのですが…。


■2021/11/29 香港でエリ女王4連単1億円馬券のニュース…なのに、福永祐一だらけに

 <【エリザベス女王杯】香港で4連単が“1億円馬券”に>(2021年11月14日(日) 19時40分)によると、香港がJRAの競馬の馬券を発売しているそうです。タイトルにあるように、香港競馬は4連単もあるというのが特徴的。そのため、日本でさえ高配当だったエリザベス女王杯の配当がえらいことになっていたようです。

<阪神競馬場で行われたエリザベス女王杯(GI)は、序盤は後方に位置した幸英明騎手騎乗のアカイイト(牝4、栗東・中竹和也厩舎)が、(中略)ステラリア(牝3、栗東・斉藤崇史厩舎)の追撃も寄せつけず、2馬身差をつけて優勝した>
<JRAのオッズでは単勝10番人気→7番人気→9番人気の決着。3連単は33939.6倍(339万3960円)の高配当となったが、エリザベス女王杯は香港でも馬券が発売されており、4連単はなんと1095524.1倍=日本で言う“1億955万馬券”の超高額配当となった>
https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=195880

 「4連単」ということもあり、コメント欄で「4着ネタ」で大盛り上がり。ここに追記したことでわかるように、当然、福永祐一騎手の話題です。このネタに食傷気味なのか、なぜか怒っている感じの人も一部いましたが、お約束ですし、ある意味おいしいですよね。ただ、福永祐一騎手以外の騎手の名前も少し出ていました。

<みんなも思ってると思うけど、福永さんは香港にいけば、最高に頼りになるスーパースターになれますね。
幸と善臣も>
<4連単なら福永は5着やな>
<日本でも4連単販売してほしいなぁ
そしたら人気馬に乗る福永の4着固定で毎回買うのに(笑)>
<このネタで福永騎手出過ぎ>
<4着いっくん売れるんやろうなぁ
福永祐一「舐めるなよ、5着や!」>
<福永祐四>
<ヨシトミの4着固定>
<4着までOKなら福永騎手の出番ですね>