2024年8月1日木曜日

昔は騎手・調教師の二刀流ができたって本当?伊藤修司の父・伊藤勝吉が活躍

■2020/08/05 昔は騎手・調教師の二刀流ができたって本当?伊藤修司の父・伊藤勝吉が活躍


■2020/08/05 昔は騎手・調教師の二刀流ができたって本当?伊藤修司の父・伊藤勝吉が活躍

 1892年生まれという大昔の生まれの伊藤勝吉さん。息子にハギノカムイオーやスーパークリークを管理し、騎手でもあった調教師の伊藤修司さんが、娘婿にプロ野球選手・競馬評論家の古川清蔵さんがいます。

 明治時代というえらい昔の話になるのですが、 1905年(明治38年)、14歳で見習騎手として青池良佐厩舎に弟子入り。デビューは2年後の1907年で初騎乗初勝利。馬券発売が禁止となったため、ロシア・ウラジオストクで5ヶ月間ほど騎乗するなどしていましたが、帰国後の1911年(明治43年)には、阪神競馬場での3日間の開催で15勝を挙げる活躍をしています。

 今から見ると、おもしろいのが、1912年(明治44年)には、20歳にして早くも青池厩舎から独立して厩舎を開業しているということ。20歳で調教師ってのもすごいのですが、これ、騎手も続行しているんですよ! 昔はOKだったんですね。
 以後、有力馬主にも引き立てられ、実力馬を自ら騎乗して活躍する他、有力馬に騎乗して、騎手・調教師のそれぞれで活躍を続けます。競走馬の調教にあたっては鳴尾競馬場内の施設のほかに、自宅敷地内に建設した厩舎と馬場(1周約800メートル)を用いていたというのも今の日本では考えられませんね。海外ではあり得る話なんですけど。

  しかし、1938年に調騎分離制度が導入されたことにより、1942年に、35年間にわたる騎手を引退し調教師に専念することになりました。
 調教師専業になってからも、1949年の優駿競走(現在の東京優駿)をタチカゼで、オークスをオーカンやチトセホープで優勝するなどクラシック6勝。また田中好雄、松田由太郎、清田十一、服部正利や杉村一馬など22人もの弟子を育てたということも、特徴的な点のようです。(Wikipediaより)