2024年4月1日月曜日

昔上野公園の不忍池には競馬場があった 明治天皇などの豪華祭典

■2019/07/10 昔上野公園の不忍池には競馬場があった 明治天皇などの豪華祭典
(一部2023/01/02追記)
■2019/07/10 究極の税金の無駄遣い?莫大な予算使うも短命に終わる
■2019/07/10 サラブレッドはおらず、中国馬よりさらに遅い日本馬が主体

■2019/07/10 昔上野公園の不忍池には競馬場があった 明治天皇などの豪華祭典

 昔上野公園の不忍池には競馬場がありました。昔というのはマジで昔で、JRAもない時代。明治時代のことです。馬券も売ってませんでした。

・上野不忍池競馬は1884年(明治17年)から1892年(明治25年)まで東京上野不忍池で行われていた競馬。
・共同競馬会社主催で、不忍池を周回するコースで行われていた。馬券は発売されずギャンブルとしての開催ではなく、屋外の鹿鳴館ともいうべき祭典で明治天皇をはじめ華族、政府高官や財界人を含む多くの観衆を集め華やかに開催された。
・上野不忍池が競馬場地として選ばれたのは交通の便もあるが、パリ・ブローニュの森にあるロンシャン競馬場などを意識し貴族の社交場として競馬場は公園内にあるのがふさわしいと考えたからだと言われている。
・不忍池周囲を競馬場として整備する総工費は11万7千円、国家事業である鹿鳴館の総工費18万円と比べてもその事業規模の大きさがわかる。
(Wikipediaより)

2023/01/02追記:「明治天皇をはじめ華族、政府高官や財界人を含む多くの観衆を集め華やかに開催された」と書きましたが、その豪華さは、不忍池競馬開催時の共同競馬会社(Union Race Club)のメンバーを見てもすごいです。

<社長を小松宮(引用者注:おそらく皇族で、伏見宮邦家親王第8王子である小松宮彰仁親王のこと)、副社長を毛利元徳、鍋島直大と皇族・旧大名が務め、幹事に伊藤博文、西郷従道、川村純義、松方正義、井田譲、楠本正隆、大河内正質、岩崎弥之助、藤波言忠などが名を連ね、会計長に三井八郎右衛門など、馬主にも旧大名たちや伊藤博文、西郷従道、岩崎弥之助をはじめ名士が名を連ねていた。競馬の母国イギリスでは競馬は貴族の社交の場であったことをそのまま取り入れた会社(クラブ)であった>
<創立時の役員は幹事に松方正義、蜂須賀茂韶。議員に野津道貫、保科正敬、鍋島直大、田中光顕、石井邦猷、小沢武雄、西寛二郎、黒川通軌、楠本正隆など、旧大名、明治の元勲、政治家、高級将校などが名を連ねる>


■2019/07/10 究極の税金の無駄遣い?莫大な予算使うも短命に終わる

 ただ、 1884年から1892年までとなっていたように寿命が短く、現代の競馬に強く繋がるものでもありませんでした。
 理由は前述の通り、馬券を売っておらず、予算的に問題があり、持続性がありませんでした。国会事業として莫大な予算をつぎこんだものの、それを続けることはできなかったのです。
 当時の収入は会費、入場料、天皇からの下賜金、宮内省、農商務省、陸軍省からの支援に頼っていたが赤字であり1886年(明治19年)からは一場所二日の開催になり賞金額も減少。ついに経営難のため1892年(明治25年)の秋場所を最後に共同競馬会社による上野不忍池競馬開催は終了しています。
 
 大規模な競馬を開催できたのは、鹿鳴館に象徴される欧風化政策を進める外務省・宮内省、馬匹改良を求める陸軍・農商務省などの官の支援があったからでしたが、実はこれも事情が変わりました。鹿鳴館に象徴される欧風化政策は明治20年ごろから衰退したためです。
 税金の使い方としてはどうだったんでしょうね? Wikipediaでは、そこまでツッコんでいませんでしたけど…。
 

■2019/07/10 サラブレッドはおらず、中国馬よりさらに遅い日本馬が主体

 また、現代競馬にあまり繋がらないというのは、馬の種類の問題もあります。1884年当時、共同競馬会社の競走馬の大半は在来の日本馬で雑種馬も少数いた一方、純粋なサラブレッドなどの西洋馬は見つけることができなかったとのことです。
  同じ時期、外国人が主催する横浜の根岸競馬では中国馬が活躍。中国馬は欧州馬には敵わないとはいえ日本馬より早かったのです。ただ、共同競馬会社のレースには中国馬すらも出られませんでした。
  これにはもう一つの目的があるため。社交として競馬を運営するだけでなく、馬匹の改良も目的としていたのです。
 日本に輸入されている中国馬はどれも騸馬(去勢された馬)であり、馬匹改良にならず、どうせつけるにしても西洋馬…という考えがあったとされていました。

  ただ、日本馬の馬匹改良という大義名分自体もまた、上野不忍池競馬を短命に終わらせた理由の一つになったようです。
 共同競馬会社自身は馬券を発売しなかったとはいえどうしても賭けが発生するため、勝利にこだわります。そうすると、日本馬のレースに偽って雑種馬を出場させるなど、血統の正当性も不明瞭化。陸軍の馬匹改良の目的に対しても疑問がわきだして、共同競馬会社への官の支援は脆弱になったという理由もあったそうです。